2016年7月25日月曜日

夕闇と夕暮れのあいだに



暑中お見舞い申し上げます。
夏のてっぺんも過ぎゆくこの頃、まだまだ厳しい暑さが続きますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
街中の木々たちはそろそろ疲れた緑色をその葉にのせて、すこしだけ冷たい朝夕の風が秋の気配をうっすらと感じさせ始めている。

たまには本気の速度で文章入力をしないと、タイピング能力がなまってしまいそうで怖い。
知らない間にどんどん体力も筋力も落ちていくし、おしりのお肉なんかは、数年前から重力に逆らうことを完全に放棄しています。(応援はしている)
それでも毎日、無意識の中で息をしたり鼓動を打ったりしてくれている肺や心臓さんたちには、感謝の気持ちでいっぱいです。
いつもありがとう、おつかれさま。


先日、お友だちのお家にお邪魔して、美味しい手作りピザをいただき、ちいさなお子さんとたっぷり遊ばせてもらってきました。
二歳と三か月、体重は13kgの男の子。元気をたくさんもらいました。
ほんとに可愛いくて、とてもとても癒された。

子どもを可愛いと思う理由、無邪気でいい、とか、純粋だから、とかいう人もいると思うけれど。
私なら、未来があるから、と答える。
どんなふうに育っていくんだろう、と想像するだけで、わくわくする。
それだけで、かけがえのない、たからものをいただいているような、そんな気持ちになります。

それに、育児をしている両親の姿を見るのも、案外好きなのかもしれないと思った。
ご夫婦どちらとも、子どもを持つ前からのお付き合いなので、そんな二人がお子さんの前では父親と母親の顔になるのを見ているのも、なんとなく、和まされました。

普段はあまり聞かないような、いろんなお話をたくさん聞けて、とても楽しかった。
結婚指輪についての価値観も、衝撃的というか、目から鱗、でした。
私の周りの友人夫婦は中々に個性的で、皆それぞれ大切にしているものが違っていて、すごく素敵だし面白いなと思う。
その結晶である子どもたちも、皆それぞれに個性豊かに育っていくのだろうと思うと、とても楽しみです。

もっといろんなことを話したかったけれど、やっぱりお子さんの微笑ましい姿に目が行って会話が中断しちゃうのは、致し方ないのかもしれない。
(その中で要点を押さえてコミュニケーションできるスキルはまだないし、あったとしてもオチビチャンの可愛さには勝てないだろう)


それにしても、毎日育ち盛りの子どもと向き合っているお母さん、本当に大変だなあと思いました。
あんなに元気はつらつな生命体の相手をして、お買い物に行って、ご飯を作って、お掃除やらお洗濯やら、家のことを何から何まで片付けて、旦那さんともコミュニケーションをとって、親戚とも付き合って、家計のことも、将来のことも考えて…って、スーパーウーマンすぎる。
その中で、自分の時間を作るのなんて、果たして可能なんだろうか?
お出掛けしても、歩くスピードだって子どもに合わせてあげなくちゃいけないし、お家のなかでも、ゆっくりお手洗いにも行けない。
子育ては、私が思っている何倍も何十倍も、大変なんだろうなあと、実感し、心の底から尊敬した一日でもありました。

子どもを持つかどうかは別にして、私には、もうしばらく無理そうだな…。
まずは自分の面倒を自分で見られるようにならないといけないし、とりあえず、自分の身体を維持するための体力と筋力を付けたいと思います。(とくに腰)


最近、人とうまく話せないな、と思う時が多くなってきました。
ちょっとした会話が出来なかったり、うまく言葉が出てこなかったり、すぐに緊張したり混乱したりしてしまうような気がする。
どう感じている、だとか、どう思っている、だとかを、自分のなかでしっくりくる言葉を以て表せなくなってきたり、そもそも、どう感じているのだろう、と、わからなくなったり、するときもあります。

何も思わない、感じないならそれでも良い、と、自分に許可は出しているのだけれど、そういう訳でもなくて、思っていることを素直に口に出すことを、すこし恐れている。
一度怯えてしまうと、誰にも会わなくなりそうで、どこにも行かなくなりそうで、それもまた怖い。
そういうところでまだ、既成の概念に囚われている。

言葉を選ぶことに関しては、後からゆっくり反芻してみて、ああ、ほんとうは、こう思っていたのにな、こういう風に言いたかったんだろうな、と気付くことも、よくある。
昔は多すぎるほど言葉を詰め込んで、説明に説明を重ねていたけれど、この頃は言葉足らずだったなあと後悔することが多くて、コミュニケーション自体に、とても臆病になっているように感じます。


そんなときに、松浦弥太郎さんの文章がこころに沁み入るようで、思わず何度も読み返してしまう。
最近読んでいるのは、『あたらしいあたりまえ。』という一冊。

ゆっくりで良いんだ、無理はしなくて良いんだ、と。
いやなものは、いやで良いんだ。
受け入れられないものは、受け入れられないで、良いんだ。

自分の速さで、歩いて行って、良いんだ、と。
励まされながら、日々、暮らしています。
必要以上に拒んでしまったり、頭や身体やこころが固くなったりしないように。
『自分なりの尺度で付き合う』ということを、大切に出来ればと思う。

やはり今年は、いろんなものごとに、出会いなおしていく一年なんだろうな、と思います。
自分が手にしているもの、周りのひとたち。
目の前のことや、自分の置かれている状況。
どんなものごとに対しても、ひとつずつ、自分なりに切り取って、感じたり考えたりしていけるといい。

このコミュニケーション下手も、どうやって、ましにしていこうかな。
もしかしたら、会話以外のコミュニケーションに頼っても良いのかもしれないし、言葉や文章以外の表現を求めているのかも、しれない。
ひとつひとつ、自分の頭で考えて、試してみて、最後までじっくり付き合っていこうと思います。


きっと、もっと、心から伝えたいことがあるんだろうな。
その本質に、すこしでも手を伸ばして、近付いていこうと思う。
暁の空に吹く風は、もう、冷たくなってきている。
夜が明けたら小さな舟に乗って、ひとりきりで旅に出よう。

十中八九、父親のことが大きいのだろう。
まだまだ不安定だなあ、と思うことがよくあるけれど、それは自分自身と対話するための、大切な時間でもある。

毎日、『同じこと』や、『違うこと』に、何度も気付きなおしてゆく。
あたらしい発見の連続は、終わりもないし、答えもない。
正しさも、悪も、他人も、一切存在しない。
自分と向き合うことは、こんなにも、ひとりぽっちで、気の遠くなるような果てしない作業なのだ、と。
今まで知っていたようで、まったく知らなかったのかもしれない。

だけれど、いま、いちばん為すべきことのような気がしている。
だから、まだしばらく、このままでいようと思う。
くるしいけれど、つらいけれど、必要なことだから、どことなく心地良く感じる。
大切な時間を過ごさせてもらっていることに感謝しながら、一日一日を大切に生きていきたい。


身体じゅうの熱が冷め切らない、夏、だもの。
炎天下のジェラートのように、音もなく、溶けていってしまいそうです。



追記:
お蔭様でzoozooseeのライブも無事に(?)終わりました。
観に来てくださった皆様、いつも本当にありがとうございます。
CDもたくさんの人に聴いてもらっているみたいで、深謝の限りです。

暫くは、大人しくしています。
また目立ったことをするときは、お報せします。

その際は、どうぞよろしくお願いいたします。



2016年7月6日水曜日

七月の腫れ/骸の上



やるべきことがたくさんある、大体そんなときに限って体調を崩します。
力まず焦らず、のんびりいきなさい、と、誰かに言われているのかも知れない。

夏風邪に限らず風邪の治し方をいまひとつ理解していないので、
とりあえず身体を暖かくして、眠って、水分をたくさん採って、眠って、
汗をかいたら着替えて、というのを繰り返しています。
ようやく少しはましになって来たんだけれど、連鎖するように別の体調不良も到来してしまい、
湯たんぽのハリー君をスタンバイさせつつ、今年の下半期は瀕死状態で始まりました。


梅雨に入り、いよいよ夏も本番、皆様お元気にされていらっしゃいますでしょうか?
熱に魘されている間に、百箇日も、なんとか無事に終わりました。
四月五月と色々慌しくて何もできなかった分、また今月も、
月命日に合わせて、馴染みの居酒屋さんへ顔を出そうと思う。
(それまでにこのあいだ借りた分厚い歴史の本、読み切れるかしら)


さてさて、忘れないうちに告知を。
今週末、7月9日(土)に、zoozooseeのライブがあります。

場所 扇町Para-dice
開場 18:00
開演 18:30
前売 1000円(+お飲物代)
共演 バスクのスポーツ(東京)、ときめき☆ジャンボジャンボTRIO、タンタラズ、awl


我々は約5ヵ月ぶりのライブ。
前回ご一緒した東京のバンド、バスクのスポーツという恰好良いバンドさんも対バンです。楽しみ。
このあいだはベロベロに酔っちゃったから、今回はあまり飲みすぎないように、
私とりゅうちゃんとちはるくんの酒癖悪い3人の間では、協定を組んでいます。
果たして守られるのかどうか…りゅうちゃんは守らないだろうな…。

そしてなんと、はじめての音源を作っています。
個人的には最高にぼろぼろの時期に録音しましたが、
今回エンジニアもしてくれているベースちはるくんの敏腕MIXや、
ギター櫻井さんの超絶重ね技を駆使してもらったお陰で、
とてもいい音源に仕上がったと思います。

もちろん高山さんのクールでタイトなドラムも、りゅうりゅうの切ないボーカルも健在ですが、
音源にすることで歌詞が判るようになって、私とちはるくんにいじり倒されています。
私も少しだけコーラスを入れさせてもらった。久しぶりの声録り、面白かったです。
(ちはるくんはきっといいエンジニアさんになると思う)

4つの楽器の演奏を一発録りするのは難しかったけれど、
1つずつ重ねて録音していくのとはまたぜんぜん違って、ものすごく一体感が出ていて、
どの曲も雰囲気や空気をそのまま閉じ込めた、素敵な音源になりました。

CDのジャケットも、zoozooseeの元ドラム&元ベースのたいへいさんが描いてくれて、
こちらもバンドで奏でる音楽の世界観が表れた、すごく恰好良い絵で飾ってもらえることに。
元ベースのりょうさんも、子育てをしながらいつもあたたかく見守っていてくれているし(勝手にそう感じている)、
大好きなメンバーと一緒に、たくさんのひとの力を借りて生まれた音源を発表することができて、
心の底から、喜びを感じています。


そしてそんな愛に溢れた音源を、試聴することができます。
もしお時間良かったら、是非聴いてみてくださいね。

◎zoozoosee soundcloud↓
https://soundcloud.com/user-194121137/mix



とても居心地いい仲の良さを感じながら、その中で自分の音を表現できる幸せを感じながら、
いつものびのびと、自由気ままに、演奏をさせてもらっています。
昔みたいに、音楽を自分の生活の中心に置くことはなくなったけれど、
それでも、バンドや音楽に対する愛情には、一定の熱量があると思っている。

そうか、気持ちがなくなったわけじゃなくて、かたちが変わっただけなんだ。
いままで、それをうまく受け入れられなかったんだ。
ただ、それだけなんだ。

ああ、いま、ふと、すごく大切なことに気付けた気がします。笑
きょうはブログを書いていてよかったなあ、なんてね。



このところはずっと、やさしさについて考えています。
人の数だけ、やさしさの種類があるのだなあと、思わずにはいられない。
其処には、正しさも、悪もない。
ただ、いろんなかたちの、いろんなやさしさがあるだけ。

やさしい、やさしさ。
やさしくない、やさしさ。

やさしくしない、やさしさ。
やさしい人と思われたいがための、やさしさ。
やさしさに隠された、下心。
やさしくしていないのに、やさしさと思われてしまう、やさしさ。

言葉のはしっこや、微笑む口もと、投げかけられる目線、会話の空白から滲み出る、やさしさ。
並んで歩く距離や、手のひらの温度や、髪の触れ方でわかる、やさしさ。

そのひとの持つやさしさが、ぴったりと今の自分にあてはまるとき、
なにも不必要に甘えたり、寄り縋ったり、求めたり、しなくていいのだろうと思った。
自分自身や相手に不安になることも、それほどない。


いまの私は、これまでに出会ったことのないような、
想像以上に途方もないやさしさと出会って、躰も心も、身震いしています。
(そのせいで風邪をひいたのかも知れない、とさえ思う)

まるで、良く晴れわたった、見晴らしのいい丘の上に立って、心地よい風に吹かれているような。
遠くまで見渡すことができるその中で、地平線まで、ただひたすらに、
緑色した草原と、青い空が続いているような。

私もそんな丘のような、果てしない無償のやさしさに抱かれて眠り続けたなら、
すこしはやさしくなることができるのかしら。

(たまに、この空はどこまで続くのだろう、と思うときもあるけれど)


いつも、いろんなひとの、いろんなやさしさに、恵まれて、支えられて、生きている。
やさしさからたくさんのことを教わって、力を貰って、前を向くことができている。

出会ってくれて、ほんとうにありがとう。
やさしさ、は、そのひとそのもの、なのかも知れないね。


いろんな所に行って、いろんな景色を見て、いろんなものを生み出していけると良いね。
自分が変わっていくことを恐れずに、そのやさしさに、身を委ねていたい。

そう、身を委ねてもいいんだ、と思えたこと。
とてもとても、大きな変化だと思います。


とりあえず、週末のライブまでには体調を戻そう…久しぶりに、お菓子もたくさん作りたいし。
そろそろお饂飩以外のものも食べたいけれど、もうしばらくは、がまん。

しっかり休んで、ゆっくり眠ります。おやすみなさい。



2016年6月20日月曜日

敬天愛人



シンプルに暮らしていきたい、と、よく思います。

それなのに、知識ばかり詰め込もうとしている私の脳みそ(溢れかえる情報を詰め込むよりはましか、と思わなくもないけれど)、
好きなひとから教わることなら何でも、そのひとが生きている限り、
なるべく近くで感じながら、受け止めながら、過ごしていきたいと思う。

巷にあふれる有名なひとたちの言葉もすばらしいけれど、
しっかりと手を握って、ときには肩を抱き締めてくださって、
目と目を合わせながら、ひとつひとつの言葉を胸に届けてくれる存在がいること。
そこに、強く強く、生きているひとがいるということ。

身に余る享受だと、いつも思います。
どのように還元できるのだろうか、と思っても、良い知恵が浮かばなくて、
多分に、そわそわしています。

ひさしぶりに曲を作った。
それがどういう意味を成すかは、わからない。
ただの、ただの表現だということを、自分ではまだ、理解できないらしい。

もらった言葉のすべてを血肉にするには頭が足りないかもしれないけれど、
与えてもらったことは身体の中にすべて入り込んでこれからの私を造っていくだろう。
それは今までの経験や、今まで出会ったひとたちの存在も、同じこと。
言葉は、言葉でしかない。
気付いたのなら、そのことをたいせつにして、生きていきたいと思う。

今は、今でしかない。
そういうことです。

此処で、このように文章を書くということは、
文章では表しきれない想いを損なっているということ。
世界は万能ではない、もちろんこの身も。
一生のうちに会えるひとは限られているし、過ごす時間も限られていれば、行ける場所も限られているし、聴くことのできる音楽も限られている。
手に入れられるものも、交わす言葉も、触れる体温も、覗き込んだ瞳の奥も。

なんてね。
なんだか破廉恥。
いっとう好きなひとに於いては、その総てを曝け出すことは末までないから、余計に。


そういえば、久方ぶりに顔本を覗いたら、四月のお誕生日にメッセージをくださった方々がいらっしゃって、今日の今日まで気付かなくてすみません。
多大なる失礼を改めてお詫び申し上げます。
(ほんとうは暫くの間、アプリを消していました)

それでも、長いことお会していないひとと、電波ではあるものの言葉を交わして、身を案じ合うことにも、それはそれで癒されるものです。

お蔭様で、無事、三十路に成りました。
いつもいつも、あたたかく見守っていてくださって、本当にありがとうございます。
またご縁がありましたら、いつかどこかでお顔を拝見出来ると幸いです。



さて、順調に、後の片付けは終わっていこうとしている。
たまに、遣り切れないときもあるけれど、
自分を含めて誰のことをも責めないというスキルをこの二ヶ月半で会得したので、
それは自分の人生にとって大きなことのように思います。

泪を止めるな、と、云っていただいた。
泣きたいときは、思い切り泣け、がまんするな、と。

もう我慢はしないけれど、
贅沢は言わないように心掛けています。

ぜいたく。するかしないか、の話ではなくて、
贅沢かどうか、の話。

いつだって無い物強請りが過ぎる私には、このくらいが丁度良い。
自惚れないように、傲慢にならないように。


もう、どこにも戻らないし、どこにも行かない。
それで良いのだと思う。

私の目の前のことは、私の目の前にしか存在しない。
私の歩いてきた道は、私の後ろにしか存在しない。
そしてそのすべてを手放せるのは、自分しかいないこと。

その事実と、たいせつなひとたちのたいせつな言葉を胸に、これからも生きていきたい。




2016年6月19日日曜日

あなたのとりこ




愛に代わるものは、あるのでしょうか。
自分の内側にある烈しさが、幼いまま、かたちを成さぬまま、溢れてしまいそうです。

初めて過ごした、たいせつな一日も、失うことを恐れてしまっては、
ただ、その色が褪せていくばかりで、怖いような気もします。

もう、何も、もう、誰も、これ以上は。
悲しみに替わるものは、あるのでしょうか。


誰かが其処に、居るのでしょうか。
手を伸ばすことは、赦されているのでしょうか。


誰も答えを知らない。
死者は何も語らない。

何もないなら、何もないで良い。
不確かなものもすべて、何もかも、成仏してしまうと良い。

もうこれ以上、何にも、誰にも、
縋り付きたくないことだけは確かです。




2016年6月1日水曜日

鉄線花の下で



すっかりご無沙汰してしまいましたが、皆様お元気にしていらっしゃいますでしょうか?
季節はすっかり春を通り過ぎてしまって、蒸し暑い日が続いたり、一昨日までのようにぐずぐずした雨の初夏、昼夜の温度差などにやられ、私なんかは早目の夏バテを喫しています。


個人的な事柄ではありますが、三月の末に父が亡くなりました。
漸くふた月が過ぎ、振り返ると、怒涛、としか言いようのない日々を過ごして、まだ完璧に収束した訳ではないのですが、すこしずつ、ほんとうにすこしずつ、落ち着きを取り戻しているところです。

先日、久しぶりに友人とゆっくり会い、元気を沢山貰って、あらためて人と会うことの大切さを痛感しました。
自分のなかの生命力のようなものを、あっさり引き出してくれた友人に、こころから、感謝しています。
そして今日は、久しぶりに職場の方々とお会いして、お顔を拝見出来なかった方々とも連絡を取り合うことが出来てことが出来て、とても元気をもらいました。
また、あしたからも、がんばろうと思えた。
自分ひとりでは中々、この状態まで持ってくるのは難しかった。

この二ヶ月間にあった出来事と向き合っていくのには、まだすこし、時間がかかりそうです。
ほんとうに様々な事があって、未だに混乱している部分もあるのだけれど、こうして、また、文章を書く行為を選んだ自分を、こっそりと、褒めてあげたい。


皆、一生懸命、生きているのだなあ、と。

何かの折々、そう感じました。
至極当たり前のことなのだけれど、目が覚めるような事実のように感じた。
(私はまだ一歩踏み出せないでいる)


きょうから六月、いろいろな想いを胸に、また、あたらしく、積み重ねて、あたらしく、つくりだしていけるといいなと、思います。
終わったことに目を向けないで、前を向いて生きていく強さが、欲しい。
何度失っても、何度別れても。

性も懲りずに、
また、人に沢山、出会いたい。




2016年3月18日金曜日

御自愛



夜がすこしずつ生ぬるい風を孕んで随分と息がしにくくなってきましたが、皆様如何お過ごしでいらっしゃいますでしょうか。
真昼の日差しは思わず目を細めてしまうくらい強くて、目を閉じると、昼と夜のあいだ、冬と春のあいだにひとり取り残されたような気持ちになる。
そう感じるのは私だけだろうか。


きょうはちょっとしたお知らせ、です。
この文章を書く前に、さみしくなる報せを聴いたので、もしかしたらすこし、テンションが低いかもしれない。(文体が暗いのはいつものことかもしれない)

もうすでにご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、4月からしばらく、大阪を離れようと思っています。
理由はすべて話せないけれど、大阪を離れることが、これからの自分にとって、いちばん良い選択だと思ってるからです。

いつも突然、驚かせてごめんなさい。
また落ち着いたら戻ります。
zoozooseeの音源も作りたいし、ライブもセッションもまだまだチャレンジしたいし、だいすきな友人たちにも、すくすくと大きくなるその子供たちにも、これから生まれてくるあたらしい命にも、もっともっと、たくさん会いたい。

去ることになってから恋しく思うなんて、とんだ阿呆だとは思いますが、べつに一生の別れではないから、会いたいひとには、その時々で、きちんと会いに行こう、そして、行きたいところには、行けるときに、きちんと行っておこうと、あらためて、強く思っています。

そのためにも、一度からっぽになりたい。
離れることで見えてくるものがあるということは、去年一年間でよくよくわかっているつもりですが、いろんなものごとに、出会いなおすためにも、一度思い切って距離を置いてみようと思います。


なんだか自分でも不思議なんだけれど、この選択をしたときから、心がすとん、と、している。
まるで、あらかじめ決められていたことのような気持。
このあとどうやって生きていくかは、すべて自分次第、それもまた、なぜだかとても、たのしみなのです。(この、怖がりのわたしが!)

生まれ育った土地を離れて、これからのことを決めずに、呼ばれるほうへ、導かれるほうへ、見えない大きな力に身をゆだねて、こころの赴くままに。
いいな、と思ったほうへ、ただ、漂っていくのが、いまの自分にとっていちばん心地良いことのようです。

やりたいと思えばやればいいし、やりたくないと思えばやめればいい。
好きなものは好きでいいし、きらいなものはきらいでいい。
そして、自分のことは自分で決めて、自分で最後までやる、そんな当たり前のことを自分に教えるために、すこしだけ旅に出てきます。

またちょこちょこ、帰ってくると思います。
変わらずお相手してくださると、とてもよろこびます。


本当ならお世話になったひとたちや会いたいひとたち、ひとりひとりのお顔を見て、お礼を伝えたり、ゆっくりお話しをしたかったのだけれど、慌しくしていると時間をうまく作れずに日付だけが過ぎて行ってしまい、とても残念に思っています。
もしよかったら、三月最後の土曜日に身内で集まる機会があるので、こんな私なんぞの顔を見に来たいと言ってくださる酔狂な方(!)がいらっしゃいましたら、ご連絡ください。

こちらからお声かけさせてもらっている方もいるのですが、連絡がぜんぜん追い付かないので、取り敢えずのお知らせ。
ただ、知人のされているカフェスペースを特別に貸し切らせていただいているので、もしかしたら人数の都合などで、お越しいただけない場合もあるかも知れませんが、そのときは、また帰ってくるまで、どうぞ気長に待っていてくださるとうれしいです。

もともとはこんな大々的にするつもりはなく、自宅で無料のガレージセールのようなものをするつもりだったのですが、案外たくさんの方がご興味をもってくださり、狭い自宅では皆様にくつろいでもらえない、と思い、知人に相談させてもらって、今回特別に場所をお借りすることができました。

いつも無茶なお願いを快く引き受けてくださる、とてもやさしくてだいすきなお姉さんが営んでいらっしゃる、すてきなすてきなお店。
お茶など飲みながら、ゆっくりくつろいでいただけると幸いです。
職場の方々も駆けつけてくれるそうで、大好きなひとたちにあたたかく見守ってもらいながら、最後にこういった場を設けさせてもらえることを、ほんとうに有り難く、しあわせなことだと思います。

旅先に持っていけないものを無料で提供していますので、なにか気に入るものがありましたら、あたらしい命を吹き込んでやってくださるとうれしく思います。
お日にちが近いですが、もしお時間よろしかったら、お気軽にいらしてくださいませ。
(お時間や場所などの詳細は、ご連絡くださった際にお伝えいたします)


さてさて、きょうも長くなってしまいましたが、いつも最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
ふと、今年は、いままでよりも、たのしくなる一年のような気がしました。
どんなことがあっても、たのしめる、自分がいるから。
たのしくしよう、と、自分で決めたから。
それはとても、おおきなことだと思う。

きっと、どんな場所に行っても、誰と一緒に暮らしても、変わらないものがある。
だからいま、行けるときに、いろんなところへ行っておきたい。
できるときに、できることをやっておきたいと思う。

やりたいことも、たくさんある。会いたいひとも、たくさんいる。
遠くにも、近くにも、ずっと見てくれているひとが、たくさんいることも、知っている。

それがどんなにしあわせなことなのか。
最近やっと、雪が雨に変わるように、氷が解けて水になるように、すこしずつ、身に沁みてわかってきたような気がします。

まだまだ未熟ものの私ですが、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
今月いっぱいはテ○ナのライブやら、ヒョッ○コのライブやら、前田○ゅうのお誕生日会やらで、その辺に出没する予定ですので、お見かけしましたらぜひ遊んでやってくださいね。(なぜ伏字)


それでは。また書きます。
ごきげんよう。




2016年3月15日火曜日

手の鳴るほうへ

すっかりブログをお休みしてしまいましたが、みなさまお元気されていらっしゃいますでしょうか?
わたしは元気に毎年恒例・春の不調シーズンに片足を突っ込みつつ、なんとか生き延びようと毎日足掻いているところです。

二月後半からの出来事を簡潔にまとめると、
・谷町四丁目を散策した
・鈴木さんとデートした
・zoozooseeのライブがあった
・くるみちゃん、airlieちゃんのライブを観に行った
・わかばにゃんとデートした
・久々にお菓子作りを失敗した
・わかばさんのワンマンライブがあった
・今年初めて着物を着た
・ある人たちとセッションのためのスタジオに入った
・パンパトロールをした

などなど。ちょっと満腹すぎるね。
ほんとは全部、詳しく書きたいんだけれど、そのうち、時間が許せば。

近頃は気分の浮き沈みが激しくて、環境の変化も多くって、参ってしまいそうです。
きょう、やっとすこし、恢復の兆しが見えたような気がしたけれど、まだまだ春はこれからだし、油断ならない感じがします。

とりあえず、羅針盤と上原ひろみさん、このあいだのセッションの音源を聴いている。
周りの人たちに救われて、辛うじて、ちいさく息ができている。
黒いはずの髪が、すこしずつ傷んでいく。

夜中にひとり、部屋に閉じ籠ってピアノを弾く時間だけが、私をこの世に繋ぎ止めてくれている。
上手く弾けなくて、何度も鍵盤と腕を殴る。冷たい白と黒に突っ伏する。
他人から与えられる孤独を識る。そして身を以て、向き合う。
これを乗り越えられないと、誰の傍にも居られないことを識っている。

昔の様に、ひどく鬱っぽくならないのは、その向こうに、共に生きていきたいひとが居るから。
縋りたいのではない、甘えたいのではない、ただ、心の底から、ほんとうに必要だなあと思えるひとが、待ってくれているから。

いまは、ひとりで、自分と戦っているところ。
弱い自分に負けないように。
何度も挑む。何度でも。

昔と違って、何があっても負けないぞ、という気概だけはある。
なんだか色んな事がよく見渡せるような気持ちになる。
ゆっくりと春は訪れ、枯れたと思っていた植木の枝から、ちいさな緑色がすこしずつ芽吹く。

いま、苦しいときだけれど、きっとかならず、辛いことの後には良いことが待っている。
この経験はただの痛みじゃない、かならず、経験して良かったと、思える痛み。
それを識っている。

すべての物事を受け容れられる、そんな気持ち。
だから、辛いことも、辛くない。
そんな気持ち。
それも識っている自分を、ほんのすこし、頼りに思った。

いまが、いままでの人生の、集大成。
今年が正念場、なんてね。ふとそう感じた。

五黄の寅年生まれの皆様、如何でしょう?

ちょっとしたお知らせがあるので今日はこの辺で。
またそのうち書きます。

2016年2月21日日曜日

球根



きょうは気持ちが良いお天気でした。
お日さまからの日差しはだんだんと春のそれへ変化してきているのに、夜に吹く風の温度はまだすこし冷たくて気持ちが良い。
帰り道に通る公園のにおいに、春のにおいが混ざっていて、なぜだか胸が苦しくなりました。
(お昼間には右翼の方と警察がたくさんいて、なぜだか思わず笑ってしまったけれど)


最近、目覚ましをかけている時間より早くに自然と目覚めることが多くて、二度寝をせずにそのまま起きるようにしているのですが、だいたい6時半くらいに目が覚めるのに、いつの間にかすこしずつ早くなってきて、今朝はついに5時台に起き出してしまった…もはや、おばあちゃんだなあ…。
いつもは冬の朝が寒くて布団から出るのが苦手なのだけれど、今年は暖冬も手伝ってか、案外一度目覚めたらそのまますんなり起きられるのも、早起きが楽しい理由かもしれない。

きのうは一日じゅう、雨。
パン屋さんで働いている同僚の方のお家のガレージで、朝からお野菜市をすると教えてもらったので、家から歩いて40秒のお家へお邪魔しに行きました。
スーパーなどではなかなか見かけないような種類のお野菜や、いびつだけれど大きな大根、しっかりした葉がついているキャベツ、まだ土のにおいがするんじゃないか、と思えるほど、ワイルドでのびのび育てられたのが伝わる野菜たちが、とにかく、安い!!
ちいさくてかわいいじゃがいも、たくさん入って100円だったり。
いちばん小さなものを選んで買ったつもりの150円の水菜も、袋から出してみたら、わさ~っとして、あれ、食べきれるかしら…なんて思ったり。

こちらは、和歌山の農家さんが、毎週土曜日にお野菜を売りに来られているそうです。
場所は、らきせぶさんの、二件右隣のお家のガレージで、8時くらいから10時くらいまで、お店を出されているそうです。
まだ8時過ぎなのに続々と人が集まってきて、籠いっぱいに野菜を買っていく、買っていく…。
わたしも8時前に行ったのですが、その日はもうすこし早めからお店を出していたそうで、じゅうぶんたくさんの種類があったように思っただけれど、朝いちばんはもっともっといっぱいあったそうです。
次はもうすこし早く行ってみようかな~。


そして今朝は、歩いて30秒のところにある、FUKUのシフォンケーキという美味しいシフォンケーキ屋さんのモーニングを母と食べに行きました。
FUKUさんのつくるシフォンケーキは、平飼いの卵を使ったりと素材にもこだわっていらっしゃって、ふわっふわで美味しくて親子で大ファンなのですが、モーニングのお料理も、すっごく美味しかったです。


お店は一つのテーブルで6席、小さくてかわいくて、これまたかわいらしいお庭もあって、細かいところまで気を配られていて、久しぶりにゆっくりとくつろぐことのできる空間でした。
九か月の赤ちゃんを連れたご夫婦もいらっしゃっていて、まったりとお話しもさせてもらいつつ、母とこれからのことについて話したり。贅沢な朝のひとときを過ごさせてもらった。
ちかくにすてきなお店があるのって、いいですね、こじんまりとしている佇まいがまた、いいと思います。

FUKUさんのシフォンケーキ、いつもは木曜~日曜までテイクアウトをされていますが、日曜日の9時~11時だけ、モーニングをされているそうです。
選べるお飲み物も種類がたくさんあって、モーニングで飲むことのできる紅茶やハーブティーは、お店で販売もされています。
もちろんいつものシフォンケーキも、その季節ごとの素材をつかったラインナップがそろっていました。

場所は谷町六丁目の一番出口から歩いてすぐ。
味のある細い路地を通るとかわいらしいお店に辿り着けます。
もともとポコペンがあった場所、といえば、わかるかな?
ちなみに、何度か書いているかと思いますが、ワニのライブやイベント、美術会のときにも出させてもらっていたので、食べたことがあるひともいるかもしれないです。

ふんわり、もっちり、やわらか天使のシフォンケーキ。
もし谷町にいらっしゃることがあればぜひ買いに行ってください。
FUKUさんも、とてもすきな方です。

◎FUKUのシフォンケーキ
https://www.facebook.com/fuku29cake


あとから聞いたのだけれど、ご相席させていただいたご夫婦さんも、『整体と暮らしのギャラリー nara』というお店の方らしく、わたしはまだ行ったことがないのだけれど、難波宮跡公園のすぐ近くにあるみたいです。
谷町はまだまだ面白いところがあるなあ、今度ぜひ行ってみよう。


3/12~3/27までnaraさんで開催される、うつわの二人展。
このフライヤーのお料理も、FUKUさんの手作りだそうです。
めちゃめちゃおいしそう…!!


なにげに、19日のワニさん珈琲がきになります。笑
左側の作家さんのうつわは、FUKUさんのお店でも出されていて(モーニングのハーブティーのマグカップ)、とてもすてきでした。
引っ越し前で荷物あんまり増やしたくないけれど、かわいい…。


なんて、地域密着なこの数日でした。
お仕事もバタバタでとても忙しかったけれど、いろんな人に助けてもらいながら、なかなかたのしく過ごさせてもらっています。

そしてついに!パン屋さんのブログを開設するよ!!
…と思って、せこせこと作業していたんだけれど、意外と下準備がむずかしくて、さらにパソコンちゃんの作業効率も悪くて(冬だからかな?)、若干、心が折れかかっております。
公開はもうすこし先になりそうです。楽しみにしてくださっていた方がいらっしゃったら、すみません。
そのかわり、あしたもパンパトロール(パン屋さんめぐりのことをそう名付けた)するし、内容はそこそこ充実したものになるんじゃないかな…??と、こっそり思っています。
来月中には公開したいです。乞うご期待。


一月、二月と、忙しいながらも、ひとつひとつ自分のペースで築いていったり、歩いていったりできるのは、自分の周りのひとたちのおかげさまだと、思っています。
直接そばにいるだけじゃなくって、遠くのひと、ご無沙汰してしまっているひと、もう会えないひとにも、いつも元気や勇気をもらっている。

でも、いちばんは。
いままで、いろんなことがあったけれど、それを乗り越えていまここに立っている自分が、いちばん、自分のことを、いちばんそばで応援している、そんな心持です。

じぶんが、じぶんの、相棒。
それってなんだか、いいなあと思う。

だってそれなら、どこにいたって、どこに行ったって、へいき。
これから、どんなことがあったって、へっちゃらだもんね。


たのしいこと、おもしろいこと。
見つけていこう、生み出していこう、わけあっていこう。
わたしはいま、ものすごーく、生きているのだなと。
毎日そう感じています。
そしてそれは、とてもとても、しあわせなことだと、有り難く受けとめている。

これほど情熱的になれる冬の終わりは、はじめてかもしれない。
春を待つ木の芽や、土の中の球根みたいな気持ち。


あなたにも、すてきな春が訪れますように。
季節の変わり目ですので、どうぞご自愛くださいね。

ではまた。



2016年2月18日木曜日

ぼくの街



先週は今年に入っていちばん忙しかった一週間だったのではないでしょうか。
無事に(個人的)バレンタインデーウイークが終わって、やっと一息ついているところ。
もうしばらく、甘いものは作りたくない…。(と言いつつ、来週末はラストスパートが待っている)

日差しがだんだんと暖かくなってきて、そろそろ冬も終わりかけのような気配がしますが、昨日の午後は大阪も雪が降っていてとても寒かった。
今年は雪を見ないまま冬が終わるのかと思ったのだけれど、最後の最後で会えてよかったと思います。


きのうはzoozooseeのスタジオでした。
久しぶりに甘くない差し入れを。はじめて作る、ほうれんそうのキッシュ。
土台のパイ生地がとても上手に出来たのでよかった。
余った材料で家族の分も作った。なかなか好評でうれしかったです。
バレンタインにプレゼントしたお菓子も美味しかったと言ってもらえました。よかよか。

練習は毎度毎度、とてもたのしい。なんなら、まいにちスタジオでもいいと思う。
最近ドラムを叩くのが楽しくて、お仕事帰りにスタジオに入っているという高山さん、この二週間ぐらいでさらにタイトなドラムになっていてすごかった。
櫻井さんはまだエフェクターが馴染んでいないみたいで、迷っている音がしていたれど、それでもギターソロはめちゃくちゃ恰好良くてずるいし、ちはるくんのベースラインも、どんどん動いて遊んできて、毎回あたらしい一面が見られるのがたのしい。
そして我らがボーカルのりゅうちゃんは、すこうしずつ、太ってきているようです。

わたしはちょっとここのところ練習不足、基礎練習よりも曲の練習をしなくちゃ。
zoozooseeのライブは来週末の2月28日、来てくださった人にはささやかですがお菓子をご用意しております。
扇町Para-diceで、出番は20時くらいからみたい。
どうぞお気軽に遊びに来てくださいね。
(その日みんなでライブ前に飲みに行くのもたのしみだ)


スタジオに行く前に、近くの電気屋さんへ腕時計のベルト交換に行きました。
いままであちこち見に回ってもあんまり気に入るものがなくて、延ばし延ばしにしていたけれど、電気屋さんなんていう思わぬところで発見できた。
時計自体は、母からもらった、すこし思い入れのあるものなのですが、新しいベルトが腕にも時計本体にもよく馴染んでいて、目に入るたびにしあわせな気持ちでいっぱいになります。
先週末、すこしがんばったごほうび。今月もあと半分、がんばろう。


なんだかんだで、ゆっくり、というか、自分のペースで、まいにち過ごさせてもらっています。
春を待つ木々の芽のように、すこしずつ、いろんなことが準備されていって、わたしはただ、導かれるままに、呼ばれるほうへ、前を向いて、歩いていくだけ。
肩の力を抜いて、やさしい気持ちで笑顔でいれば、心が自然と、必要なものを選んでくれるのだと、そう思っています。

こんなふうに毎日を過ごせるのが、ほんとうにうれしい。
いろんなことに、ありがとうを、そっと言いながら、好きな歌を口ずさみながら、過ごしていこうと思います。


きょうは短めだけれど、こんな感じー。
春になったら、はじめてひとりで、録音に挑みます。
やさしくて頼れるエンジニアさんが、とてもていねいにサポートしてくれて心強いです。

ほんとうに、善いひとたちに囲まれて、ありがたいことです。
甘えないように、じぶんの力で、やっていこう。


週末はついに、パンのブログを開設するよー
(ひさびさ泳ぎにも行きたい)

それもたのしみ、ほんと、たのしみがいっぱいでうれしいな。
それではまた、三日後に。


2016年2月9日火曜日

口内炎



ひさびさにできたニキビとともに、右上唇の裏側という大変難儀な場所に口内炎が出来てしまって、とても痛いです。
きょうは友人へ送るバレンタインのお菓子を作って、お手紙を書いた。
あしたもお菓子を焼く、あさっても職場の皆で集まってお菓子を焼く、しあさってもお菓子を焼いて送る。
しばらく部屋や髪や指先から、甘い匂いが消えなさそうです。
(そして甘いものを味見しすぎてニキビが悪化しそう)


きのうはふと目が覚めたら朝の五時過ぎで、いつもは八時くらいに起き出すのですが、そんな朝早くにもかかわらずなぜか眠たくなくて。
早起きと言えば散歩だろう、と、そのまま起きて、大阪城公園へ歩いて行きました。
道すがら、朝練なのか大学生と思わしき二人組が楽しそうに走って行ったので、わたしも真似して、ダウンジャケットにホワイトジーンズだったけれど、すこし走ってみました。
気温がだいぶ低くて息も真白だったけれど、朝日がとても気持ちよかった。

おかげできょうは筋肉痛、足の付け根と腰が痛いです。
やっぱり走るのはまだ、腰に大きい負担がかかるのかもしれない。
代わりに水泳があるから平気、あしたも調子がよければ泳ぎに行くつもりで今から楽しみです。


先週、とある女の子から連絡をいただいて、わたしがsoundcloudに載せている『きせつの通りみち』という曲を、自分のライブでカバーしたい、と言っていただきました。
一度、ワニのライブで岡山へ行ったときに、観に来てくれた女の子。
たくさん聴いてもらっていることを嬉しく思いながらも、作った本人があまり歌ってあげられていないなあと思って、曲に対してすこし申し訳なくなった。

今年はこの曲を、録音してあげたいと思っています。
もうすこし暖かくなってからですが、いまいちばん大好きな、音を作るひとにお願いしようと思っているところ。
この深い息のまま、のびのび歌えるといい。

そして、もしお好きな方がいらっしゃたら、この曲、自由に歌ってあげてください。
こちらに歌詞を載せています。

『きせつの通りみち』
歌詞
soundcloud(ラフ録の音源が試聴できます)

※もし人前で演奏されるなどするときは、いちおう、作曲者の名前だけでもひと言添えてくださると、とても有難いです。
(宣伝してほしいのではなく、著作権として、ですので、よろしくお願いいたします)


きちんとした音源ができたら、コードを載せたり、ギターを弾いているところの映像なんかも、シェアできるといいと思っています。
作った曲をかたちにするのはもちろん大切だけれど、かたちにしたものをライブで演奏したり、音源にしてお金をもらったり、という以外の、音楽を伝える方法について、すこし考えているところです。
楽しいことを思いついたら、ぜひ、一緒に遊んでくださるとうれしいです。


もう眠たくて限界、ほぼ目が閉じている。
今朝もなんだかんだで六時過ぎに自然に目が覚めた。

あしたは何時に目が覚めるのだろうね。たのしみ。



きせつの通りみち




わたしの恋人は さくら通り 春の色
よごれきった わたしのために うたう あなたの声
わたしのふるさとは こはく通り 秋の風
つかれきった わたしの髪を なでる あなたの指

かえりみち つなぐ手と手
オレンジの坂を下りる
わけもなく さみしい歌 うたいたくなるのはなぜ
おだやかに 沈む夕日
ふたりはそっと黙り込む
誰も来なくてもひとりで待っている
あのちいさな 犬はいない

わたしの恋人は しずく通り 夏の雨
かわききった わたしのこころ ぬらす あなたの影
わたしのふるさとは たき火通り 冬の空
こごえきった わたしのからだ つつむ あなたの腕

わたしの恋人は さくら通り 春の色
よごれきった わたしのために うたう あなたの声
わたしのふるさとは こはく通り 秋の風
つかれきった わたしの髪を なでる あなたの指

ぬらす あなたの影
つつむ あなたの腕

うたう あなたはどこ



2016年2月7日日曜日

ルネサンス



今朝が早かったという言い訳のもと、きのうのブログをお休みしたことはさらりと流していただくとして、今日もたくさん歩いてくたくたなので、なるたけ簡潔に終わらせたいと思います。
そう、いつも時間の許す限りだらだらだらと書いているから、たまにはこういう日もいい。

二月になってそろそろ、来週末のあのイベントに向けてチョコレートを準備していらっしゃるご婦人もたくさんいらっしゃるのではないでしょうか?
わたしも数日前から、バレンタインデー手作りウィーク2016が始まりました。

今年、はじめに作ったのはガナッシュのタルト。
タルト型がなかったので、紙製のカップで作ってみたらカップが広がってしまい、思ったより大きくなってしまった。(1個でだいぶお腹いっぱい&糖分とりすぎになっちゃったんじゃなかろうか…)
長いことお顔を拝見出来ていない母の友人と、わかばさんに、オートミールのクッキーと一緒にプレゼントしました。

去年の秋以来、お会いできていなかったわかばさん、関西へ帰ってきた新幹線からのそのまま、荷物もたくさんなのにデートしてくれました。
ひさびさにおしゃべりできて、とってもたのしかったです。


わかばさんとお話しすると、心の底から、元気になれる。
和田アキ子風に表現すると『希望のにおいがする』、そんなひと。
なんでなんだろう、と考えてみたのですが、きっと、自分自身に対しても、周りに対しても、嘘がないからだと思う。
そして自分自身がやりたいことを思い切りやっているから。
だから接していて、とてもすがすがしい。

彼女と話しているといつも、自分のこころや感性が開いていくのを感じるのは、きっと私のことを一人の人間として見てくれているからだと思います。
だからいつも自然な、嘘のない気持ちになれるし、自分の気持ちに対して正直になろうと思わせてくれる。

やりたいことや、こころの奥に閉じ込めてしまっているものに、無理矢理火をつけるのではなくて、もともと燻っている火に自然な風を送り込んでくれる。
(そう感じるということは、無意識のうちに自分で自分を一人の人間として見れていなかったり、いろんなものを閉じ込めてしまっているのかもしれない)

ここ数日、すこし弱気になったり、摩耗していたこころのなか、とても良い活力剤になってくれました。
ほんと、好い人に、好いタイミングで再会させてくれる。

そしてもう一人、以前ブログで書いたかと思いますが、とある紳士と共通の知り合いのマダムに、先月から片手で数えられるほどしか出勤していないパン屋さんで、偶然再会できました。
細い腕で力強く抱きしめてもらって、ほんとうれしかった。

どうして神さまは、いつも私が敗けそうになるときに、ちゃんと好きなひとに会わせてくれるんだろう?と、感動して、半泣きでパンを袋に詰めていました。(鼻水入ってたらごめんなさい)
いつもどこから見ていてくれているんだろう。
ほんとうに、ありがとう。

きょうは早起きで朝からお仕事だったんだけれど、思ったより時間があったので、職場がある土佐堀まで、歩いて出勤しました。
いつもは自転車で通っているサラリーマンの街を、日曜日なので独り占めしながら気分よく歩いていたら、途中、本町でものすごく懐かしいパン屋さんを見つけて、なんとも言えない気持ちになった。
なにか、言葉にできない、込み上げるものがあって、思わず泣きそうになったんだけれど、ふと時計を見るとけっこう遅刻寸前だったので、走った末に汗だくで出社しました。

これからもいろんな街を通って、いろんな風景を見ていくのだと思った。
わすれないでいたい景色、わすれてしまいたい景色、知らず知らずにわすれてしまった景色。
長く生きていくぶん、たくさんの風景を、人を、出来事を、通り過ぎていく。

いまは、できるなら、もっと、目の前のこと、目の前のひとのことを見ていたいです。
すこしずつですが、いろんなことがかたちを帯び始めて、良い方向へ、向かっていくと信じています。
一枚の葉書、一通のメッセージ、ふと目にした本の一頁。
周りのひとたちや物事には、いつも助けてもらってばかりだ。


今年の初め、一月から意識し始めたことについても、引き続き心を込めて深い呼吸、うつくしい姿勢を意識して、目を見て会話することをおざなりにしないよう心がけて、なるべく、相手の土俵に立っていられるように。
二月は、じぶんのために、えがおでいることを、もう一度。
昨年の十月には自然と出来ていたことだから、思い出して、心がけようと思います。

そして、だいすきなほぼ日から、『夢に手足を。』というキーワード。
この言葉、なんだか、希望のにおいがする。最近のお気に入りの言葉です。

さいごにもうひとつ。
なにがあっても負けないぞ、と、自分に言い聞かせている。
そのことを、わすれないでいようと思う。


毎度毎度、内省的で暗い内容の多いブログですが(タイトルからしてダーク)、ただいま、パン屋さん食べ歩きブログも開設準備をしているところなので、そちらもよかったらたのしみにしていてくださいね。

あした、2月8日の扇町Para-diceに、影野わかばさんのライブがあります。
私はお仕事で行けないんだけれど、もしお時間合いましたらぜひ足をお運びください、かならずすてきな夜になると思います。


吁、けっきょくなんだか長くなってしまったけれど、どんまい。
次回の更新は明後日か…もしかしたら夜通しでお菓子を作っているので、更新できるか今から不安ですががんばります。

本日もお付き合いいただきましてありがとう。
おやすみなさい、いい夢を。



2016年2月3日水曜日

月とはりねずみ



あたらしい月になりました。
相変わらずまいにち寒い日が続きますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか?

去年から割とほぼ毎日、夏以外の季節は湯たんぽのお世話になっています。
長年愛用して、この冬はカバーまで作った湯たんぽちゃんが先月水漏れを起こしてしまってご臨終となったので、母が持っていたAfternoonTeaの湯たんぽを使わせてもらっています。

ハリネズミのカバーに入っていて、使い始めのうち、ハリネズミにあまり思い入れもなく、ほんとはもう一種類ヒツジのカバーもあったのも知っていて、どちらかというとヒツジのほうが好きなので「チェッ、ハリネズミか…」という感じでクールに取り扱っていたのですが、一緒にいる時間が長いと絆されてしまう性格も手伝って、最近は「ハリー」と名前まで付けて会話するほど溺愛状態になってきました。

ちなみに、他にもキツネの顔の付いた帽子「コンちゃん」と、水色のクマの顔面がポーチになっている「クマちゃん」が家にいるので、新参者のハリーはみんなとも会話して遊んでいます。
みんな声のトーンが高いから、演じ分けが大変なんだよね~。

…ハッ、読んでくれている人たちの冷たい視線を感じる…。
イタすぎる三十路前ということは、うん、重々承知しているよ…。

お人形と話す癖(!)はそろそろ卒業したいな、と思っているんだけれど、案外身近にお人形を介して家族と会話する変態がいたり、その変態とお人形を介して会話したりしているので、なかなか癖が抜けないのです。(THE責任転嫁)
ワニのいる生活をやりはじめて、ワニちゃんと話すようになる前まではそんな癖なかったと思うんだけどなあ…。
おかしいな、私の人生どこで間違えた…。


さて、ハリー君(男の子なんかい!)の話は置いといて、もともと母親との二人暮らし、いまは姉も帰ってきて三人で暮らしているこの谷町の小さなお家。
私以外の二人がまあほんとに家事をしなくて、とくに掃除なんかは私7割、母2.5割、姉0.5割といった感じなのですが、先週から掃除をルーティンワークにしてみました。

具体的には、曜日ごとにどこを掃除するか割り振りを決める、という簡単なことで、たとえば月曜日は水回りと玄関に掃除機をかける、火曜日はコンロのお掃除、水曜日は廊下と自分の部屋に掃除機をかける・トイレのお掃除、みたいな感じ。

いままで、それを決めてしまうと、『決めたことができないストレス』に苛まれるんじゃないか、やらないといけないことをできていないことがプレッシャーになるんじゃないかと危惧して敢行できなかったのですが、いざ実践してみると、どうでしょう。
『決めたことができないストレス』よりも、『決めたことをクリアできたときの快感』のほうが上回って、今週も引き続き、実践しております。

これはちょっと、目からウロコだぞ。
大袈裟に言うなら、人生観が変わるほどの大発見のよう。
いままで勿体無いことしていたなあ、と思います。
それに加えて、自分の性格との付き合い方も、ちょっと、考え直すきっかけになりそうです。

去年に引き続いて、他人との関わりの中で自分に対する気付きや発見が沢山あって面白い。
ひとつずつ目を凝らしてよく見ていく、その中で、いままで出来なかったことができるようになったり、他人のことがよく見れたり。
気持ちの上での変化も、自分を観察しているととても楽しい。とくに人との付き合い方。
今年はどんどん、ひとりでもだいじょうぶ、な人になっていきたい。


どこかで耳にした、「ひとはひとりでは生きていけない」という言葉。
そのとおりだとは思うけれど、甘え合うだけの関係では、ふたりでも、生きていけなくなっちゃうときが、きっとくる。
自分の足で立つ、ということに関しては、まだまだ初心者だけれど。

きょうもある人とうまく意思疎通ができなかったんだけれど、いままでと違うアプローチをして接したら、きちんと話せてとてもよかったと思っています。
いままでの自分では出来なかったことだ。
成長かどうかはわからないけれど、いろんな術を知っておくことは、決して無駄ではないと思っています。
もっともっと、チャレンジしていかないとな~!!


そうそう、チャレンジつながりで、いま音楽の面でチャレンジしていること、ピアノのこと。
きのうもzoozooseeのスタジオ練習でした。
このあいだ飲みに行ったときにたくさん話したからか、みんなちょっと雰囲気が違っていたように感じた。

今回、ちはるくんのベースが炸裂していて、ものすごく良かった。
だんだん馴染んできて、手癖や好みが出てきたりで、きたきた~!!っていう感じ。
そういう、奥底に隠れている部分、もっと見たいし、もっと引き出したい。
(でもきっと彼はものすごくシャイなんだと思う)

使っていないエフェクターを持っていったんだけれど、それを子供みたいに試していろんな音で遊ぶ櫻井さんのギターも、光っていました。
高山さんも、りゅうちゃん曰く「はしゃいでた」感じがあって、途中で眼鏡が飛んで行っちゃうくらい荒々しかった。
わたしはちょっと、探り探り行き過ぎたかな?新曲に気合を入れすぎたかも。
みんなの調子がバッチリ合う日なんてないけれど、それもまた、五人の人間が集まって奏でているから出来ること、出せる音、表現できる音楽なのだと思って楽しませてもらっています。

はやくライブがしたくて、うずうずしている。
2月28日の日曜日は、是非、扇町Para-diceへお集まりあそばせ。
極上の、生の音楽をお届けいたしませう。
(テーマは色気、でいこうかな)


ああ、きょうもダラダラと書いていたら日を跨いでしまった。
パン屋さんめぐりのブログを開設しようと思って、いろんなひとの書くパン屋さんブログを読んでいたら、パン屋さんに行きたくなってブログどころじゃなくなっている、そんな二月のはじまりです。
今月は殊更お菓子作りに力をいれるイベントがあるからね、いまから二週間は寝ないつもりでがんばりまーす。

いつもしょうもないことばかり、だけれど、読んでくれてありがとう。
おやすみなさい!



2016年1月31日日曜日

てのひら



きのうはブログを書くのをすっかり忘れてしまい、一日遅れの更新です。

木曜日の、幼馴染みとのデートはたのしかった。
お天気が良かったので難波まで歩いて(きっかり三十分かかりました)、堀江でオムライスを食べて、いろんな雑貨屋さんやお洋服屋さんを見に行ったりしました。
D&DEPARTMENTという雑貨屋さんの二階、家具売り場の空間がすごく雰囲気が良くて、家具といっしょに民芸品が展示してあるのだけれどどれも素敵で欲しくなってしまいました。

最近、ちょっと民芸のものに興味がある。(毎月郵送されるORBISの会報も、ちょうど民芸の特集をしていた)
母が焼き物好きで家に鍋島やら古伊万里やらの本があるので、また時間を作ってみてみたいな。

久しぶりに会うお友だちと、他愛のないことから何から、ゆっくり話せて良かったです。
「過去と他人は変えられないけれど、未来と自分は変えられる」っていう、すてきな言葉をおしえてもらった。
十年以上前の言葉も、たいせつに胸に持っていまを生きていけること。
とても素晴らしいことだと思いました。

次はオーブン陶土で箸置きを作る会を開催することになりました。
あたらしい試みについてはもうすこし調査が必要みたい。それもまたじっくり進めよう。


金曜日、とても恐ろしい夢を見て怖くて目が覚めた。
親しい人に暴力を振るってしまうような夢。
夢の内容に傷つくなんて久しぶり、しかも起きてすぐに思わず泣いてしまうほどの夢でした。
雨でしたが歩いて出掛けて、バレンタインのプレゼントを買いに行ったり、新作の下着を見に行ったりしました。
なかなか良いものが買えたんじゃないかなと思って満足しているところ。

職場に向かう、雨の日のバスが好きです。
とくに冬は、だんだんと曇っていく窓ガラスから外の景色を眺めるのが好き。
葉っぱがぜんぶ落ちてしまった木々、同じように曇った窓ガラスのバス、すこし寂しげな人気のない川べり、傘をさして寒そうに歩く人たち。
バスに乗っている人たちの会話を聞きながら本を読むのもたのしい。
日常の中の異空間、電車とはまた違う、同じ方向へ向かう、たくさんの人の人生。

『多くの人生はただの風景として通り過ぎ 触れてみてわかる温度に涙が出た』
という言葉を遺したのは、若かりし頃の君でした。
それにメロディをつけて遊んだりもしたなあ。
長い時間共歩んできてくれてありがとう、と、あんまり面と向かって言えないことをここで言ってみる。
これからもどうぞよろしくね。


土曜日は、たのしみにしていたプールに泳ぎに行きました。
前回泳ぎに行ったのから、たった一週間しか空いていないなんだけど、もう、ほんとたのしみでたのしみで。
たのしみ過ぎてこの前の日に、プールに行く夢を見てしまって、ちょっと夢の中で満足しちゃった節もありますが、朝から軽く体操をして(たのしみで予定より一時間早く起きた)今回は自転車でプールに行きました。

やー、ほんと、息が苦しくなるまで泳ぐ、というのは、滅茶苦茶気持ちのいいものですね。
今回は新しく発見があり、プールの奥にジャグジーが設置されていて自由に入れるということを知りました。
冷えた体をジャグジーで温めてまた泳いだり、泳いだ最後にジャグジーで体を温めてから着替えに行ったりと、いろんな使いかたができるそうで、わたしも休憩がてら、何度かお湯に浸かりに行きました。
ぶくぶくの泡が、疲れた体を癒してくれるようで気持ちよかったです。

今回は1時間半くらい泳げたかな。
途中、潜水してドルフィンキックするのにはまってしまって、息を止めるから肺活量も鍛えられるし、わかりやすく何メートルまで泳げる、という結果も伴うし、これはトライアルの価値ありです。
いまのところ、調子が良かったらプールの半分くらいまでは、息継ぎなしで潜って行けるようです。
連続で泳げる時間と共に、潜水の記録、伸ばしていきたいな。
結果は随時報告いたします。

体力の消耗が半端ないので、すこしお昼寝をしてから、夜はzoozooseeの新年会(飲み会)へ。
大好きな沖縄料理屋さんで、生姜ちゃんこ鍋のコース料理を食べに行きました。
もともと父方の祖父が鹿児島出身なこともあり、ゴーヤは小さい頃から慣れ親しんで口にしていたんだけれど、沖縄料理は数年前まではぜんぜん食べたことがなくて。
zoozooseeのボーカル・りゅうちゃんに教えてもらったお店がめちゃくちゃ美味しくて、ソーキそばが大好きになったんだよね。
そこからミミガーや海ぶどう、アロエのお刺身みたいな沖縄独特のお料理も好きになって、今回のお鍋もすごく美味しくて大満足でした。
いつか沖縄にも行ってみたいなー。めんそーれー。ゆいまーる。

たくさん食べて、たくさん飲んで、たくさん話して、とてもたのしかった。
新しいいのちが宿った身体で、櫻井さんの奥さんも来てくれて、エコーの写真だったり、結婚式の衣装合わせの写真だったりを見せてもらいました。
櫻井さん、ほんともう、しあわせそうで、溶けてなくなっちゃうんじゃないか、っていうくらいデレッデレの顔してるの!
そういう仲間の姿をすぐ近くで見られるのって、ほんとうれしいな、と思いながらお話を聞いていました。
いまはね、もうレモンくらいの大きさになっているそうで、ちいさな手が、ぴょこん、って、エコーに写っていました。

これからどんどん大きくなっていって、夏になったら会えるんだよね。
いのちって、ふしぎだなあ。
無事にこの世の中に生まれておいでね。
みんな、とってもたのしみに待っているよ!


バンドメンバーとゆっくり話す機会って案外なくって、お互いの好きな食べ物とか漫画とかキャラクターとか、いつも誰の音を聴いて演奏しているかとか、ほんといろんなことを話せてたのしかったです。
お酒もあるだろうけれど、みんなで惚気あうの、きらいじゃないよ。
みんなの好きなところは言い出すときりがないけれど、そのうちの少しだけでも伝わっていたらうれしいなと思います。
(酔っていい気分だったので、言ってもらったことはあんまり覚えていないのがちょっと残念)

でもやっぱり、音を出してのコミュニケーションが一番確かで、分かり合えると思うし、何より気持ちが良い。
リラックスして自分の出したい音が出せる、そういう仲間に恵まれて、ほんとうに有り難いです。
そして、そういう場所があること、そういう場所で音を奏でられること、身に余る幸せだと思います。

みんなにも、もっと知ってもらいたいな。
感情を突き動かされる、静かで激しい、そんな音楽。
桜重奏や、ワニとはまた違った、音楽での表現。
わたしにとってたいせつなたいせつな、表現の場所になりつつあります。


これ以上書くと惚気で私が溶けてなくなっちゃいそうになるから、きょうはここまで!
ほんとはお掃除ルーティーンのことも書きたかったんだけれど、また今度。

今夜も長々とありがとう。
おやすみなさい~




2016年1月27日水曜日

呼び声



この幾日かは、先週末のものすごく寒い日よりは気温もましで、冬至を越えているからかお日さまがやわらかく、だんだん春の日差しに近づいてきているようなきがして、やさしい気持ちになります。
でもまだまだ冷たい風が吹く。隣では姉がくしゃみを連発している。
皆様もどうぞ、ご自愛下さいますよう。


また新しいお菓子にチャレンジしてみました。
昨日は、仕事中に「食べたい!」と思って、いてもたってもいられなくなって作った『豆腐ドーナツ』。
揚げ物があまり得意ではなくて天婦羅やコロッケを著しく作らないので、普段はオリーブオイルで事足りるのですが、ドーナツを揚げるためだけに思わず買ってしまったなたね油を、どうしようかと思案中です。
(お正月のおもちを揚げておかきにしても美味しいかもしれない)

揚げたてがいちばんおいしいかな、と思ったので、お仕事が終わってから大急ぎで作って、zoozooseeのスタジオに差し入れをしました。
皆よろこんでくれてよかったです。
毎回どんなお菓子でも、美味しい美味しいと食べてくれて、いつもありがとう。
(ついったでもつぶやきましたが、「売れる(ほどのおいしさ!)!」をいただきましたー。ヤッタネ)

きょうは、その大量にあるなたね油を消化できるお菓子、『オートミールクッキー』を作りました。
材料のオートミールや小麦粉、お砂糖、ミックスナッツなんかをミキサーにかけてしまって、そのあと、なたね油とお水を混ぜて焼くだけ、というなんと簡単なお菓子…!!
食べなくて余ってしまっていたオートミールも消化できるし、なたね油も消化できるし、素朴でぼりぼりしていておいしいし、一石三鳥のお菓子です。
ドライフルーツを入れたり、全粒粉を混ぜたり、甘みをハチミツで作ってみたり、お水の代わりに豆乳を使ったり、シンプルなだけに改良の余地がありそうなお菓子でした。
(こちらも思わず、きょうの仕事帰りに追加のオートミールを買ってしまった)


きのうはzoozooseeのスタジオ練習がありました。
ギターの櫻井さんがお仕事で来れなかったので、4人での練習。
櫻井さんがいないとき、既存の曲を練習してもなんだか物足りなくて、欲求不満のような気持ちになるので、だいたい新曲を作ったりセッションをして遊んでいます。
今回も新曲を作りました。どんな曲かはまだヒミツだけれど、かっこいい曲になる予感がしています。

皆の休憩中、ドラムの高山さんと二人でセッションしたのがとても楽しかった。
最近はまっている、ちょっと早いテンポの、ジャズっぽい曲。
左手でベースラインを出しつつ右手でメロディを弾くのがなんとも難しくて、止まらずついていくのに精いっぱいでした。


高山さんは、ほんとに素晴らしく、そして上手なドラマーさんだと思う。
はじめて一緒に合わせたときは、“ただ”上手い人、なのかな?と思ったけれど、それは間違いだとすぐにわかった。
技術があって、ただ上手いだけの人はたくさんいるんだけれど、高山さんはなんていうか、技術の内側にきちんと熱量のある人、という感じがします。

ほんとうに器用で、りゅうちゃんの言う無茶な注文も何でもこなせるし、どんなジャンルの引き出しも沢山持っているし、繊細なドラムも大胆なドラムも叩けるので、一緒にやっていてこちらの音楽の幅もぐんぐん広がっていくのがわかって、とてもたのしい。
毎回、あ、じぶんって、こんなことも出来るんだ、っていう発見がいっぱい出来て、面白いです。

まあ、だいたいは、自分の技術のなさ、引き出しのなさ、余裕のなさに凹んで反省ばっかりなんだけれど…。
きのうはリズムの取り方や、フレーズの拍をずらした時のコツなんかを教えてもらったり、LINEという曲の、ドラムとピアノだけになるワルツのようなところがあるんだけれど、そこで厭らしくない程度に合わせる練習にも付き合ってもらった。

自分の技術で出来る範囲で、じぶんの感じたことを表現しつつ、ほかの人との音の重なりや混ざり合いを楽しめるレベルまではまだまだだけれど、すこしずつ出来ることが増えていくのはとてもたのしい経験です。
ライブになるとまた変わってゆくからね、おもしろいよね。

もっと感情をあらわにしたドラミングもみてみたいなー、なんて、贅沢なことを思ってしまうけれど、わたしのほぼ感情任せの即興ピアノや、自由気ままな櫻井さんの情熱ギターを支えてくれるのには、最高のドラムなのかもしれない。
(ドラムソロで充分魅せてくれるから、我儘言わないの!)

そんな高山さんのドラムが観れるzoozooseeのライブは、2月28日(日)扇町Para-diceにて。
もしかしたら寒さもすこしはやわらいでいるかもしれない。
よかったら、春を待つ浮き浮きした気持ちで、遊びに来てくださいね。

(わーい、うまいことライブ告知にもってこれたー!)

高山さんをはじめ、zoozooseeのみんな、ほんとうにいつもありがとう。
大阪にいるあいだ、まだもうすこし、遊んでくれるとうれしいです。


そう、今年はね、大阪に限らず、東京や札幌、いろんな土地にいるお友だちと、音楽で遊べるといいな、と思っています。
せっかくこんなにたくさん、周りに音楽出来るお友だちがいるんだし、武者修行だと思って、臆せずチャレンジしてみたいなあ、と。
バンドで活動していなくても、音楽が好きで、楽器もあんまり弾けないけど、むしろ触ったことないけど、っていう人たちとも、一緒にやってみたいと思います。
あと、まったく別の界隈だったり、別のジャンルだったり、知らない土地で知らない人たちに飛び込んでゆくのも楽しそう。

それに、楽器じゃなくても、自由に、遊んでみたいと思います。
絵を描くことにもチャレンジしたいし、なんていうか、いろんな、興味があって大好きなことを、やっていこう、と、思って。
出来るからやる、のではなくて、出来ようが出来まいが、やりたいからやる、そういう気持ちで、何にでもぶつかっていきたい。
齢は三十を迎えますが、二十代よりももっともっと、怖いもの知らずになりたい。

きのうも、三十代最後の年に富士山へ登ると宣言している職場の先輩に感化され、「よし、山に登ろう!!」と意気込んでいるところ。
(ちなみに登山未経験にもかかわらず、二十代最後の年にも一人で登りきったそうです。行動力半端ない…!!)
おかげさまで身体もすっかり元気になってきたし、水泳でしっかり体力をつけて、からだを強くして、いろんなことに、チャレンジしよう。


たのしいほうへ、えがおになれるほうへ、どんどん向かっていこうと思う。
もちろん、いまも、いまで、いまの暮らしや周りの物事を楽しませてもらっているし、楽しむことができているんだけれど、わくわくすることを考えるときの高揚感はまた、特別のものだ。

あした会う友だちとも、あたらしく始めることを相談しにゆくつもりです。
彼女とはもう、二十五年ほどのお付き合いですが、いつまでもあたらしいことにチャレンジしていける関係でいたいと思う。
あー、楽しみだ!


きょうはすっかり長くなってしまいました。
いつもお付き合いくださいまして、ありがとうございます。

また三日後にお会いしましょう。



2016年1月24日日曜日

泅戯



一、
きのうは久しぶりに泳ぎに行きました。
水の感触と、全身を使っての運動がびっくりするくらい気持ちよくて、しばらくはまりそうです。
そのお蔭で筋肉痛が酷くて、昨日は死ぬほど眠った。
今朝は寒さも手伝ってなかなか起きれず、起きたら起きたで体中が痛いし、食欲も旺盛だし、満腹になったらなったで眠たいしで、ぼんやりな一日でした。
お仕事のミス率が上がっていないか心配。


二、
寒中見舞いの葉書の挿絵を描きました。
時間がなくて枠線の絵はコピーさせて貰ったんだけれど、色は一枚一枚塗りました。
椿に白雪の絵です。明日じゅうに、全部出せると思う。


三、

なんだか、
 一日ずれている感覚。
日曜日なのにお仕事に行くから分からなくなる。
暫く忙しい、あと二か月ほどはお休みが不定期だし不安定。

けれど、寒さには敗けていないつもり。


四、
そういえば、プールの帰りにまわり道をして、久しぶりに行くパン屋さんでパンを買いました。
最近ずっと食べくらべをしているクロワッサンと、米麹のフィセル。
どちらも美味しくて感動しました。どうしてパンって、こんなに美味しいんだろう?
夜はこれまた久しぶりに、大好物のたらこパスタを手作りしたんだけれど、高カロリーダメ!と思いながらもマヨネーズと青のり、すこしだけめんつゆをかけて食べたところ、もう、たまんない、死ぬほど美味しくて、たぶん、ここに存在しているわたしは、既に一度死んでるんじゃないかと思います。

成仏し損ねてまだ現世にいる亡霊ごっこ。
誰か付き合ってくれない?


五、
思いついたままに、ちょこちょこ詩のようなものを書いている。
お得意の、莫迦みたいな言葉遊びが歌詞を書くリハビリに丁度良くてとてもエキサイティングです。
歌になると良い。ならなくても別に良い。

お仕事からの帰り道、マスクとストールでぐるぐる巻きになっているその下で、適当なジャズのスキャットを大声で歌いながら自転車を漕ぐ。
寒さと体力のなさのお蔭で息が切れる。
『なにかとなにか』、『どこかとどこか』の際(きわ)まで行ってしまいたいのかもしれない。それもひとりきりで。

そんなことを思ったり、思わなかったりする、
一月の、いちばん寒い日です。
息は真白。

思うように歌えなくて悔しいから、きっとまだまだなんだと思う。


六、
チヨコレイトがあればある分だけ食べてしまう。
いつそチヨコレイトの海に溶けてしまいたい。

(そのしあわせの中で溺れて静かに死んでいきたい)


七、
好きなことを好きなようにしているひとに勇気を貰う。
自分と比べてしまったり、真似出来ない、と塞ぎ込むときもあるけれど、

そう、周りのひとが気になるときは、誰とも会わなくてよくてよ。
誰とも話さなくて、よくてよ。
大丈夫、ここには自分しか居ない。

わたしも、好きなことを好きなようにしようと思う。
その為には静寂が必要だ。
こんな風に言葉を紡げば紡ぐ分、確かに薄れていくものもあることを知っている。
ただ目的を持って為している事だから、矛盾を責めないでいようと思う。
(此れは此れである種の快楽を伴っているのです)

やれやれ、なんのこっちゃ。


八、

胃が重い。




九、
息が出来なくなって初めて、息をしていたことを思い出す。
呼吸ひとつひとつの深さを感じて、はじめて普段の呼吸の浅さを思い知る。

何もかも忘れるということ。
わたしでありながら、わたしでなくなるということ。
じぶんを識るために、じぶんを忘れるということ。

水の中で泳ぐということ。
そういうことかもしれない。


十、
ふと手にした、掃除の本だと思って読んだ本が面白かった。
フランス人の著者から見た、日本人の行動や風習や文化の描写が興味深かった。
禅寺で修行をされたこともあるそうで、禅宗の考え方も取り入れながら、掃除という行為そのものについて考え直すような内容でした。
具体的な掃除の方法も載っていて勉強になるので、もうすこし読み込みたいなと思う。

最近やっと、一冊の本を何度も読み返す習慣が出来てきました。
やはり一度読んだだけでは見落としている言葉や、理解できていない文章などが多いものなのだなあと、すこし反省。
でもそうなると、あんまりたくさんの本を読めなくなっちゃうよね。
それはそれで寂しいような気もする。
(最近猛烈に村上龍の『歌うクジラ』が読みたいんだけれどどういうことでしょうか)


十一、
やりたいことがまた増えてきた。欲張り。
塩素で肌が荒れ気味なのを如何にかしてからにしようね。



空白を恐れず、虚無を恐れず、変化を恐れず、自分自信を恐れず、
他人を恐れず、日常を恐れず、乖離を恐れず、永遠を恐れず、
孤独を恐れず、怠惰を恐れず、逸脱を恐れず、無我夢中を恐れず、
表現を恐れず、軋轢を恐れず、
とどのつまりは強く、強く在りたい。

強くなりたいと願うことと強く在りたいと願うことは、また別のお話し。



虎に喰われる夢を見た。
毎日楽しくて色々なことを忘れてしまいそうになる。

其れは其れで良いのだと思う。



2016年1月21日木曜日

航海



またまた前回のブログをさらっとお休みしてしまって、ほんとごめんなさい。
今回はちゃんと、体調不良というれっきとした理由があるので、どうぞゆるしてね。

三十年近く生きていてもまだまだ自分の身体はわからない部分が多くて、『冬が好きになる』というのと『冬に強くなる』というのはまったく別物なんだなあ、と身に沁みて感じた数日間でした。
つまり風邪をひいていました。

ちなみに、風邪の治し方はあんまりよくわからないけれど、最近やっと風邪の前兆には気付けるようになったぜ。ドヤー
(そこで食い止める方法さえわかれば完全勝利なんだけどなあ)


先週末は母の『いとこ会』に参加してきました。
朝から喉が猛烈に痛くて、これは行けないかも知れない…!と一時は絶望の淵に立たされたのですが、蜂蜜大根という無敵のアイテムに助けられて無事参加。
天候にも恵まれてぽかぽか陽気の中、奈良へ。

久しぶりに訪れた御所は、自然が近くて静かで、とても良いところでした。
昔ながらの田舎のおおきなお屋敷を改装して、木目の名残を残しつつ、床暖房を入れたりアイランドキッチンにしていたり天窓を付けていたりと、ビフォーアフターに出てきそうなとてもきれいなお家でした。
畑で作ったお野菜や果物(干し柿が美味しかった)をいただいたり、御所ですこし有名なお豆腐屋さんの豆乳を使った豆乳鍋をいただいたり。
自分で作った湯葉をすいーっとお箸で掬って食べるのが初体験で、しかもそれをお家で出来るということに感動しました。

お庭で飼っている大和肉鶏(ニワトリの種類)がその日の朝に産んだ卵を、卵かけご飯にしていただいたのだけれど、黄身がとても黄色くて、卵の味がものすごく強くて美味しかった。
この卵でお菓子を作ったらどんなに美味しいだろう…!と思わず思いました。

祖母とその妹さん、八十代のおばあちゃん同士の会話が面白くて楽しかった。
母の従姉妹の皆様もみんな優しくて、もうお孫さんがいらっしゃる方もいて写真や動画を見せてもらったりして、女系家族なのでしゃべりっぱなしの賑やかなのをずっと聞いて楽しみました。
お菓子も喜んでもらえてうれしかった。
久しぶりに大人の人たちとゆっくり会話をして過ごしたような気がします。


その次の日から体調を崩してしまって、母と姉にいろいろ助けてもらったんだけれど、一人暮らしだったら完璧救急車だったなあ、と反省しています。
もうちょっと自分の身体のこと、しっかり知っておかなくちゃ、と思いました。

それにしても、前回の日記に「身体も心も一度ご破算すると良い」と書いたら、ほんとうにその通りになって、なんていうか、体の不調は本当につらかったけれど、結果オーライだな、と。
すこしだけ、よろこんでいる自分がいます。

ちょうど、御所のお家の近くにある高鴨神社に連れて行ってもらって、おみくじをひいたとき、
“冷静に物事を見られないとき。一歩引いた目線で見回せば落ち着きを取り戻せる。新しい発見ができるかも。多くを望まず、今を大切に”
という結果が出て、この数日間身体が動かない状態でいろいろと削ぎ落とされて、以前よりもシンプルな気持ちで物事を見ることができているように思います。


そして今日、お仕事が終わって家に帰ったとき、母が先に帰っていて出迎えてくれたのだけれど、玄関で靴を脱ぎながら、台所仕事をしている母の姿を見て、「いま、どんな風景でも、どんな人間でも、良いものでも悪いものでも、この二つの目をしっかり開いて、しっかり見ていよう」と、強く思いました。

すべての物事は日々、変わってゆく。
昨日と同じ今日なんてない。
家族の姿も、いつか見られなくなる時が、かならずやって来る。
この目も、いつかかならず、見えなくなる時が来る。

当たり前のことなんだけれど、
このことを、まいにち、胸に抱いて生きていようと思いました。


ほんと、まいにち、いろんなことを想わせてもらって、感じさせてもらって、気付かせてもらっています。
何の変哲もないように見える日々だけれど、今日も生かしてもらって、
そして無事に、今日も一日を終えようとしている。
こんなに有り難いことって、ないなあ、と、思います。

なあんて、ちょっと大袈裟かもしれないけれどね~。
それでも、わたしには、いまのわたしには、とくべつ、たいせつなことのように思います。

人生って、ふしぎだね。
ちゃんと神さまはいつも見ていてくれて、
その時々に、必要な出来事や、必要な人を、与えてくれているんだね。

いま、ここにいるのも、ちゃんと理由があるんだね。
あなたに出会えたのも、あなたとさよならをしたのも、ちゃんと与えられたことなんだね。

よかったね、あしたもがんばろうね。


というか個人的には、従姉妹からもらった可愛い水着で早く泳ぎに行きたい!っていう気持ちでいっぱいです。
ただ、胸のパッドが付いていないから、みんなバストトップをどうしているのかが疑問。
(競泳出身の従姉妹は、ありの~ままの~姿みせるのよ~♪だそうです)

私は初心者だし恥ずかしいので、絆創膏を貼ろうと思っています。
体力のなさが見物。わくわく。


あしたは誰かを笑顔にできるかな。

そこに自分が含まれていることも知っているから、
せめて自分は、いつでも笑っていようと思う。





2016年1月15日金曜日

GOHASAN



ただいま部屋じゅう、いや、家じゅうに、あまい香りが漂っています。
キウイとアーモンドのパウンドケーキ、最近お気に入りのブールドネージュ、そしていまはりんごのマフィンを焼いているところ。
今週はとくに、たくさんお菓子作ってるなあ…。
オーブンさんの仕事量、半端ないです。いつもありがとう。

三日前のブログ更新をしれっとサボ…お休みしたことには目をつぶってもらうことにして、いよいよ一年でいちばん寒い時期に突入しかけておりますが、皆様お元気していらっしゃいますでしょうか?
(言い訳をすると、zoozooseeのスタジオがあって夜遅くなっちゃったんだよね~)

わたしは今朝から、背後霊よろしくぴったり背中にくっついている風邪の気配を感じつつ、のどの痛みと連発するくしゃみに負けじと必死です。
十一月に風邪ひいたばっかりなのに…くやしい…っくしゅーーーんん!!!

きょうは職場でうれしい出来事がありました。
先月、データ入力のミス率が一番低かったとのことで、なんと表彰していただきましたー。
おまけに先々月に引き続き、入力速度も上位に入っているらしく、俄然やる気が出ている私です。
プレゼントで、かわいい虎のイラストが描かれた缶に入った飴をいただいたのも、生まれが寅年なのでちょっぴりうれしいです。
(もしかしてそれも調べて買ってきてくれたのかな)

あしたは母親のいとこ達が集まる『いとこ会』なるものに、私も参加させてもらうことになり、そのための差し入れに一日じゅうお菓子を焼いていたのでした。
奈良県の山奥に行けるそうです。
久しぶりに自然の多いところへ出掛けられるのがうれしい。
(風邪が酷くならないといいネ)


さて。
君への気持ちは一旦、ご破算することにしました。
いまのわたしがわたしらしくないということは、こんなわたしに付き合う君を、君らしく、なくしてしまっているのだろう。わたしが、この手で。
そんなことはもってのほかなのにね。

いいんだ、君が自由に、好きなことして、元気に生きてさえいてくれたら。
生きてさえ、いてくれたら。それだけで良い。

ただ、自分の気持ちを、持て余してしまっているだけ。
これくらい、自分でどうにかするから、気に掛けないでほしい。
色々と慣れないことを一遍に熟そうとするから、すこうし無理が出ているだけです。
(一度熱でも出して寝込んで、心身諸共ご破算すれば良い)


家族と暮らして、君のこと、自分のことがよく分かるようになってきました。
他人に教えてもらってばかりいる。自分の内側にいろいろなものを、どんどん溜め込んでいる。
いつ噴火するのだろう、いつ爆発するのだろう、とてもたのしみであります。

行き場のない想いや気持ちが、マグマのように煮え立っている。
寒い寒い冬だから、丁度良いや。


それにしても、この時間におなか空くの、どうにかならないかな?
何日か前まではコントロールできてたのになあ。

(きょうばかりは、お菓子が焼ける匂いのせいにしておこう)


疲れすぎて散文駄文。また三日後~


2016年1月9日土曜日

フィラデルフィア



ちょっとすてきな本に出会えたので、興奮を抑えつつ、ゆっくり、ゆっくり、噛みしめるように読んでいます。
中川ちえさんの、『むだを省く 暮らしのものさし』というエッセイ。
ちょうどいまのわたしが歩いていきたい方向の生き方をされていて、それを丁寧な言葉でしたためていらっしゃいます。

いつも思うのだけれど、そのときそのときで手に取った本は、そのときの自分に合ったものだったり、ヒントになる内容が隠されていたりして、不思議なご縁を感じます。
今回は欲張って七冊も本を借りた。
すてきなお洋服を買ったり、美味しいものを食べたりすることに匹敵するくらい、図書館はこころを元気にしてくれます。
すてきな本に出会えた瞬間の、わくわくした感じ。
いつまで経っても褪せない気持ちです。

お正月から一週間ほど経って、年賀状のお返事をたくさんいただきました。
今年は手描きのイラストのものが多くて、色えんぴつでやさしく描かれていたり、ペンで鮮やかに描かれていたり、版画のものもあったり、お子さんのお写真が載っているものだったり、新年からほっこりと楽しませてもらっています。
わたしも元旦が過ぎてから送ったりと、毎年毎年ずぼらなほうですが、今年は年賀状デザインコンテストがあれば応募したいと思えるくらい自信があって、手前味噌ですが可愛いオサルさんのイラストに向かって、かわいい、かわいいと言いながら書いていました。

みんなお忙しいなか、時間を割いてくれてありがとう。
遠くのお友だちも、また会いたいなと思っています。
今年はまわりが続々と結婚していくから、どうしようかと思うけれど、すくなくなっていく独身の輪でさらに結束を固めて、まだまだ遊んでくれるととてもうれしい。笑

昨日は、zoozooseeというキーボードで参加させてもらっているバンドの、スタジオ初めでした。
ギターの櫻井さんが不在で、ドラム、ベース、キーボードとボーカルという4人で、セッションをしたり、あたらしい曲にチャレンジしたりしました。
ラテンフュージョンのような、早いテンポのジャズをベースにした曲で、テクニックと持久力が必要とされる、とても難しい曲です。
上原ひろみというピアニストのことを教えてもらった。
たまたまスタジオに行くまえ、恒例の差し入れのお菓子を作っているときに、だいすきなCHICK COREAを聴いていたので、イメージは膨らみやすくて良かった。

いつものような手癖だけでなんとかしようとせずに、はっきりとしたテーマを効果的に入れていけるといいな、と思っています。
フレーズもリズムもまだまだ研究中。(いまも聴いている)
基礎練習をしないことには弾きたいメロディ通りに指が動かない…。
(それでも日々のデータ入力のお仕事のおかげで、細かい動きは出来るようになっているけれど、指のまわらないこと!)
練習の成果を披露することができるかどうかは、2月28日、扇町パラダイスでのライブを是非観に来てくださいね。
…よし、いい感じで告知したぞ。

お菓子は今回、ちょっと手抜き、というか、5日の新年会のときに仕込んでいたブールドネージュと、りんごのタルトを作ったときに余ったタルト生地を型抜きして焼いたクッキーに手作りのカスタードクリームとキウイのジャムをサンドした、創作おやつでした。
そうだなあ、こんなにアレンジしたものだと、お菓子というよりは、おやつ、という言葉が似合う。
いつもおいしそうに食べてくれて、そしてあたらしいお菓子づくりの実験台になってくれているメンバーに、毎回感謝です。

ブールドネージュは年末に初めて作って「おいしい!」とご好評いただいたのと、作り方がとっても簡単なので、最近、機会をみては作るようにしています。
5日に作ったりんごタルトは初めてチャレンジしましたが、もっと経験を積まないと、うまく焼けないかもしれない。

今年はいろんな種類のお菓子を作るよりも、ひとつのレシピを自分のものにするまで作り込む、じぶんのレシピを作って、じぶん味のお菓子を作れるようになる、というのが目標です。
もちろん、気になるものはそのときどきでチャレンジもしていくと思いますが、ジャムをくつくつ煮込みながら、「やったことがある」のと、「できるようになる」というのには、雲泥の差があるのだなと気付いて、お料理でもピアノでも何でも、じぶんのものにする、ということに着目していきたい。

日々のなかで、なんとなく、なにかをわかりかけている、つかみかけている。
この感覚を、大切にしたい、と思っています。
ジャムや大好きなミートソースをつくるときのように、たっぷりのおいしい果汁や煮汁を、じぶんのなかに、煮戻していく感じ。
くつくつ、くつくつ、ゆっくりと時間をかけて、いままで手にしたものや出会えたものを、知識として、経験として、じぶんのなかに蓄えていく感じ。

それができるようになるのは、いま、これからしかない、と。
そしてそれが、わたしにとって、理想の三十代の、生き方なのかな、とも、すこし思います。

なんとなく行きたい方向が見えてきて、すとんと落ち着いた、そんな気持ちです。
大きなものごとにとらわれすぎないように、積み重ねることを、大切に。
そのように、丁寧に生きることができると、じぶんを信じている。


たまに胸がくるしくなるのは、何かを食べすぎているのだと、思うことにしています。
ポテチだったり、朝ごはんだったり、誰かさんへの想いだったり。
昔のように相手に想いをぶつけたり、受けとめてほしい、と思うことはすくなくなってきたけれど、ただ、無性に、じぶんの気持ちを持て余すことがある。

そういうときに、ちゃんと、わたしの表現はわたしを待ってくれている。
そう、信じています。
じぶんさえ、じぶんにまっすぐに生きていればいい。
最近はそのように、すこしずつ、自己完結ができるようになってきました。

このままの、いい感じで毎日過ごせるといいね。
毎日がたのしいのは、ほんとうに、うれしいことです。
いつもいつも、まわりに生かされている。
ほんとうに、ありがとう。


美味しいパン屋さんのレポートはまた今度!
(パンのブログを作ろうかと考え中…。)


2016年1月6日水曜日

花売りの回想



手放した掌を追いかけても
もうそこには誰もいなかった
慌てて振り向いた背中に
溜息がひとつ零れた気がした

霞がかった公園の木々は
暖かな冬を愁いて空を見上げた
わだかまりも意味のない沈黙も
太陽のいない白い朝に消えた

見詰められない
想い出の中
あなたとわたし
花を抱きしめて
忘れられない
エンドロールに
恋人はただ
遠く去っていく



去っていくときはただ、何も云わずに、しずかに去っていきたいのだと思う。
彼女や彼もそんな気持ちなら、たいせつにしたいと思う。
私も同じ立場なら、きっとそうすると思うから。

いまはどこにいるのだろう。
みんなどこにいってしまったのだろう。
ここには誰もいない。

祖父も最期には、こんな気持ちだったのだろうか。
みんなどうして、いなくなってしまうのだろう。


こんなにも穏やかな冬の夜なのに、どこかさみしい心の中です。
最近ほんとうに暖かだから、忘れていたけれど、冬はいつもこんな感じ。
さみしいと、さみしくないの、ちょうどあいだらへん。

あしたは美味しいものを作って食べよう。
友人への贈り物を買いに行って、手紙を書いて、図書館へ行こう。
気になっているパン屋さんへ、パンを買いに行こう。
どんどん孤独になっていこう。だってひとりだもの。

それでオッケー。いまはひとりがいいの。
ずっと甘えっぱなしだったから、ひとりでも大丈夫、に、なっていきたいの。


2016年1月3日日曜日

日曜の朝



あけましておめでとうございます。
みなさま、新年いかがお過ごしでしょうか?

大阪は連日お天気にも恵まれ、暖かい日が続いています。
新しい年を迎えたばかりですが、テレビと隔離されているおかげで、そこまで派手派手しい気持ちではなく、地に足が着いたようなどっしりとした感覚で日々を過ごしています。

新年はじめての更新、やはりここはひとつ、今年の抱負などを記すべきでしょうか。
あまり欲張らず、出来ることをひとつずつ、と思っているところです。
それに伴って、おおきな公言も控えているところ。
心の底からやりたいと思えることだけをやりたいし、できたことをできたぶんだけ、自分自身で喜べるといいなと思います。

ブログはひとまず、三日に一回の更新を目標にしています。(ほんとかな…)
やりたいことをたくさん書くといい、と姉に聞いたので、実行して書きだしましたが、案外60個くらいで止まりました。
ほんとは100個書かないといけないらしいので、わたしの欲張りもまだまだレベルが低いのかもしれない。


長いこと連絡をしていなかった友人に、きのう電話を掛けました。
今年結婚するという、お正月からおめでたいお報せを聞けて、とてもうれしかった。
まわりに独身の友人がどんどん減ってきて、私たちは一体誰と遊べばいいのだろうね、と、きょう会った友人と話しました。
私はまだまだ結婚の予定はなさそうなので、いまのうちに彼女とも遊べるだけ遊んでいたいです。
(というか結婚しても遊ぶと思う、遊ばせて)

まだまだ行きたいところややりたいことがたくさんあるけれど、終わりの時間もすこしは意識するようになってきました。
今年三十歳という、非常にきりのいい年齢を迎えるのですが、何事も未熟でまだまだだという感じがあるので、二十歳くらいの新鮮な気持ちで挑んでいければと思います。

ただ、二十歳からの十年間で経験できたことは、かけがえのないことだから、大切にしたい。
終わってしまうことやさよならをすること、別れたり離れたりしてしまうことが、かなしいことばかりではないと、すこしは知ることができたり、好きなひとたちに、好きという気持ちを返すことがすべてではないと、思うことが出来たり、エトセトラ、エトセトラ。
それに加えて、音楽という表現を通して手にすることのできたものは、大切に大切に、これからの糧にしていきたいと思っています。

これから出会うもの、出会うひと、どんなものごとが待っているかはわからないけれど、今年、じぶんで選んで手にするものは、一生のものにしようと思う。
なんて、意気込むと、うまくいくものもうまくいかないから、ゆる~く、ね。

当面のキーワードは、『呼吸と会話(対話)』、『相手の土俵に立つ』、『姿勢を意識する』です。
昨年末からつづきのこともあるけれど、なにも、こころのなかのすべてをあたらしくしないといけないこともないし、じぶんのものになるまで、もうすこし、ゆっくりと。
今年は昨年以上に、時間をかけてものごとと向き合っていくことになりそうです。


友人と会った帰り道、あたたかな夜に包まれながらひとり歩いていて、しあわせだな、と思えた。
何かがあるからしあわせなのではなくて、しあわせと思えることが、しあわせなのだな、と。
まわりにも、じぶんにも、何も求めなくて、いいのだな、と。

そういった、いまのじぶんの身の丈にあった気付きが、最近はたくさんあって、とても心地よく感じます。
そのひとつひとつも、一生のものにしていけるといいな。

だれとも比べなくていい。
そんな環境に自分を持ってこれたこと。
去年の私に、ひいてはそれを決断した、一昨年の私に、ご褒美をあげたい。

きっと、いま、ゆっくりと過ごせる時間、すべてがご褒美だから。
ひとつずつ、味わいながら、楽しんで、生きてゆきましょう。


相変わらずのんびりな私ですが、本年もどうぞよろしくお願い致します。