2016年3月18日金曜日

御自愛



夜がすこしずつ生ぬるい風を孕んで随分と息がしにくくなってきましたが、皆様如何お過ごしでいらっしゃいますでしょうか。
真昼の日差しは思わず目を細めてしまうくらい強くて、目を閉じると、昼と夜のあいだ、冬と春のあいだにひとり取り残されたような気持ちになる。
そう感じるのは私だけだろうか。


きょうはちょっとしたお知らせ、です。
この文章を書く前に、さみしくなる報せを聴いたので、もしかしたらすこし、テンションが低いかもしれない。(文体が暗いのはいつものことかもしれない)

もうすでにご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、4月からしばらく、大阪を離れようと思っています。
理由はすべて話せないけれど、大阪を離れることが、これからの自分にとって、いちばん良い選択だと思ってるからです。

いつも突然、驚かせてごめんなさい。
また落ち着いたら戻ります。
zoozooseeの音源も作りたいし、ライブもセッションもまだまだチャレンジしたいし、だいすきな友人たちにも、すくすくと大きくなるその子供たちにも、これから生まれてくるあたらしい命にも、もっともっと、たくさん会いたい。

去ることになってから恋しく思うなんて、とんだ阿呆だとは思いますが、べつに一生の別れではないから、会いたいひとには、その時々で、きちんと会いに行こう、そして、行きたいところには、行けるときに、きちんと行っておこうと、あらためて、強く思っています。

そのためにも、一度からっぽになりたい。
離れることで見えてくるものがあるということは、去年一年間でよくよくわかっているつもりですが、いろんなものごとに、出会いなおすためにも、一度思い切って距離を置いてみようと思います。


なんだか自分でも不思議なんだけれど、この選択をしたときから、心がすとん、と、している。
まるで、あらかじめ決められていたことのような気持。
このあとどうやって生きていくかは、すべて自分次第、それもまた、なぜだかとても、たのしみなのです。(この、怖がりのわたしが!)

生まれ育った土地を離れて、これからのことを決めずに、呼ばれるほうへ、導かれるほうへ、見えない大きな力に身をゆだねて、こころの赴くままに。
いいな、と思ったほうへ、ただ、漂っていくのが、いまの自分にとっていちばん心地良いことのようです。

やりたいと思えばやればいいし、やりたくないと思えばやめればいい。
好きなものは好きでいいし、きらいなものはきらいでいい。
そして、自分のことは自分で決めて、自分で最後までやる、そんな当たり前のことを自分に教えるために、すこしだけ旅に出てきます。

またちょこちょこ、帰ってくると思います。
変わらずお相手してくださると、とてもよろこびます。


本当ならお世話になったひとたちや会いたいひとたち、ひとりひとりのお顔を見て、お礼を伝えたり、ゆっくりお話しをしたかったのだけれど、慌しくしていると時間をうまく作れずに日付だけが過ぎて行ってしまい、とても残念に思っています。
もしよかったら、三月最後の土曜日に身内で集まる機会があるので、こんな私なんぞの顔を見に来たいと言ってくださる酔狂な方(!)がいらっしゃいましたら、ご連絡ください。

こちらからお声かけさせてもらっている方もいるのですが、連絡がぜんぜん追い付かないので、取り敢えずのお知らせ。
ただ、知人のされているカフェスペースを特別に貸し切らせていただいているので、もしかしたら人数の都合などで、お越しいただけない場合もあるかも知れませんが、そのときは、また帰ってくるまで、どうぞ気長に待っていてくださるとうれしいです。

もともとはこんな大々的にするつもりはなく、自宅で無料のガレージセールのようなものをするつもりだったのですが、案外たくさんの方がご興味をもってくださり、狭い自宅では皆様にくつろいでもらえない、と思い、知人に相談させてもらって、今回特別に場所をお借りすることができました。

いつも無茶なお願いを快く引き受けてくださる、とてもやさしくてだいすきなお姉さんが営んでいらっしゃる、すてきなすてきなお店。
お茶など飲みながら、ゆっくりくつろいでいただけると幸いです。
職場の方々も駆けつけてくれるそうで、大好きなひとたちにあたたかく見守ってもらいながら、最後にこういった場を設けさせてもらえることを、ほんとうに有り難く、しあわせなことだと思います。

旅先に持っていけないものを無料で提供していますので、なにか気に入るものがありましたら、あたらしい命を吹き込んでやってくださるとうれしく思います。
お日にちが近いですが、もしお時間よろしかったら、お気軽にいらしてくださいませ。
(お時間や場所などの詳細は、ご連絡くださった際にお伝えいたします)


さてさて、きょうも長くなってしまいましたが、いつも最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
ふと、今年は、いままでよりも、たのしくなる一年のような気がしました。
どんなことがあっても、たのしめる、自分がいるから。
たのしくしよう、と、自分で決めたから。
それはとても、おおきなことだと思う。

きっと、どんな場所に行っても、誰と一緒に暮らしても、変わらないものがある。
だからいま、行けるときに、いろんなところへ行っておきたい。
できるときに、できることをやっておきたいと思う。

やりたいことも、たくさんある。会いたいひとも、たくさんいる。
遠くにも、近くにも、ずっと見てくれているひとが、たくさんいることも、知っている。

それがどんなにしあわせなことなのか。
最近やっと、雪が雨に変わるように、氷が解けて水になるように、すこしずつ、身に沁みてわかってきたような気がします。

まだまだ未熟ものの私ですが、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
今月いっぱいはテ○ナのライブやら、ヒョッ○コのライブやら、前田○ゅうのお誕生日会やらで、その辺に出没する予定ですので、お見かけしましたらぜひ遊んでやってくださいね。(なぜ伏字)


それでは。また書きます。
ごきげんよう。




2016年3月15日火曜日

手の鳴るほうへ

すっかりブログをお休みしてしまいましたが、みなさまお元気されていらっしゃいますでしょうか?
わたしは元気に毎年恒例・春の不調シーズンに片足を突っ込みつつ、なんとか生き延びようと毎日足掻いているところです。

二月後半からの出来事を簡潔にまとめると、
・谷町四丁目を散策した
・鈴木さんとデートした
・zoozooseeのライブがあった
・くるみちゃん、airlieちゃんのライブを観に行った
・わかばにゃんとデートした
・久々にお菓子作りを失敗した
・わかばさんのワンマンライブがあった
・今年初めて着物を着た
・ある人たちとセッションのためのスタジオに入った
・パンパトロールをした

などなど。ちょっと満腹すぎるね。
ほんとは全部、詳しく書きたいんだけれど、そのうち、時間が許せば。

近頃は気分の浮き沈みが激しくて、環境の変化も多くって、参ってしまいそうです。
きょう、やっとすこし、恢復の兆しが見えたような気がしたけれど、まだまだ春はこれからだし、油断ならない感じがします。

とりあえず、羅針盤と上原ひろみさん、このあいだのセッションの音源を聴いている。
周りの人たちに救われて、辛うじて、ちいさく息ができている。
黒いはずの髪が、すこしずつ傷んでいく。

夜中にひとり、部屋に閉じ籠ってピアノを弾く時間だけが、私をこの世に繋ぎ止めてくれている。
上手く弾けなくて、何度も鍵盤と腕を殴る。冷たい白と黒に突っ伏する。
他人から与えられる孤独を識る。そして身を以て、向き合う。
これを乗り越えられないと、誰の傍にも居られないことを識っている。

昔の様に、ひどく鬱っぽくならないのは、その向こうに、共に生きていきたいひとが居るから。
縋りたいのではない、甘えたいのではない、ただ、心の底から、ほんとうに必要だなあと思えるひとが、待ってくれているから。

いまは、ひとりで、自分と戦っているところ。
弱い自分に負けないように。
何度も挑む。何度でも。

昔と違って、何があっても負けないぞ、という気概だけはある。
なんだか色んな事がよく見渡せるような気持ちになる。
ゆっくりと春は訪れ、枯れたと思っていた植木の枝から、ちいさな緑色がすこしずつ芽吹く。

いま、苦しいときだけれど、きっとかならず、辛いことの後には良いことが待っている。
この経験はただの痛みじゃない、かならず、経験して良かったと、思える痛み。
それを識っている。

すべての物事を受け容れられる、そんな気持ち。
だから、辛いことも、辛くない。
そんな気持ち。
それも識っている自分を、ほんのすこし、頼りに思った。

いまが、いままでの人生の、集大成。
今年が正念場、なんてね。ふとそう感じた。

五黄の寅年生まれの皆様、如何でしょう?

ちょっとしたお知らせがあるので今日はこの辺で。
またそのうち書きます。