2016年7月25日月曜日

夕闇と夕暮れのあいだに



暑中お見舞い申し上げます。
夏のてっぺんも過ぎゆくこの頃、まだまだ厳しい暑さが続きますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
街中の木々たちはそろそろ疲れた緑色をその葉にのせて、すこしだけ冷たい朝夕の風が秋の気配をうっすらと感じさせ始めている。

たまには本気の速度で文章入力をしないと、タイピング能力がなまってしまいそうで怖い。
知らない間にどんどん体力も筋力も落ちていくし、おしりのお肉なんかは、数年前から重力に逆らうことを完全に放棄しています。(応援はしている)
それでも毎日、無意識の中で息をしたり鼓動を打ったりしてくれている肺や心臓さんたちには、感謝の気持ちでいっぱいです。
いつもありがとう、おつかれさま。


先日、お友だちのお家にお邪魔して、美味しい手作りピザをいただき、ちいさなお子さんとたっぷり遊ばせてもらってきました。
二歳と三か月、体重は13kgの男の子。元気をたくさんもらいました。
ほんとに可愛いくて、とてもとても癒された。

子どもを可愛いと思う理由、無邪気でいい、とか、純粋だから、とかいう人もいると思うけれど。
私なら、未来があるから、と答える。
どんなふうに育っていくんだろう、と想像するだけで、わくわくする。
それだけで、かけがえのない、たからものをいただいているような、そんな気持ちになります。

それに、育児をしている両親の姿を見るのも、案外好きなのかもしれないと思った。
ご夫婦どちらとも、子どもを持つ前からのお付き合いなので、そんな二人がお子さんの前では父親と母親の顔になるのを見ているのも、なんとなく、和まされました。

普段はあまり聞かないような、いろんなお話をたくさん聞けて、とても楽しかった。
結婚指輪についての価値観も、衝撃的というか、目から鱗、でした。
私の周りの友人夫婦は中々に個性的で、皆それぞれ大切にしているものが違っていて、すごく素敵だし面白いなと思う。
その結晶である子どもたちも、皆それぞれに個性豊かに育っていくのだろうと思うと、とても楽しみです。

もっといろんなことを話したかったけれど、やっぱりお子さんの微笑ましい姿に目が行って会話が中断しちゃうのは、致し方ないのかもしれない。
(その中で要点を押さえてコミュニケーションできるスキルはまだないし、あったとしてもオチビチャンの可愛さには勝てないだろう)


それにしても、毎日育ち盛りの子どもと向き合っているお母さん、本当に大変だなあと思いました。
あんなに元気はつらつな生命体の相手をして、お買い物に行って、ご飯を作って、お掃除やらお洗濯やら、家のことを何から何まで片付けて、旦那さんともコミュニケーションをとって、親戚とも付き合って、家計のことも、将来のことも考えて…って、スーパーウーマンすぎる。
その中で、自分の時間を作るのなんて、果たして可能なんだろうか?
お出掛けしても、歩くスピードだって子どもに合わせてあげなくちゃいけないし、お家のなかでも、ゆっくりお手洗いにも行けない。
子育ては、私が思っている何倍も何十倍も、大変なんだろうなあと、実感し、心の底から尊敬した一日でもありました。

子どもを持つかどうかは別にして、私には、もうしばらく無理そうだな…。
まずは自分の面倒を自分で見られるようにならないといけないし、とりあえず、自分の身体を維持するための体力と筋力を付けたいと思います。(とくに腰)


最近、人とうまく話せないな、と思う時が多くなってきました。
ちょっとした会話が出来なかったり、うまく言葉が出てこなかったり、すぐに緊張したり混乱したりしてしまうような気がする。
どう感じている、だとか、どう思っている、だとかを、自分のなかでしっくりくる言葉を以て表せなくなってきたり、そもそも、どう感じているのだろう、と、わからなくなったり、するときもあります。

何も思わない、感じないならそれでも良い、と、自分に許可は出しているのだけれど、そういう訳でもなくて、思っていることを素直に口に出すことを、すこし恐れている。
一度怯えてしまうと、誰にも会わなくなりそうで、どこにも行かなくなりそうで、それもまた怖い。
そういうところでまだ、既成の概念に囚われている。

言葉を選ぶことに関しては、後からゆっくり反芻してみて、ああ、ほんとうは、こう思っていたのにな、こういう風に言いたかったんだろうな、と気付くことも、よくある。
昔は多すぎるほど言葉を詰め込んで、説明に説明を重ねていたけれど、この頃は言葉足らずだったなあと後悔することが多くて、コミュニケーション自体に、とても臆病になっているように感じます。


そんなときに、松浦弥太郎さんの文章がこころに沁み入るようで、思わず何度も読み返してしまう。
最近読んでいるのは、『あたらしいあたりまえ。』という一冊。

ゆっくりで良いんだ、無理はしなくて良いんだ、と。
いやなものは、いやで良いんだ。
受け入れられないものは、受け入れられないで、良いんだ。

自分の速さで、歩いて行って、良いんだ、と。
励まされながら、日々、暮らしています。
必要以上に拒んでしまったり、頭や身体やこころが固くなったりしないように。
『自分なりの尺度で付き合う』ということを、大切に出来ればと思う。

やはり今年は、いろんなものごとに、出会いなおしていく一年なんだろうな、と思います。
自分が手にしているもの、周りのひとたち。
目の前のことや、自分の置かれている状況。
どんなものごとに対しても、ひとつずつ、自分なりに切り取って、感じたり考えたりしていけるといい。

このコミュニケーション下手も、どうやって、ましにしていこうかな。
もしかしたら、会話以外のコミュニケーションに頼っても良いのかもしれないし、言葉や文章以外の表現を求めているのかも、しれない。
ひとつひとつ、自分の頭で考えて、試してみて、最後までじっくり付き合っていこうと思います。


きっと、もっと、心から伝えたいことがあるんだろうな。
その本質に、すこしでも手を伸ばして、近付いていこうと思う。
暁の空に吹く風は、もう、冷たくなってきている。
夜が明けたら小さな舟に乗って、ひとりきりで旅に出よう。

十中八九、父親のことが大きいのだろう。
まだまだ不安定だなあ、と思うことがよくあるけれど、それは自分自身と対話するための、大切な時間でもある。

毎日、『同じこと』や、『違うこと』に、何度も気付きなおしてゆく。
あたらしい発見の連続は、終わりもないし、答えもない。
正しさも、悪も、他人も、一切存在しない。
自分と向き合うことは、こんなにも、ひとりぽっちで、気の遠くなるような果てしない作業なのだ、と。
今まで知っていたようで、まったく知らなかったのかもしれない。

だけれど、いま、いちばん為すべきことのような気がしている。
だから、まだしばらく、このままでいようと思う。
くるしいけれど、つらいけれど、必要なことだから、どことなく心地良く感じる。
大切な時間を過ごさせてもらっていることに感謝しながら、一日一日を大切に生きていきたい。


身体じゅうの熱が冷め切らない、夏、だもの。
炎天下のジェラートのように、音もなく、溶けていってしまいそうです。



追記:
お蔭様でzoozooseeのライブも無事に(?)終わりました。
観に来てくださった皆様、いつも本当にありがとうございます。
CDもたくさんの人に聴いてもらっているみたいで、深謝の限りです。

暫くは、大人しくしています。
また目立ったことをするときは、お報せします。

その際は、どうぞよろしくお願いいたします。



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