2015年10月31日土曜日

控訴



実名をつかって検分することに身を悶えさせ尚且つ腹の底に秘めた怨念は十数年前と依然変わっていないことに驚きを隠せない夜。
三つ子の魂、百まで。
人は果たして死ぬまで変わらないのか?
学ぶことすらできないのか?

きょうはお仕事のあと、梅田をぶらぶらして靴などを見てきました。
良いのがいくつかあって、いろいろ悩んでいるところ。

欲しいものが沢山ありすぎて大変です。良き事哉。
十二月に行きたいところもありすぎて、また、会いたい人も多すぎて。
欲張っていてはいけない、と、自分に言い聞かせている。
きっと寒いしね。私は極端な寒がりだから、思ったよりは動けないだろう。


さて。
本日で十月もお終い。
毎日続いたブログ更新も、ひとまず区切りを付けたいと思います。

四月に比べて、割と真面目に書いたような気がする(文章量的に)。
ただ途中で中弛みもしたし、後半は若干ですが苦行に近い部分がありました。笑
十一月からは、三日に一回の更新にしたいと思います。
三の倍数でいこう。

九月の最後に会ったひとの影響で、時間にけじめをつけることに挑戦してみて、合う部分と、合わない部分があるなと感じたり、臨機応変にやらないといけない時もあると学んだり、そのときにじぶんのこころとどう折り合いをつけるのかどうかも、やってみて初めて気付いたりして、試行錯誤の一か月でした。
週末に絵を描くことを始めたし、ブログを書くこと、楽器を触ること、歌をうたうことを、毎日続けてみたことも、発見があっておもしろかった。
(ちなみにファイナンシャルプランナーの復習は途中で挫折しました。笑)

個人的にはたのしかったです。
十月。ほんとうに、いろんなことがあった。いろんなひとと出会えた。
でも、思い返すと、毎月いろんなことがある。
人前に出ようと出まいと、出会う人の量が減ろうと増えようと、いろんなことがあるんだなあと、思っているところ。
せっかくだし、楽しんでいこうと思う。

十月はほんと、よく笑った。
ひとりのときも、よく笑ってた。
なんでなんだろう。なんか楽しかったな。
暗い顔してるよりはましかな?とは、思うんだけれどね。
楽しむ、ということのコツをすこし掴んだような気がします。
無理してない、じぶん流のコツ。

どんなことに対しても、じぶんの価値観が、すこしだけしっかりしてきたのかな?
どんだけ自信なかったんだろう、とも思いますが、ひきつづき、じぶんというものを、じっくり観察していきたいと思います。


長らくのあいだ、取り留めのない駄文にお付き合いくださって、ほんとうにありがとうございました。
次は十一月三日にお会いしましょう。

アデュ!!

2015年10月30日金曜日

駐車場



・歌のこと
喉が痛いわけじゃないんだけど、きのう、きょうと歌っていて、歌いにくさが残ります。
どうしたんだろう。芯のない感じ。
まだ、怖がっているのかな。
声が涸れたって、誰に迷惑を掛けるでもないのに。
何を遠慮しているんだろうね。ここには私しかいないのにね。
想いのぶんだけギターを弾いて、ピアノを弾いた、いい一日でした。


・愛のこと
きのうの話の、ちょっとした続き。
谷川俊太郎さんのエッセイを読んでいて、ある言葉に対しての想いや考えを綴っている文章があったんだけど、愛という言葉を取り上げている文章の中に、「愛だけではとらえきれない何かを、情という言葉で呼ぶ」という記述があって、なるほどと思って、またひとつしっくりきました。

愛というのは、ともすれば男女間のことを表しがちだし、言葉そのものの美しさから先入観や偏見を持ってしまって誤解を生みがちだけれど、私にとっては、情という言葉のほうが、日常的で、身体に寄り添っていて、血が通っているように思えます。
ただ、情は、きれいな気持ちだけではないからね。とか何とか。考えるときりがないんだけれどね。ねむたいから途中まで。
また価値観を広げられそうだ。ほんとこのエッセイ、いい本だな。


・さみしがりやのこと
あのひとはもしかしたら、わたしとおなじで、さみしがりやなのかもしれない
わたしはずいぶんとながいあいだ、さみしがりやだったけれど、いまはそうでもない気がするのは、はたしてだれのおかげでしょうね

執着を手放したら、自然と寂しくなくなったような気がします。


・呼吸のこと
歌が軽いのは、呼吸が浅いせいかもしれない。
気を付けて、深く息を吸ってみようと思う。
朝の空気が澄んで、気持ちのいい季節です。


あしたも朝が早い。
きょうは散文、眠たくて構成能力が限りなくゼロに近いから、赦してほしい。

きょうも楽しく過ごせました。
眼鏡が厄介だけれど、だいぶ充血も引いてきたし、もうすこしの辛抱です。
目薬をさして眠ります。

おやすみなさい。


2015年10月29日木曜日

植木鉢



ひとを好きになることについて考えています。
きょう話した人との会話の中で、ときめき、っていう単語が出てきたので、ときめきについて考えているところ。
「ひとを好きになる気持ちはとめられない」ということについても、考えているところ。

わたしは、いまここに人間が生きていて、この心臓に血が通っている限り、だれかを好きになることは、きっと止められないことだと思っています。
でも、だれかを好きでいることと、どういう関係をつくっていくかということは、また別の問題で、それに加えて、だれかを100のぶん、好きでいることと、そのだれかに、100のぶん「好き」を伝えることは、違うことなんだと、ようやく最近気づきました。
いままでは、100のぶん好きだったら、100のぶんを伝えることが、愛情表現だと思っていた。

それと最近は、だれかをじぶんのなかで“いちばん”にしない、というのが流行っています。
いままでだったら、想っているひとや、そばにいてくれるひとのことを、じぶんのなかの優先順位の一番上にもってきがちだったし、そうすることが、なによりも良いことだと思っていたし、なんなら、相手にもそれを求めていたところもあったんだけど、あるとき、「それは相手も自分もしんどいな」ということに気付いて。

近頃は、お互いにそれぞれ、お仕事だったり、遊びだったり、お友だちだったり、趣味だったり、家族だったり、その時々で大切にしているものや人生に於いての優先順位が変わるのは当たり前だから、私のことは、トータルのランキングで3位か4位くらいに想ってくれてたら、いいよ、と。
その、いろんなジャンルがあるなかで、“好きな女の子”っていうジャンルの、いちばんに想ってくれていたら、うれしいな、って感じで思っています。
(できたら、そこに芸能人とか女優さんとかは入れないでほしい。太刀打ちできないから。笑)

今年になって、劇的に、恋愛に対する価値観が変わったなと感じます。
でもこのほうが、自分にしっくりくるし、ものすごく心地良いので、気に入っている。

何をいままで、固執してたんだろうね?
きっと、色々とこわかったんだろうなと思う。
大切すぎて、失うことが。
その気持ち、今はわからなくもない。

ただ、もうそんな恋愛はしないと思うし、したくない。
寧ろしたくても、きっともう出来ないと思う。
若さ故の、ひとの愛し方だった。若い時にしかできない恋愛。
だから大切にも思えるし、諸々、感謝もしています。


話は逸れましたが、最近は、恋人とか友達とか恋とか愛とか、いろんな言葉で定義される概念について、もういいじゃん、って思います。
そういうのに拘るから、いろいろおかしくなる。
だから、どんどん、あたらしい関係性をつくっていけばいいと思う。

二人にしかできないこと、二人だからこそ成立すること。
そのひととだから共有できる時間、そのひととだから行きたい場所、そのひととだから交わせる言葉や想い、そのひととだから生み出せるもの。
それをひとつひとつ大切にしていけば、自然と、お互いが心地よい関係が生まれると思う。
それを誰かは愛情というかもしれないし、友情というかもしれない。
または家族のようだというかもしれない。
でも、まわりには好きなこと、云わせておけば良い。
問題は、お互いにとってお互いがどれほど大切かということだけだから。

だから、いまはこの関係を大切にしたいから、あまり好きになりすぎないように(あまり好きな気持を出しすぎないように)気を付けているところ。
相手がほしいぶんだけ、好きな気持ちをあげたいから、いつも最大限に気を付けています。
だけどそれは、流されることはまた違うと思っている。
相手に合わせることをすこし学んだだけ。
いままで如何に利己的だったか、重々身に染みて感じているところ。

ま、なるようになるさ、と、
明日のことも、君とのことも、風まかせ。

これくらいが気楽で良いし、決して手抜きはしていないことを、
自分自身は知っているから、それで良いんです。


っていう、今日はそんな話題でした。どんな話題だ。笑
あと二日で、とりあえず連日のブログ更新は終わるー!がんばれなす子ー!!

本日も長々とお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
おやすみなさい~。



2015年10月28日水曜日

眼鏡の向こう


きょうはすこしだけ、落ち着いたかなあ、という感じ。
眼科で検診を受けたら、両目とも結膜炎でした。目薬を貰った。
新しく眼鏡を買いに行きたかったんだけど、きょうは断念。
おとなしく、治るのを待っていよう。

今年も残すところ、あともうふた月ですね。
十二月はまた大阪を離れたり、いろんなひとのお誕生日があったりできっとどたばたしそうだから、来月はゆっくりしたいな。
ゆっくり話したいひとたちがいるから、そのひとたちに会いに行こう。

あと、11月21日は、なんばベアーズでzoozooseeのライブがあるので、鍵盤を一生けん命弾きます。
きのうもスタジオだったんだけど、この五人になってからどんどんまとまってきて、とてもたのしかったです。
ちょっとワガママ言っちゃったかな?反省。

十二月が過ぎて、あっというまに来年になって、一月、二月、三月と、お仕事をしっかりして、慌しく四月になったら、大阪を離れます。
今年は怪我があって、そしてここ十年間ではじめて音楽中心の生活ではなくなって、かなり特殊な一年だったなと思う。
でも、だからこそ、出来たことも、行けたところも、出会えたひともたくさんいて、気付いたことも、手にしたことも、たくさんだったなあ、と、あらためて思います。

けっこう、もうおなかいっぱいな感じは否めないなあ。笑
まだ二か月もあるよー。ぜいたく!

へんな話だけれど、もう、次へ次へと、こころがいそいでいる。
あたらしいもの、あたらしい街、あたらしい暮らし、あたらしいひと。
いままでのすべてと、これからのすべて、ふたつの渦の、ぐるぐる混ざり合っているその中間点にいるような気持ち。

境界線は引かない。
いつだって、わたしはわたしだから。
いままでのすべては、わたしのたいせつな一部だから。
そう思えるようになって、認められるようになって、安心しています。

これからは、自分の居場所を、自分でえらんで、つくろうと思う。
居るべき場所ではなくて、居心地のいい場所。自分が居たい場所。


まいにち、お腹から笑わせてもらって、ほんとうに、まわりのひとたちには感謝してもしきれないなと思う。
生まれてまだひと月の赤ちゃんにだって、いっぱい、笑顔をもらえるもんね。
きょうもごきげんさんで過ごさせてもらった。

まいにち笑顔でいられること。
十月の、いちばんの収穫は、これかもしれないね。




2015年10月27日火曜日

ダンスダンスダンス



こんな時間なのに、お砂糖たっぷりのカフェオレなんか作って飲んでいます。
空きっ腹に酒、ではなく、下っ腹に皮下脂肪。
ぶくぶく溜め込んで、だめだこりゃ。

雨が降る中を家に帰った。
思ったより冷たくなくて、すこしだけ安心する。
都会の雨は、繁華街の光を受けて真っ白でした。

真っ暗な商店街を通る。
どこの街にいたって、おんなじだという気持ちになる。
だったら、誰と居たいかで、住む街を決めたっていいじゃないかと思っているところ。
すこしだけ、感情に傾倒しているところ。

そばにいることとそばにいないことに想いを馳せているところ。
なにが違うんだろう。きっとそばにいたって苦しい。

人はどうして誰かに何かを求めてしまうのだろうか?
ひとりになりたくなくて打算しているのだろうか?
こんな気持ちになりたいわけじゃないのに。

こころとからだが、ばらばらになりそうです。
すこしだけ、センチメンタルな気分。
恋なんて、いまはしたくない。
こんな自分に腹を立てているところ。



静かに溢れる涙をそっと拭ったら、
またいつもの二人に戻ろう

そして静かに、待っていようと思う
ただその時が来るのを

それまで、上手にステップを踏んで踊り続けよう



踊り続けよう






2015年10月26日月曜日

食欲の秋


きょうはゆっくりゆっくり過ごせた一日でした。
お天気が良かったので、お洗濯をしてお布団を干して、ついでにひなたぼっこもしました。気持ちよかった。
ギターを弾いて歌をうたった。あまり喉がよくないようです。

読みかけの、村上春樹『ダンスダンスダンス』読了。上巻、下巻ともに割と一気に読んでしまった。
なだらかな起伏というか、全体的にぼやっとした印象を受けました。
静かに細かな雨が降っていて、そのおかげで遠くのものがぼんやりと見えるような、感情を鈍らせる薄い闇が佇んでいるような、そんな感じ。
物語自体は面白かった。とくに冗談が。

着物を片付けたり、ついでに組み合わせを考えたりしました。
来月はもしかしたら敬老の日イベントがあるかもしれないから、祖母に会いに行くときに着物を着ようかしら。
やっぱりあたらしく帯が欲しいな。でももうすこしだけ辛抱しよう。

十月は、よく動くことのできた一か月だった気がします。
前半はほぼ誰にも会わず、まいにちを積み重ねることを意識して、日課を作ったり、絵を描いたり、自分の内面を覗いたり、歌や音楽と親密になったり、割と穏やかに過ごせた。
後半、お久しぶりの人にお会いしたり、お友だちとゆっくりお話ししたり、あたらしい場所に行ってあたらしい人と出会ったり、人に会って話すことがとても多かったように感じます。
すこし身体に無理をさせてしまった部分もあるかも知れない。

そしてきょうからはまた、身体の声をよく聞いて、静かに過ごしたい。
以前ほど身体に対しての不安はなく、からだ、こころ、あたま、三つが仲良く円を描いているイメージ。

からだは、心と頭だけじゃ出来ないことを出来る。
こころは、頭も体も感じられないことを感じられる。
あたまは、身体と心が知らないことを知っている。

みんなみんな、なくてはならない、と思っています。
頭は思考するのが得意だし、体は行動するのが得意だし、心は感じるのが得意。
それぞれに、出来ることも、役割も違うから、それぞれの声を、聴くことができるようになればいいと思う。

いまはとくに、身体が大切だから、身体が感じることをそのまま感じるようにしています。
頭では、今日やるべきことだと、わかっている物事でも、身体に、無理はさせないように。
そのふたつをつなぐのが、心だったり、するのです。

からだとこころがちぐはぐなときは、あたまで考えてみる。
こころとあたまがちぐはぐなときは、からだを動かしてみる。
あたまとからだがちぐはぐなときは、こころで感じてみる。

そんなふうに、チームワークを生かしていく感覚。
だれかひとりが欠けていてはいけない。


だから、きょうは体を甘やかしたねー。なんて。
そのおかげで、心も頭も、ゆっくり休息が取れたようです。

気を抜くと、いろいろと詰め込み過ぎてしまうから、きょうみたいな日が必要。
(基本的に、本を読む時間と、ギターを触る時間があれば至福だけどね)

あんまり人と話さなかったけれど、きょうも一日ごきげんで過ごせました。
どうもありがとう。いい日でした。



ただこの時間におなかが空くの、どうにかしたいよ…!!


2015年10月25日日曜日



土曜日は一日じゅう、めいっぱい遊んだのと、一日の終わりにすこし気がかりなことが発生して、そのことに気を取られていたらブログどころじゃなかったのでお休みしました。
きょうも朝早くからお仕事だったので、支障が出ないように早く寝させてもらいました。
更新を楽しみにしているひとが微粒子レベルで存在していたらとても申し訳ないと思います。

きのうはお昼間、お友だちとランチして、カフェでまったり過ごしました。
ぶらぶらしながら、新しく眼鏡を作ろうと思って、一緒に眼鏡屋さんに行って、お互いに似合う眼鏡をいろいろ試したのが楽しかった。

彼女は高校からの付き合いなんだけど、わたしがこのあいだ失恋したまさにその当日に、「失恋した~(;_;)」ってメールを送ったら、「Brain Dots(スマホのゲーム)でいま面白いトライアルやってるから、それやって元気出しなよ!」っていう返事をくれて、その返事のおかげで感傷的になりすぎずに済んだという、グッジョブなお友だちです。
ベストフレンドって、こういうことだなーって、思いました。

ひさしぶりに男の子とデートしたそうで、乙女のように悩んでいてキュートでした。
人と付き合うこととか、恋愛観とか結婚観とか、あたらしく出会ったひとのこととか、いろいろ話しておもしろかった。
いつも、身体の力を極限まで抜いて、なにも考えずに他愛のないおしゃべりができるので、とても癒されます。
ディズニーランドのお土産をあれこれくれました。ニモのわかめスープが期待大です。

夕方家に戻って、ひさしぶりに着物を着付けて、わかばさんのライブへ。
いやー、やっぱり、半年以上着ていないと、帯の結び方がわからん!笑
もっと場数踏んでいこう…と反省しました。
ただ、ブランクがある割には、帯以外の長襦袢や着物自体は、おはしょりから何からものすごくきれいに着れたのはうれしかったです。
エンジ色とか黒の着物はだいぶ苦戦した思い出があるけど、灰色のは相性よかったのかな?
来月はどこに着ていこうかな~。わくわく楽しみです。

夏ぶりに観たわかばさんのライブは、ものすごく、良かった。
歌への情熱が高まって、溢れてくるのを肌で感じた。
冷たい空気と皮膚の下で、静かに慟哭していた。

このひとはずっと、ステージで歌い続けて、ステージで進化しつづけるひとなんだなあと、思った。
いまならまだ、追いかけられる、最後のチャンスかもしれない。
追い付けるかどうかはわからないけれど。

『まだら』を歌ってくれて、やっぱりCDで聴くのとぜんぜん違うし、先週会ったときに練習しているという話をしていたから、(そしてわたしが歌うと怨念のようなどろどろさが出てしまうとも話した)、それでちょっとわざと、どろどろと歌ってくれたのかな?と思いました。
それぐらい迫力があってよかった。

毎回ライブごとに、いちばんいいなと思う曲が違うんだけど、きのうは、そのあとに聴いた『茜』で、思わず涙が出た。
新曲の『決別』も、ものすごく良かった。はやく馴染んだものも聴きたいな。

そんな影野わかばさんの、今回のツアーファイナルは10/30(金)、高円寺U-haにて、山崎怠雅さんとのツーマンライブがあるそうです。
もしお時間良かったら、どんどん進化していくわかばさんの歌を、聴きに行ってくださいね。

◎皐乃一座HP
http://kouno-ichiza.net/

※影野わかばさんは、皐乃一座に在籍するアーティストなので、こちらのホームページからライブの詳細がご覧になれます。

大阪は12/9に、道頓堀かつをの遊び場で、ワンマンライブがあるよ!
わたしは今回は見に行けないから、誰かぜひ目撃しておいてほしい。

そうそう、ひさしぶりに観た、ざっしー(豊川座敷)のライブも良かった。
いまのざっしーが全部出ている感じがして、好きでした。
(たしか前にベアーズで観たときは、風邪で声がガラガラだったんだっけね)
あとおふねにも会いました。相変わらずおふねはおふねでした。


帰りみちにちょっと気がかりなことを耳にして、心配性のわたしはどうしても不安になってしまうようなことだったので、地下鉄の窓に映った自分の顔を見たら見事に眉毛がハの字になっていた。
遠くに住んでいるひとのことだし、何かあってもすぐに会いに行けるわけじゃないんだけど、心配で心配で。

でも、いまそのひとがどういう状態かわからないのに、良くないことばっかり勝手に考えて、暗い顔してしまうのはなんか違うんじゃないの、と思って、家に着くまでに、心の中で、『あいつは大丈夫!』って百回くらい唱えながら、むりやり笑顔を作って帰りました。
だってせっかく着物着てるのに、悲しい顔してたら、着物にも失礼じゃないか、と思って。笑

そうやって、むりやり笑ったの、ひさしぶりな気がした。
それくらいいつもは、自然に笑顔にならせてもらっていることに、ありがたく思いつつ、もちろん、いつもたのしいことばかりではないと知っているつもりだし、でも、できれば、むりやり笑うなんて、しないほうがいいと思っているんだけど、そのときは、じぶんにとって、そして周りのひとにとって、笑顔が必要な気がしました。
この現象については、まだちょっと考察中。

結局、とりあえずのところは大丈夫だという連絡が来て、ちゃんと元気そうな声も聞けたので、いちおうは、安心したんだけれど、なんだか、ものすごく心配したあとに、ものすごく安心したら、どっと疲れるものなのだなあと、思いました。

ほんと、なんともなくてよかった。
でもね、まだちょっと、混乱している。自分の胸のなか。
混乱しているんだよ。


『いつもの笑顔で 君を抱きたいな
懐かしいまなざしで 君の名を呼びたいな』

ライブを観たときとは違った濃度の茜色、
しずかにしずかに、胸に沁み入ってきます。



きょうもとりとめない感じだなー。笑
谷川俊太郎さんのエッセイ、順調に読み進めています。

心地良い感じの文体。
わたしの文体はぼろぼろだなあ。
(いつも音楽を聴きながら書くから、集中していないという言い訳)

すこしずつ、風がつめたくなってきますね。
きょうも楽しく、ごきげんですごせました。


どこにいるひとのことも、
ここからいつも、想っている。



岡山で思ったこと



2015.10.16-10.18の三日間で感じたことを、帰りのバス内で、感じたままに。



・18:03

さよならについて想いを馳せている。
いままでの私だったら、きっと会いたい人に会いに行っていたけれど。
疲れた顔を見せたくないなー、なんて、初めて思った。
会いたい動機がきっと、依存心からくるものだったから。

ある人のこと。
会いたすぎて期待しすぎて、空回りしたなあ、
話したくないときは話さなくていいんだよ、ということを、もっと身を以てわかりたい。
自分で色々とハードルを上げすぎた。前日までに感じた違和感、当日に感じた気持ちに素直になってみてもよかった。
でも終わったことだし、総じて楽しかったのでオッケー。

人を好きになること。
人を好きになるという行為は私にとっての表現だと思っているから、一般的な倫理観に囚われない。
男女関係なく、どの人のことも好きだし、どの人のことも大切に想っている、という気持ちに偽りはない。
それぞれ皆違うから好きだし、当たり前だけど、それぞれの人と過ごす時間は、それぞれの人としか過ごせない。
(一人一人に「あなただけが好き」と約束しているなら話は別だけど)

私の場合、大体において、人を恋しく思うときはその裏側に利己的な欲求が潜んでいることが多いので、一旦止まって心のなかを覗いてみる、という行動を取り入れてみることは価値があるように思う。
一旦止まるということは、やりたいことをやらない、と、イコールではない。
勢いを殺す、剣道で言う、去なす(いなす)という感覚に似ている。

『やったほうがいいと思うこと』をやることと、『やりたいこと』をやることを天秤にかけると、やりたいことをやったほうがいいと思われがちだけれど、それも時と場合によるなあと思った。
『やりたいこと』の裏側には、感情が隠れている。
そのときの自分が表現したいものが隠れている。
でも、そのもっともっと根底に潜んでいるものはなんだろうか、と冷静に見つめて、把握してジャッジすることも必要。
『やったほうがいいと思うこと』の裏側にも、『やりたいこと』より大切なものが隠れている場合がある。
その時々で大切にするべきものが違う、違って当たり前なのだと思った。

『やりたいこと』をやることで損なわれるものもあるし、やりたいことが必ずしも、自分がしあわせにしたいひとをしあわせに出来るとは限らないときもある。
綺麗な別れが、またその人に会いたいとも思わせるし、自分もそう思っていられる場合がある。
そういう風に思えたことが良かったと思う。

笑顔で別れる、ということ。
本当はすごく大切なのかもしれない。
むしろいつでも、一緒に過ごした中で一番の笑顔で別れたい。
握手も抱擁も必要ない。それを知ったのも経験。
すごくすごく、大切な経験。

旅に出て出会えた、また会いたいと思った人のこと。
思わぬところで物事は繋がって導かれていくから、自分をオープンにしておくという感覚はすごく大切。
(オープンというものがどういう状態かは、まだ自分の中で感覚的すぎて、具体的に上手く説明出来ない)

好きじゃない場所や人でも、自分の状態次第で良くも悪くも転ぶし、退屈と感じ始めた次の瞬間、思わぬきっかけで人をおもしろいと感じたりするので、少しだけ、その場に留まってみる、というのも必要な視点なのかと思った。
どうしても嫌なら無理はしなくていいと思うけれど、どうしても、に至るまでのギリギリを知っておくことや、キャパを増やすということは、決して自分にマイナスにはならないのではないのかなと思う。

逆に今日みたいに、期待しすぎると失敗する時もある。
期待をするということは、自分自身が自然な状態ではない、ということなのかな?
周りに何かを求めているという状態なんだろうか?
当たり前のことだけれど、自分にとって心地の良い自分でないときに、無理に何かをしても後悔するだけだと、身を以て感じた。
なにかしら、周りに気を使いすぎたり、期待や妄想をすぐにしてしまう人間なので、そのあたりはもっと経験して、自分に合った方法を探していきたい。

行動の『選択』の幅を広げるということ。
自分が、自分で、その場の自分に合った選択が出来るようになりたい。
思考や視点のバリエーションを増やせたら、次は、言葉と行動のバリエーションを増やす。
「誰かにこう思われたい」という理由が大元になければOK。
そういうスキルを身につけることが、大切な人にスムーズに気持ちを伝えられることに繋がるのかもしれない。

そのスキルが未熟な故に、必要ない軋轢が生まれたり、修復出来ない傷を付けてしまったり、
結果的に、憎み合って、別れてしまうことは、本当に哀しいことだと思う。

座談会のこと。
初めて参加して、楽しかったけれど、あまり得意な場所ではないかもしれない、ということがわかった。
それがわかっただけでも、行って良かったと思う。
違和感の正体、まだもうちょっと考察や分析が必要。

決して、誰かや何かを批判したり、それによって自分を正当化したり慰めたい訳ではない。
自分にはちょっと合わなかっただけだし、そのことを誰かに理解してもらいたいとも思わない。
みなさん本当に素敵だった。私自身がまだまだ無知で未熟なだけ。
思い返せば旅も三日目、いろんな部分に疲れも見えていたのかな、とも思う。
でも、“だから『悪』”ではない。
いまは自分の心の動きに興味があって、文章として遺せるほどはっきりとした感覚として感じたいから、考察を続けようと思う。

コミュニケーションにも嗜好があるのだと知ったこと。
静かな場所で落ち着いて、個人的に、一人対一人で話すほうが好きだということ。
同じような考え方をするからといって、皆が皆、仲良くなれるわけではないということ。
また、もしかしたら、仲良くなる必要も特にないのかもしれない、ということ。

考え方やバックボーンが違っても、高校が同じだったり共通の知り合いがいることがきっかけで、仲良くなれる人もいるということ。
私の場合、違った考え方をしているひとでも、一人対一人や少人数なら、割と素敵な時間をシェアできたり、面白がれる確率が高いということ。
垣間見える同じ感性と出会う瞬間が楽しかった。

仲良くなるのに、共通の話題は少なからず大きなウエイトを占めるということ。
子供が好きだったりあるアーティストが好きだったり、音楽や映画や本の趣味が似ていたり、同じ土地に行ったことがあったり、生まれた場所が近くだったり、無限にあるけれど、そういったこと。
そういう話をすこし軽視していたかもしれない。媚びのように思っていた部分がある。
(自分の知識について、地に足を付けることは今からでも可能かしら。)

興味のあること、そのとき感じたこと。
こんなにもはっきり感じているのに、言葉で伝えられないもどかしさ。
それがあるから、音楽をしたり絵を描いたり物を作ったり、言葉以外でも人は表現するのだと思う。

思ったことを自由に表現しよう、と、さらに強く思った。
即興演奏において、より良い演奏を出来るようになりたい、と思うことに近い感覚。


人は流れて、流れていくよ、ということ。
私は今、近くの人と、深く交わりたい時期だということ。

近くというのは、大阪東京とかいうことではなくて、心の近さ、興味の深さ、のようなものです。
逆に思えば、深く交わりたい人たちは、大体みんな、それぞれの場所にいる。
だから丁度いいのかもしれない。
わたしは、いまここには、ひとりで良い。ひとりが良い。

さて、依存心からくる行動には、他にどんなものがあるのかしらね。
自分の心の解体ショーしてるみたいだ。たのしい。


大阪に戻って、ものすごく、笑顔だということ。
うずうずしている自分がいるということ。
うわー、生きてる!って、思えたこと。楽しかった、って、思えたこと。

いまの自分にとって、必要な旅だった証拠だと思っています。
出会えた、関わってくださった全ての皆様、
本当にありがとうございます。




鞄の中身


そういえば、先週の岡山旅行の荷物を公開しようと思って忘れていたので、公開しまーす。
なにかの参考になれば。笑


◎持っていったもの
iPhone5s
iPad mini
iPod、イヤホン
お財布
タオルハンカチ
ティッシュ
緑のポーチ(痛み止め、バンドエイド、目薬、リップバーム、リップグロス、日焼け止め)
紫のポーチ(アメ類、漢方薬)
化粧ポーチ(歯ブラシ、コンタクト用品、スキンケア用品、おりものシート、カイロ、湿布)
寝間着用の長袖シャツ
寝間着用の靴下
着圧靴下
下着の替え
タオル
充電器
香水
腕時計
アクセサリー

◎あれば良いなと思ったもの
マスク…ただ単に持っていくのを忘れた
青汁…やっぱりパンしか食べなかったから、帰ってきて肌荒れがすごかった

◎持っていかなくて正解だったもの
手帳…重たいしかさばる、バスや電車内で書けない
文庫本…全然退屈しない、移動中は景色を見たりぼーっとできる

◎お洋服
ストレッチジーンズ
ブラ付きキャミソール
半袖ベロアのトップス
薄手のカーディガン
厚めスウェットの上着
靴下
ウォーキングシューズ

以上!!
上の写真の荷物を、左下のカバン2つに分けて入れて持っていきました。
やっぱ昔に比べたら、驚異の荷物の少なさ…グッジョブ私!
着替えを持っていかない(三日間ほぼ同じ格好をする)ことに抵抗をなくすと、こんなにも身軽になれるんだなあと、感動しました。
そして、やればできるじゃん…自分…!!と…。
(ただそのあと三日間くらい、自分の身体がものすごくクサイ気がしてそわそわした)

ちゃんとシャワー浴びたり、こまめに手を洗ったりしてたけど、服にはニオイつくもんな~。
いちばんグッジョブだったのは、案外、香水だったかもしれない。笑

旅先でも自分のお気に入りを身に着けようと思って、だいすきなお友だちと色違いのタオルハンカチ、金木犀の香りの香水、たいせつなひとからもらったネックレス(鍵のモチーフは、自分のちからで幸運のドアを開くことができますように、という意味らしいです)、母親から譲り受けた世界でいちばん落ち着く腕時計(ベルトをそろそろ交換しないとやばい)、つけ心地が最高のハンドクリームを持っていきました。
そのおかげで、わりと穏やかに過ごせた気がします。

ほんと、いま思い出してもいい旅だったなあ~。
そのときに出会ったひとたちと、また会う約束をしているのが、ほんとうにありがたいし、うれしい。

また、いろんなところへ旅に出たいな。
でも、生きている限り、旅とおなじなのかもしれない。
生まれてから、死へ向かうまでの、ささやかな時間。
そのあいだに、どんなことが起こっても、ぜんぶ、旅だと思えば、たのしく過ごせるかもね。

な~んてね!グッジョブグッジョブ!!



2015年10月23日金曜日

こんな風に過ぎて行くのなら



いけないいけない、かわいいヘアバンドを検索していたらこんな時間だ…。
きょうはパン屋さんのお仕事でした。お昼からの6.5時間の立ち仕事も、楽勝まではいかないけれど、だいぶ平気になってきてうれしいです。
やっぱり朝いちばんの時間帯は、他のみんなにとっても、いちばんキツイみたい、まだもうすこし復帰はおあずけだな~。

あしたの着物の用意をしていて、かわいい足袋がないことに気付いて、お仕事帰りに急いで靴下屋さんへ寄って帰って、着ようと思った着物の袖と、持っている肌襦袢の袖の長さが合わないからちょっと詰めたりして、さあ、付け襟を付けるぞ!と思ったら、この、襟を付けるのがびっくりするくらいむずかしくて時間がかかっちゃって、気付けばきょうもこんな時間です。ねむたいよー。
着物を着る人間しかわからない話でゴメンねー。

パン屋さん、ずーっと会いたかった、ひさしぶりに会うお客さんに、会えました。
ちょっと前に書いた、半年に一度しか会えない紳士と共通の知人なんだけれど、一年くらいお顔を見ていなかったのかな?ひさしぶりだったけど、気さくにお話ししてくださってうれしかったです。
わたしも夕方に店にいるのがあんまりないことだし、お店の他のスタッフから、その方が最近来られていないと聞いていたので、会えるかななんて期待はしていなかったんだけど。
ほんと、めちゃくちゃラッキーだなあ~。

そのおかげで一日じゅう、ごきげんさんですごせました。
やっぱり会いたいひとには会えるようになってるんだねえ。

あと、最近パン屋さんには、赤ちゃんを抱っこしてパンを買いに来るお母さんがとても多くて、赤ちゃんや小さい子供を見るだけでとても癒されます。
他にも、ひさしぶりのお客さんにお会いすることが最近多いので、それだけでもほんとにうれしい。
そういうのがあると、すぐににこにこしちゃうので、ああ、わたしって、単純だな~と、しみじみ思いました。

お仕事に行く前に、宇多田ヒカルを爆音で聴いて踊りながらお菓子を作って、お世話になったひとに贈り物をおくったり、あした会うお友だちに渡すプレゼントを用意したり。
ながく会えないひとだけじゃなくて、いつでも会える、古くからのお友だちにも、なんとなく、メッセージをしたためました。

そんな気分のときって、あるよね。
いつも想っているよ、って、ほんとはいつでも伝えられるものなのかもしれないけれど、いつでも伝えられるしあわせ、っていうのもあるのかもしれない、と、ふと思いました。


あたらしいひとを識っていっても、かわらないものもあって、だけど、かわらないように見えて、時間とともに、ほんのすこしずつ、かわっていく。
それは自然のこと。悲しまなくても、いいこと。

歳をとって、いろんなことを経験していくのが、ほんとうに、たのしくて、うれしいです。
まいにち、そんな気持ちで、過ごさせてもらっている。
でも、うわついた気持ちだけじゃなくて、いいことばかりじゃない、ということも、わかった上での、いまがあることに、すこしだけ、ひとり安堵しています。


タイトルの、だいすきな、浅川マキさんの歌。

『こんな風に過ぎて行くのなら
いつかまた、どこかで何かに出逢うだろう』

さみしい気持ちの歌だけれど、さみしさも、かなしさも、むなしさも、やるせなさも、たくさん、たくさん、経験して、でも、それがあるから、いまがある、と、歌えるようになりたい。
その感覚が、わかりつつあるのが、うれしいです。

痛い、辛い、怖い、悲しいのなんて飽きた。
そういうの、ぜんぶ感じたうえで、わらっていたいなと、いまは思います。
いまの自分だから、歌える歌がある。
それを大切にしていきたいです。

なーんてね!
まだまだ気持ちも技術も未熟だからね、まずはかたちにするところからはじめなくちゃね!


いつも自分のことばかりだけれど、読んでくれてありがとうー。
あしたのために、きょうははやく寝よう!

きょうも一日おつかれさま。
おやすみなさい。




2015年10月22日木曜日

血眼



ここ数日、左目がなんかおかしくて、普段からコンタクトレンズをしてるんだけれど、視界がボヤーっとするなあ、と思ったら真っ赤に充血していました。なんじゃこりゃあ。
仕事中ずっと目ヤニが出て気持ちが悪かったです。

うーん、乱視用のコンタクトレンズが合わないのかな??
あした様子見ておかしかったら病院に行こうっと。

きょうはお手紙を書いたり、ギターを弾いたりして過ごしました。
他にもちょっと、やりたいことがあったんだけど、なんとなく体もぼやぼやしていて。
無理せず、できることをやろう、と思って、ギターを手に取ったらこれがまた楽しい楽しい。

きもちが濁っているときはあんまり音楽に触れたくないというか、音楽に対して失礼な気がして疎遠になりがちなんだけれど、ギターを持った瞬間、「あ、これこれ!!」って、体がよろこぶのを感じました。

ひさしぶりに、おっきな声で、うたえたかな?
いつも弾く曲を弾いたりして、歌詞をなぞったらあたらしく気付いたこともあったりして。
とっても気持ちがよかったです。

音楽の力ってすごいんだなあと改めて思った。
うた、どうもありがとう。

11月に入ったら、本格的に2曲、録っていこうと思います。
って言っても、前と同じく、iPhoneちゃんのボイスレコーダーで、おうち録音だと思うけれど。

一回スタジオに入って録音してみてもいいかもね。マイクとかも借りてね。
まったく知識ないけどね。見よう見まねでね。
影野わかばさんの『まだら』と、自分の曲で『白日夢』。
ほかにも、ワニのいる生活の『わるい夢が去るまで』も、すこし練習しかけたりしたけれど、あんまりよくばりすぎないようにね。

ピアノのほうも進行中、ただ11月21日に難波ベアーズでzoozooseeのライブがあるから、そっちの練習に励んでいます。
ピアノのうたも、はやくうたいたいよー。

いい感じに、うずうずしています。
12月までに二の腕とおしりのたるみをなんとかしようと、きょうから筋トレも始めたしね!
すっごくいそがしい!!気がする!!


あしたのパン屋さんのお仕事をがんばったら、土曜日はお友だちとランチ、夜はわかばさんのライブ!扇町パラダイスだよ!ざっしーも出るみたいだよ!
できたら着物を着てお出かけするんだい。

日曜日は余裕があれば絵のつづきを進めたいな。
鉛筆描きのほうだけでも完成させたい。

ちょっと頭痛と体調不良がこわいけどね。そのときは、そのときだ!


きょうも一日楽しく過ごせました、どうもありがとうね~。
お風呂に入ってマッサージします、おやすみなさい!






2015年10月21日水曜日

ひとり暮らし


同タイトルの谷川俊太郎さんの著書を読み始めました。
これは…、いいなあ、やっぱり、谷川俊太郎さん、だいすきだ。
村上春樹さんのエッセイも読んで思ったんだけれど、エッセイって、いいな。
小説や詩の作品ももちろん素晴らしいけれど、その人の素に近いものに触れられるような気がします。
あ、もしかしてブログも似たようなものなのかな。どうだろ。

きょうは昨日書いたとおり、朝からパン屋さんのお仕事でした。
結果は惨敗…までとはいかないけれど、やっぱり腰にくるな~。
立つ時間が長いのだったり、たくさんの距離を歩いたりは、このあいだの三日間でだいぶ鍛えられたと思っていたのですが、お仕事となると、物を持ちながら立ったり座ったり、物を頭上に上げ下げしたりという動きも加わって、思ったよりつらかった。

ただ、朝の時間帯にしかお会いできない常連さんとも、約半年ぶりにお顔を合わせることができて、ごあいさつできたのがうれしかったです。
半年いなくても覚えててくれてるんだな~、と、感激しました。

お客さんにちょっと変わったおじさんがいらっしゃって、なぜかお店に入ってくるといつも「ぼんじゅ~る!!」ってあいさつをしてくれる、『ぼんじゅ~るおじさん』と勝手に名づけているんだけど、そのおじさんがきょう、何となしに、「仕事やから笑うんじゃなくて、いつでも笑顔でおったらいいらしいで!自分のために笑うんや!好きな歌うたってな!」と言ってくれたのがすごく印象的でした。

最近自分のために歌ってないかも、と思って、帰り道に鼻歌を歌いながら帰ったら、ものすごく笑顔になれました。
お天気も良かったし、気分がものすごく良くなって、歌のちからはすごいなあと改めて思った。

以前に比べると、えがおは増えたんじゃないかなと、思っています。
疲れているのに、無理にわらうことも少なくなった気がする。

いつでもこころのなかに、好きなひとや、会いたいひとが、住んでいること。
ただ、生きていることが、うれしくて、たのしくて、しあわせだと思うこと。
むかしのわたしが知らなかった、地に足を付けたような、どっしりとした確かなしあわせを感じます。

高い高い青空の下、根っこがちゃんと生えているお花が、
秋のそよ風にふかれて、さやさや揺れながら、わらっているよう。

これから長い冬が訪れても、ああ、だいじょうぶだな、と、感じている。
こころのなかに誰かが住んでいることが、こんなにも、養分になるんだなあ、と。

今までと、なにかが、決定的に変わったと感じます。
出会ったひとたちが、あたらしい種をやさしくはこんでくれた。
わたしはまだ、土が豊かになるように耕して、たくさんの栄養をたくわえよう。


ブログ更新も、とりあえずあと十日間は毎日続けようと思います。
いちおう10月は毎日!って決めたからね!
決めたことをやる!っていうのが10月の目標だからね!
(ピアノとお勉強は旅行前後のバタバタで頓挫している)
あしたからがんばろう~

ブログは三日に一回ぐらいがグッドなペースのような気がするな~。
そんなに中身のない人間だからね、まいにちはね、…ちょっとしんどい。笑


きょうもおかげさまで、ごきげんに過ごすことができました。ありがとう。
すこしだけベートーヴェンに傾倒しがちな、秋の土用入りでした。
レコードで聴きたいな。



2015年10月20日火曜日

どしゃぶりの雨の中で



タイトルとはまったく正反対の良いお天気が続いていて、なんなら日中は肌が焼けるような日差しに襲われますねー。
そろそろ雨が恋しいよ、なんて、人間は勝手なことを云う。

きょうはちょっと時間がないので簡潔に。
久しぶりにお布団を干してシーツ諸々を洗いまくりました。
いまお日さまの匂いに包まれています。
気持ちいいなあ、しあわせ。
毎日お布団干したい。

先週末に出掛けていて出来なかった家事をブヮーっとやりました。
掃除機もかけて、部屋が気持ちいいです。

明日、半年振りに、パン屋さんへ朝から出勤します。
朝いちばんめの人は、お店のお掃除から、品出しから、予約分のパンを取り分けたり、朝のラッシュをひとりで捌いたりと、なかなか動きもハードなんです。
7月から復帰させてもらっていたとはいえ、中継ぎの出勤で、これは勤務時間すべて、誰かしらペアがいるので、いざ腰が辛かったり立っているのがしんどかったりするときは、何かしらサポートをしてもらっていたんだけれど。

明日は、その中継ぎのひとが来るまで、ひとりで店番しなくちゃいけないのです。
厨房の人たちも、午前はめちゃくちゃ忙しいから、助けを呼べないし、なんといっても、私が怪我をした時間帯なので、ちょっぴり、ほんのちょっとだけ、びびってます。

まあ、でも、明日を越えられたら、完全復帰と言っても過言ではないし、先週末の三日間、たくさん歩いてだいぶ足腰も強くなったような気がするから、がんばろう!
神のご加護がありますように!

きょうも楽しく過ごさせてもらいましたー。
ありがとう。

十月に入って日課にしていたこと、すこし狂ってしまったけれど、たいせつな旅だったので、気にしないようにしよう、明日からがんばろう。
きょう、ちゃんとこうやって、ブログも書いたしね!

どんどん、楽しみなことが、待ってくれている。
あしたも楽しめますように。

おやすみなさい。



2015年10月19日月曜日

桃太郎伝説



ということで、先週の金曜日から日曜日までの三日間、ほんとにふらっと、岡山に行ってきました。
事前に準備をしまくることで有名ななす子ですが、今回はなんとなく、ノープランで行ってみようと思って、旅行の日数も、どこに泊まるかも決めずに行ってみました。

なかなかエキサイティングな三日間になりました。
ほんと、いろんなひとと出会えて、とても楽しかった。

どんなことをしたのか、どんな人に出会えたのかをざっくりまとめてみたので、もしお時間ありましたらどうぞ。(けっこう長い)

◎岡山旅行記
10/16(一日め)
10/17(二日め)
10/18(三日め)


帰りのバス内では、思ったことを思ったままに書いてみました。
こちらは徒然すぎて収集していない。
文章量が多いので、ちょっと寝かせてから公開しようかと思っています。
(ぐちゃぐちゃのまま公開しても面白いかもだけど)


そんなこんなで、いろんなことを身を以て実験し、体感し、経験できた三日間でした。
また写真は写真でまとめてアップしようと思います。

ほんとうに良い旅でした。
お関わり合いになってくださったすべてのみなさま、ありがとうございました。

ぜひ、またお会いしましょう。


10/25追記
ぐちゃぐちゃのつれづれを公開しました→岡山で思ったこと
自分でも意味がわからないから、なんとなく流してもらえるとうれしいです。



2015年10月18日日曜日

岡山旅行記10/18




◎三日めのこと。

ジュンコさんとは今日でお別れでした。さいごまで爽やかですてきな人でした。
ほんとにご一緒できてよかったと思います。
ちょっとだけ寝坊したけれど、無事お見送りする。(だからスタッフじゃないのに)

埼玉から来られた(お名前聞かなかった)男性ともお話させてもらって、その方も世界一周をしたことがあるらしく、いろいろなところを旅していらっしゃるみたいで面白かった。
その方のことも、オーナー野口さんとともに見送る。
去っていく後姿の、歩くスピードが速くて、さすが世界一周する人は違う、と二人で妙に納得する。

そのあと、イトウさんが雑炊を作ってくれたので、美味しくいただく。プリティなカブにも跨がせてもらう。
イトウさんのことも見送る。もう、『とりいくぐる』のスタッフと思われていてもしょうがない気がする。

オーストラリアから来た女の子、22歳のマーニーとちょっとだけお喋り。
でもお互い母国語しか話せず、片言の英語で会話する。ぜんぜん思った単語が出てこなくて悲しかった。
あー、英語勉強したいなー!!と切に感じました。マイティーチャーイズ、リブインイシカワ!

とりいくぐる』というゲストハウスは、古い肉屋さんの敷地を改装してあるゲストハウスで、奥に肉屋の名残りと思われる大きな冷蔵庫の扉があるんだけど、そこからいきなり女性が出てきてびっくりしたので、面白くてお話を聞くと、冷蔵庫の中をフリースペースのように使っていて、そこで月に一度、編み物教室をしているのだそう。
わたしは独学で編み物をしているから、今まで編み物教室に行く機会がなかったので、興味本位で指編みを体験させてもらう。
いろいろとお話を聞きながら、10分もしないうちにシュシュ完成。
蒼い毛糸の色が綺麗でした。髪がまだ束ねるほどの長さではないので、一日じゅう手首に付けていました。

【NAWATEあみもの部】というイベントです。FaceBookとかにあるのかな?
(見つけられなくてリンク貼れなかった…ごめんなさい…)

あと、講師の岩本まゆみさんのブログにも書いてもらったー。お嬢さんですってよ♪(*^。^*)
ゆっくり編もう。Slow Knit Club

そうこうしている間に、母の友人が車で迎えに来てくれたので、やっと自分がお見送りされる番に。
じつはお見送りされるのって苦手なほうで、どちらかというと、いってらっしゃいを言いたいほうだし、友達と街で待ち合わせて遊んで帰る時も、ぜったいにこちらが見送るシュチュエーションを作るんだけど(わたしが帰る駅まで送ってくれた友人を、改札の手前で「ここでいい」って言って、逆に見送ったりする)、その場所にかならずそのひとが居て、そこから見送られるのって、ちょっぴり、いいなあ、って、思いました。

何がどう、いいと感じたのかは、わからないんだけどね。
角を曲がる手前で、ふと、泊まった場所を最後に見ておこうと思ってなんとなく振り返ったら、野口さんが手を振ってくれていて、すごくうれしかったです。
見送られるうれしさも体感できてよかった。

実は母の友人が岡山に住んでいらして、初日にすこし顔だけ見せに行ったら、気にかけてお食事に誘ってくれたり、お電話をこまめにいただいたりしていたんだけれど、その方も急に仕事が入って戻らないといけないご多忙な方でなかなかタイミングが合わなかったのを、最終日の午前に時間を作ってくださって、その方と、その方の娘さんでツカサさん(わたしより2つ年上)、お孫さんのルナちゃん(ハーフのめちゃめちゃカワイイ女の子!)の4人で、車ですこし行った所にある備中国分寺というお寺に連れて行ってもらいました。
五重塔があるお寺なんだけれど、そこへ向かう道だったり、お寺の周りの風景がもう、美しすぎて…!
田んぼの間にコスモス畑があったり、お天気の良さもあったんだけれど、天国のように心地よかったです。

そしてルナちゃんはまるで天使のようでした。
まだ2歳と半年くらいなんだけど、初めて会ったのに仲良くしてくれて、ちょうど言葉を覚える時期だから、わたしが話した言葉を真似して話してくれるの…!!!
「はい、どうぞ」「あい、どーじょ」のやりとりが超絶可愛くて、ずっとニヤニヤしていました。

ツカサさんは実は高校の先輩で、その時の話もしつつ、いまはオーストラリアに住んでいらっしゃるんだけど、「遊びにおいでよ~!案内するよ!」と気軽に言ってくださって、とてもうれしかったです。
午後から用事があったので、あんまりゆっくりご一緒できなかったんだけれど、ソフトクリームをみんなで食べたり、コスモス畑でお写真を撮ったりと、癒されて帰りました。

午後からは、富士商店近くにある、晴れ間というフリースペースで、坂爪圭吾さんという方の座談会があるので参加してきました。
坂爪圭吾さんという方は、「家がなくても人間は生活できるのか?」っていう実験をご自分でしていらして、おもしろいことをやっている方だなあ~と思ってブログを読み始めたんだけれど、考えることにすごく共感できるし、自分があることを想ったり感じたりしているタイミングで同じことをブログに書いていらしたりと、シンクロ率が半端なくて勝手にファンだったので、いつか生で観てみたい!と思っていたのでした。

うーん、いろいろ難しいなあと感じたり、難しくしているのは自分自身だなあと感じたり。
坂爪さんやMAYUさんと、座談会で話したかったんじゃなくて、ただお友だちになりたかったのかも知れない。
同じことを同じように考えていて、とてもうれしい、と、伝えたかっただけなのかもしれない。
それはきっと、あの場で、人の前で伝えることじゃなかったのかな?と思いました。
詳しいことは割愛します(思ったことはこちらにぼやっと書いた)が、総じて楽しめたのでよかった。
晴れ間・オーナーの雅人さんともすこしお話をさせてもらった。とても瞳が綺麗なひとでした。

そのあとに、農業を研究しているという女の子とお話しました。
彼女、大学院生のアヤコさんは、座談会の質問コーナーみたいなときに、面白いことを聞くなあ、と思って興味を持っていたので、お話できてうれしかったです。
株式会社いぶき』という企業で、農業関係のいろいろな取り組みをされているそう。
お話に出てきた、スピリチュアルな角度からみる農業ってなんだろう。めっちゃ興味あるなあ。
アヤコさんも、また岡山来たときはお会いしましょう~と言ってくれて、とてもうれしかった。


岡山駅へ向かう途中、初日に行ったパン屋さん『Boulangerie Douyama』にもう一度行ってパンを買う。
クロワッサン、至福。『ふさやベーカリー』の軽いバターの感じとはまた違って、どっしりして艶があって、美味しかった。
甲乙つけがたいな…ギリギリふさやベーカリーかな…。

初日にも遠目から目撃したんだけれど、夕方、岡山の駅前上空に、鳥が何十羽も集まって飛んでいるという光景に遭遇。
変わっていく空の色と細い月を眺めながら、三日間、いろんなことがあったなあ~と、思いました。


バスで大阪に戻って、二日ぶりの梅田駅。
いままでと違う心境に、自分でも驚きました。

この一年、東京や石川、九州、札幌に滞在してそこから帰ってきたとき、もちろん楽しかったのに思った以上に疲れていたり、滞在先の人のことをものすごく恋しく思って、大阪での生活が辛く思うときもあったんだけれど。

今回は、帰ってきた途端、
「よっしゃー、わたし、いまめっちゃ生きてる!!がんばるぞー!!」
って、なんだか、うずうずしてしまって。

足が痛いのも、荷物が多いのも、うまくいかないことがあったのもぜんぶどこかに行って、
あしたから、もっとがんばろう、って思えました。

旅先で出会った人のこと、いまは不思議と、恋しいと思わない。
ただ、またかならず、会いに行こう、って、思う。
ほんとうに、いい旅をさせてもらえたんだなー、て。
ぜんぶ、まわりのみなさまのおかげだなあと、心から思います。


書き切れなかったこともたくさんあるんだけれど、
出逢えたみなさま、お関わり合いになってくださったみなさま。
本当に本当に、ありがとうございました。
またね!!



おしまい。


追記:

今回の旅で、最後まで、どの人とも「また会いましょう」と言ってもらえたの、すごく嬉しいことだな、と感じました。
「またね」「また来ます」「また帰ってくる」って、ツアー先だったりそこで出会ったいろんな人に約束したの、ちゃんと覚えているし、約束を守りたいと、ずっと思い続けてはいるけれど、みんなにとっては、どうだったんだろう、いま、どうなんだろう、と、たまに思うことも、やっぱりあるんです。

うーん、ライブをしに行く、って、何なんだろう?どういうことなんだろう?と、ちょっと思いました。
いま、どこかの土地へライブをしに行くことはないし、多分これからしばらくも機会がないと思っているんだけど。

音楽を続けること、ステージに立ってライブをすること、どこかの土地へ行くこと、それからもっともっと、沢山のこと。
ぜんぶ、経験として、いまの自分の中にあって、そして、いまは、どれも選んでいない。

いまは、必要じゃない。
いまは、もっと大切なことがある。
そんな気持ち。

だからといって、一人一人のことや、たいせつな仲間たちのことを、忘れたり、嫌ったり、もういいやなんて、思っているわけなんて、決してないんだよ、と、伝えたい。
決して、感謝の気持ちがなくなったわけではないんだよ、と。



ふふ、いまのわたしには、伝える術がないね。
すべての人のことを愛していると、伝えるのには、音楽をやりつづけるしかないのかしら。
人前に立ち続けるしか、ないのかしら。
それ以外に、伝える術は、ないのかしら。

(そもそも、「伝えようとすること」と、「ずっとそう思っていること」、どちらが大切だとか、いいとか、わるいとか、あるものなのかしら。)
ステージに立ち続けることを選ばなかった・選んでいないわたしは、みんなの目に、どういうふうに、うつっているのだろう。


なーんてね!ちょっぴりシリアスになったけれど、それはまたのお話し。


長いのにいつも読んでくださってありがとう~。
いつ、どんなふうに出会った人とも、どこかで、また会えると良いね。
みんなおんなじ、地球の上に住んでいるんだものね。

みんな穏やかで、元気に暮らしていますように。


2015年10月17日土曜日

岡山旅行記10/17




◎二日めのこと。


案外早く目が覚めて、朝の支度をして、お仕事に行かれるジュンコさんをお見送りに。
物静かなお姉さんこと、鳥取出身のヨシエさんも同じくお仕事関係で一泊されていて、すでにリビングで朝食をとっていたので、朝から女三人で濃密な時間を過ごさせてもらう。
やりたいことの話とか、どこそこの景色がきれいだよ、とか、いろんなお話しをさせてもらった。

やー、やっぱり、年上の女の人って、すてきだな、って、しみじみ思いました。
パン屋さんの先輩から始まり、音楽関係のお知り合いなど、わたしの周りにいるひとたちが、とくにみんなすてきなひとばかりな気がするけれど、またまた出会っちゃいましたー。うれしい。
仲良くさせてもらって、また会いましょう、と言ってくださって、とてもうれしかったです。
徳島も鳥取も、ぜひ遊びに行こうと思いました。

お二人をそれぞれ見送って(なぜか宿泊客なのにスタッフさんと一緒にお見送りした)、リビングに下りてきたバックパッカー男性と、一緒にお見送りしたスタッフの野口さん(なんとこちらのオーナーさんでした!笑)とお話させてもらう。

貫禄ある佇まいのオーナー・野口さん(目力アリ)は、一つしか歳が変わらなくて、すごく大人にみえたバックパッカー(とくにバックパッカーというわけではなかった)のキヨさんはなんと同い年…みんな落ち着きすぎやろ!わたしなんか、わたしなんか…!!!もういい!!(;_;)
と凹んでいる暇もなく、ゲストハウス創立の秘話なんかを聞かせていただいて面白かった。
自分に添う物事には、やっぱり自然と導かれるものなのだなあと思った。

そうこうしている間にカズくんや宿泊のお客さんがどんどん出発されて、またまた関係ないのにお見送り続ける。
10時過ぎに、ちょうどキヨさんもご出発だったので、やばい…最後の一人になってしまう!と思って、一緒に出発して駅へ向かう。
きのうは夜に通った奉還町の商店街、朝は朝で賑わっていてなかなか面白くて好きな感じでした。

楽しくお喋りしながら、もしタイミングが合えば後ほどご一緒しましょう、と岡山駅で別れて、わたしは倉敷へ。
電車から見える田園風景、きらきら揺れる稲穂がとても美しくて、思わず泣きそうになる。
ちょっと石川の友人が恋しくなった。

倉敷は初めて訪れたんだけど、個人的には美観地区よりも、そこへ向かう途中の商店街だったり、すこし町はずれの風景だったりが好みでした。
古い看板とか、お土産屋さんじゃない民芸店とか、エトセトラエトセトラ。
商店街のガラクタ屋さんに、めっちゃいい感じの着物の帯があって、800円…悩んだ末、荷物が増えるのを嫌って買わず。
焼き物屋さんもたくさんあって、すごくすてきなお皿もカップもたくさん見たんだけど、一つ買うとあれもこれも!ってなりそうだったので、何も買わないことにしました。
ご縁が無かったのかな、ってことでお別れ。(でも目の保養になった、ありがとう)

倉敷では『cafe mugi』っていうパン屋さんに行きました。
あんまりおなかが空いていないときに行くパン屋さんほど楽しくないものはない…わたしとしたことが、買ったパンの種類を忘れてしまった…。
たしか、いま個人的ブームの全粒粉を使ったパンだったと思います。美味しかった。

その近くにある、その日宿泊しようと思っていた場所がちょっと肌に合わなさそうだったので、二日目も、とりいくぐることにしました。
土曜日だったからほぼ満室みたいだったけど、なんとか空いていてよかったです。

それから、岡山を観光し終わって倉敷へ来られたキヨさんと待ち合わせて、さらにぶらぶら歩く。
ひとり旅をされているくらいだから、個人行動のほうが気が楽なんじゃないかしら、思ったところを思ったように回れないのはイヤなんじゃないかしら…、なんて思っていたんだけれど、楽しんでいただけただろうか?

旅先で出会った人と行動を共にすることなんて初めてだったんだけれど、わたしとしては、ひとりで入るには勇気のいる、ちょっと怪しい雰囲気の喫茶店『エルグレコ』にも、二人なら!と思って入ることができたり、目に入ったものの感想を言い合えたり、他愛なくお話するのも楽しくて、二人の時間をものすごく楽しませてもらいました。

ひとり旅をして、身軽に気軽にいられると、こういう出来事もあるんだなあ、と思っておもしろかったです。
この感覚、日常に取り入れてしまってもいいんじゃないかと思った。

屏風祭りや地域のお祭り(お面をかぶったオニにウチワで頭を叩かれたら、頭がよくなるそうです。基本子供しか叩かないみたいなんだけど、逆に子供が扮したオニに叩かれたりでたのしかった)があったり、すてきな本屋さんにたまたま出会ったり、道端にネコがいたり、裏山がお墓だったり、面白マンホールに突っ込みを入れたり、いろいろ楽しかった。

それから岡山へ戻って、気になるパン屋さん『エスプレッソ・ザ・マーケット』でパンを買って(閉店間際でパンがあまりなかったのがちょっと心残り…スコーンが美味しかった!)、キヨさんの新幹線の時間まで成田家という地元の居酒屋さんへ(ビ、ビールしか飲んでないよ!)。
湯豆腐と鶏酢、アジのタタキが美味しかったです。いろいろご馳走になってしまってありがとう…!!

そこでもいろんなお話ができてたのしかった。
東京でお仕事をされているそうで、東京に来たときはまた会いましょう、と言ってもらえてうれしかったです。

キヨさんをお見送りして、ほろよい気分でとりいをくぐる。
部屋に上がるとジュンコさんが戻られていて、一緒にリビングへ。
土曜日だからか、前日よりもたくさんの人がいました。

そこではイトウさん、という男性とお話しをさせてもらった。
クリトリック・リスと元同僚という、ほんとどこで誰と繋がるかわからなくて面白い~!の典型、でした。
カブに乗って旅に来られていたそうです。お天気が良いから、バイクの旅も気持ちいいだろうなー。
お休みの日にはバイク仲間とキャンプに行ったり、しまなみ海道を走ったりするそうです。
(今回の旅、しまなみ海道の話が良く出てたな、さすが瀬戸内)

わたしも、せっかく中型免許を持っているのに10年近く乗っていないから、ひさびさにバイク乗りたいな。
誰か450ccのバイクでツーリング誘ってください(バイクは貸出希望)。
とか言いつつ、ビビリなので、よう運転しない気もする。笑

その日は消灯しても、ちょっとだけ起きてSNSしたり、出会った人と連絡したりで夜更かし。
そろそろ肉体が悲鳴を上げそうだったので、ありったけの湿布を貼って眠りにつきました。
夢は見なかった。



三日めにつづく。

2015年10月16日金曜日

岡山旅行記10/16




◎一日めのこと。


梅田からバスに乗って、西へ向かう。
お天気も良くて、ちょうど一年前のツアーと時期も同じだったので、高速道路から見える景色が懐かしかった。
しばらく景色を楽しんでいたんだけれど、気付けば涎を垂らしながら眠っていて、お昼すぎに岡山駅に到着。
そのまま、駅前の噴水を堪能?して、駅の東側を散策。さびれた商店街や呉服屋さんは健在でした。

2010年10月7日(あまりにも日付が記憶になくて調べました。笑)に岡山で桜重奏のライブがあったとき、時間があってひとりでぶらぶらしていたんだけど、そのときにたまたま見つけた変な廃墟?みたいなお店がまだそのままあったので懐かしかった。
水タバコのお店なのかな?

そのまま去年、2014年10月のいったんぶとのツアーの時に行き損ねたパン屋さんへ行こうと思って、image方面へ歩いていくと、気になるパン屋さんが…。
寄り道しそうになりつつ、まずは目的を果たそうと、図書館の近くにある『ふさやベーカリー』というパン屋さんに行く。
思ったよりローカルなパン屋さんだったけれど、クロワッサンが驚愕の美味しさでした。
自分が働いているお店のももちろん美味しいけど、やっぱその店その店で味が違って美味しいなあ~。

食べ歩きながら、やっぱりさっき通ったパン屋さんも気になって行ってしまった…そして出会ってしまった…今回の旅のベストベーカリー、その名も『Boulangerie Doumae』。
そこではチョコ生地の中にナッツとイチジクとドライフルーツがわんさか入ったパンと、焼き立ての抹茶あんパンを購入。
ベリーのスコーンをオマケしてもらって大満足、パンもめちゃくちゃおいしかったです。

ぶらぶら歩いて富士商店へ。今回は買い物をしないと決めていたので、店内を見るだけ。
もうあの旦那さんはお店に立たれないのかしら…奥さんらしき人は着物を着ていてマネキンみたいだった。ちょっとこわかった。
去年行ったときお向かいにあった、ジャム屋さん?みたいなのがなくなっていて、ちょっと残念でした。

後楽園へ渡る橋の手前、左側の細い道を行くと、たしかオープンカフェみたいなのがあったなあと思って行ってみたら、違うお店になっていました。ハンバーガー食べたの、5年前くらいだから、お店も変わって当たり前だろうと思う。
moyau』というカフェ。川を眺めながら本棚の本を読み放題、という夢のようなカフェでした。
店主さんお気に入りの喫茶店の豆を使ったコーヒーが美味しかった。
お店の女の子の、はにかみながら接客してくれる姿が超絶可愛くて、思わず結婚して欲しいと思った。

たくさん面白そうなのがあったので、本でも読もうかな~とか思ってたんだけど、案外、店内の音楽を聴きながらぼけーっとしているのが心地よくて。
岡山のグッドなお店を紹介している本をすこし読む。
あとはほんと、ぼけーっとしてました。

窓ガラスに留まるちいさな虫を眺めたり、お魚を捕ろうと奮闘する鳥を眺めたり。
最近ちょっとずつ、ぼけーっと上手になってきた気がしてうれしいです。

夕方は街の西のほうへ移動。
今回は宿泊すらノープラン(こんなこと人生で初めてレベル…!)で、どんなお宿があるかは一応調べて目星はつけていたんだけれど、現地に行って雰囲気のよさそうなほうで決めようと思っていました。
駅から近いひとつ目のお宿がちょっとワイワイした感じで、できれば静かな場所で過ごしたかったので、奉還町の商店街を抜けてすこししたところにあるお宿へ。

着いたのは、『とりいくぐる』という名前のゲストハウス。入口に、ほんとに鳥居があるんです。
そこから中を覗くと、まあ、雰囲気のよさそうな中庭と、建物が。
一目惚れで此処に決めて、宿泊のお願いをさせてもらいました。
目力のあるスタッフさんがご丁寧にいろいろと説明してくださいました。

ロビーというのか、リビングというのか、泊まる部屋の下に宿泊者がくつろげるスペースがあって、そこでヒッチハイカーのカズくんと仲良くなる。
愛知出身、なんと19歳!(19歳って、10も歳が離れているんだ、という事実に驚愕)
いろいろヒッチハイクのお話を聞かせてもらう。ヤクザの車に乗った話とか、知らない人のお家に泊めてもらった話とか、日常では聞けない話が聞けて面白かった。

そのあとにチェックインされた女性もまたすてきなひとで、その方ともたくさんお話をさせてもらいました。
つねに笑顔で、すごーくナチュラルな感じで、お話ししていてとても心地が良かった。。
ご自身のことを話される時も、自然にお話されるし、すこし年上のお姉さんなんだけど、こんな女性になりたいと憧れました。
その女性、ジュンコさんは、お仕事の関係で三日間滞在するらしくて、徳島から来られたそうです。

それからも続々といろんな方が来られて、バックパッカー風の男性とか、物静かなお姉さんとか、あと、『流しのCD屋さん』という変わった職業の変わったオジサン(の姿をした妖精さん)が来られて面白かった。
妖精さんこと岡本さんは、行商でCDを売ったり、イベントを企画したり、いろいろ面白そうな方でした。
その方の企画がこちら。面白そうなので、ご興味ある方はぜひ。
おかやまコンテンポラン

もうほんとうにいろんな人がいて、楽しく過ごしていたらもう就寝時間。
12時消灯と決まっているので、いそいで寝る支度をして、眠りにつきました。

ゲストハウスと呼ばれる場所に、初めて泊まったんだけど、すごく刺激的だなあと思いながら、ちょっと興奮してなかなか寝付けなかった。眠ったら眠ったで悪い夢をみて、布団を蹴っ飛ばしていた。
下着姿で寝ていたからちょっと恥ずかしかったです。



二日めへつづく。

2015年10月15日木曜日

ALL MY LOVING


ここ数日ばたばたと忙しくしてしまって、いまもなお、ばたばたが継続中なんだけど、
ちょっと一息入れています。カフェモカばっかり飲んでいる。
(ちゃんとカフェインレスのコーヒーです)

火曜日、zoozooseeのスタジオ。毎度毎度、たのしい。
今回は新しい曲に着手したんだけど、即興の息遣いを残しつつ構築していくというのは難しい作業で、
わたしなんかはすぐに思考の坩堝に嵌ってしまって動けなくなる。
深呼吸して、そのときに感じたなるべく自然な音を出せるように、まだまだ修行が必要です。


水曜日、お仕事のあとで、だいたい半年に一回しか会えないひとにお会いしてきました。
もう、何年お付き合いさせてもらっているんだろう?
むかしお世話になっていたひとで、いまだに可愛がってくれる、すてきな紳士です。
秋ですこし感傷的になられていたのか、ひっきりなしに、もしわたしが結婚したら、
披露宴で泣くかもしれない、とかいうお話をしていた。(前もしていた)

毎回いろんなお話をお伺いできるので、とても刺激をいただきます。
音楽にもとても精通されていて、いつも輸入させてもらっている。
(この日はアルフレット・ハウゼ、ソニー・ロリンズ、ペレスプラード楽団、などなど。
サラ・ヴォーンのように、また掘り下げていこうと思う)

疲れたときに、たまに、ワニのPVをYouTubeで観てくださっているそうで、
それを観て、わたしに会ったような気持ちになってくださるそうです。
ご年配の方でも、そういう観方をしてくれる人もいるんだなあと、
音楽をやっていてよかったなあ、すてきな仲間と作品を残せて本当によかったなあと、ちょっぴり感動しました。

ふしぎなご縁で、ふしぎなお付き合いをしてくださっています。
わたしは、親のように、人生の師のように、想っているけれど、
たまにちょっぴり、恋人のように、はたまたフレンドリーな友達のようにもなれる。
この方とも、こころの深いところで、繋がれているんだなあと、感じた夜でした。

やはり、とてもあたたかだった。
そういう関係を築かせてもらえて、ありがたいです。

ちなみに、この夜お会いできたお久しぶりの方々に、「女らしくなった」「綺麗になった」と言っていただけて、
わたしは大変調子に乗っていますよ。(ドヤー)


木曜日、きょうはお仕事のまえに、わかばにゃんとデートしてきました。
お昼間に会うのがはじめて?なのかな?
なんだか新鮮な気分でお話もはずんで、あまりしない恋愛の話やら、女の話を少々。
あとはずっと音楽のお話。止まらずにずっとお喋りしてとても楽しかった。
彼女のあたらしい企みに、こっそり出現させてもらうかもしれません。

いつもいつもたくさん刺激をもらえる。
なんてことない、他愛のないお話をしていても然り。
だいじな言葉を、だいじなタイミングで受け取らせてもらえることが多いです。


お仕事が終わって帰宅して(しかも忙しかったんだー!)、いまちょっぴりへとへとになりつつ、
あしたからの旅の準備をしています。

ふらりと、岡山に行こう、と思って。
金曜日から三日間の予定です。
日曜日にはとてもたのしみな、わたしのなかでの英雄と、お会いできるというイベントが待っている。(しかもほんとうに、偶然に)

こんなかたちで夢が叶うとは。
生きていると何が起きるかわからなくてたのしいですね。

とりあえずお風呂に入ってリフレッシュしてきまーす。
きょうも一日、たのしく過ごせました、ありがとう。

みんなおつかれさま。おやすみなさい。



2015年10月14日水曜日

鉄格子

きょうは本気で時間がないので、ブログはお休みだー!
きのうもスタジオ楽しかったです。
今夜は年に2回くらいしか逢えないひとに会って来ます。
あしたはわかばさんとデートです。
明後日から岡山に行って来ます。
わっしょい祭りです。

なんだかバタバタしています。
きのうのブログも、途中で文章書きかけなのに気付かず投稿しちゃったや。
クオリティは気にせず、毎日更新が目標なので大丈夫か!わっしょい!

眠気もどこかに行ってくれたみたい。
引き続きお仕事がんばって、夜は楽しんできます!
(ビール以外飲まない…ウイスキーは水割りにする…)

2015年10月13日火曜日

その男ゾルバ

ハローハロー、きょうは夜にスタジオがあるので、眼科待ちの時間を利用して更新です〜
朝から差し入れのお菓子を作って、いまはコンタクト屋さんに来ています。
いまから図書館に行ったのちデータ入力のお仕事をして、そのあとスタジオ練習に行くという、
腰を痛めてからは初めてなんじゃないか、というくらい用事の詰まったハードな一日です。
がんばれ〜お腰さま〜

きょうのお菓子は、全粒粉を使ったラズベリーのマフィンを作りました。
もしかしたら全粒粉の割合が多かったかな?冷めたてを味見したんだけど、
ざくざくとしていて、ちょっとだけカントリーちっくな(田舎っぽい)お味になった気がします。
やっぱりスコーンとかクッキーみたいに、固めの焼き菓子のほうが合うのかも。
具材もナッツとか使ったお菓子にしてみたらもっと美味しいかもしれない。

パウンドケーキでも試してみたいし、まだまだ研究の余地がありそうです。
家族をはじめ、メンバーのみなさまはいつも実験台になってくれてありがとう〜

図書館では何を借りようかな〜
こないだ借りた中では村上春樹『ダンスダンスダンス』の上巻が安定の面白さ。
その前に借りた、ヨーロッパでの旅を綴ったエッセイに、
『ダンスダンスダンス』がその旅の間に書かれたとあったので読んだんだけど、
続きを借りるためにわざわざ図書館へ行こうかとちょっと思ったくらい。
あとは、浄土真宗の本、アーユルヴェーダの本(興味があって勉強したいんだけどイマイチ合わない)、
実家の片付けの本(事例と違いすぎたけど参考にはなりました)、暮らしにまつわる本(少ない物と、
最近好きな家入一馬さんの『15歳から、社長になれる』っていう本。

この家入さんの考え方が好きで、刺激をいつも受けているんだけど、
この本には10代で起業されている若い人たちのことが載っていて、
衝撃と刺激をたくさんいただきました。
まだまだ続けて著書を読みたいと思います。


診療が終わったんだけど、目が悪くなっていてびっくり。
これ以上悪くなったらどうなっちゃうんだろう…眼鏡も新調したいのに、
牛乳瓶底のようなレンズになっちゃったら、どうしよ??
とりあえず図書館に行ってきまーす!!!
スタジオも楽しんでくるぜー!!

2015年10月12日月曜日

だってしょうがないじゃない



とつぜんですが、秋服いりませんか?
昔の服はけっこう処分したんだけど、まだ残っていたものがすこしあって、
気に入って着ていたのでただ捨ててしまうのが勿体無くて、困っています。

◎虎柄コート


下手したら十年以上前から着ている服です。
高校が私服の学校だったんだけど、三年生の学生証の写真、これ着て写ってるからなあ…。
布ベルトもついています。結ぶとちょっとバスローブみたいになる。


◎花柄ワンピース


これはかの有名な、モルグモルマルモのPV『タクラマカン砂漠』で、ヒロインの女の子が着ていて、
「あっ!これ持ってる!!」ってなってびっくりしました。



お友だちがフリマで売ってくれて、気に入って長いこと着てたなあ。
後ろに赤と白のストライプ生地のリボンがついていて、結んで着ています。

ちなみにワニのいる生活MV『アメリカンガール』でも使ってます。
2番のさいしょ、西岡君に水をかけている女の子が着用したものです。


ばんちゃんファンは是非。笑


◎茶色のドルマン

こんな柄、どこで買ったんだ…といつ見ても思います。
こちらのドルマンスリーブの服はちょっとした思い出があって…。

4、5年くらい前かな?ロデオホドリゴっていうバンドの、
ベースのしぶちんさんが抜けちゃう記念のライブイベントにお呼ばれして出演したときのこと。

主催のロデオホドリゴの演奏も終盤、ギターボーカルのはじめさんがテンション上がってしまって、
フロアに下りて、会場で作った自家製豆腐を巻き散らかしたのが見事にヒットした伝説のお洋服です。
(もちろん綺麗に洗いました)


もしかしたら、お豆腐の妖精さんに護ってもらえるかもしれない一着です。


◎やくざ柄ドルマン

この柄もどこで探して買ってきたんだろう。笑
えげつない柄しています。しかも起毛になっていて、ラメもいっぱい入っている。
誰に似合うのか想像も出来ない一着です。


これはどの妖精さんもついてないかな。
でも大阪のチンピラが護ってくれそうな柄です。


以上四点でした。
SNSでも何人かに声をかけているので、早い者勝ちになっちゃうけど、
もしご興味ありましたらご連絡くださいね。


この頃はめっきり柄のものを買わなくなったなあ~。
いままで柄のお洋服が大大大好きで、コーディネイトも柄×柄on柄とかよくやっていたんだけど。
(テジナの黒ちゃんは密かに『ガラガラ仲間』と呼んでいた)

柄のお洋服って、感性で選んだり組み合わせたりしている感じがするけど、
最近はパッと見の派手さより、生産地や素材をチェックして、手触りや着心地が良い服を選ぶようになりました。
おなじく若い頃やはり派手好きだった歳の近い友達とも共感し合えて、ちょっとうれしかったりする。

服だけにとどまらず、ちょっとずつ価値観が変わってきたような気がします。
髪の毛だってこの一年は染めずに、キューティクルを大切に労わっているしね!
(ただ思ったよりも地毛が黒じゃなくてショック…日本人形みたいなロングヘアー目指してるのに…)


ああそうか、髪を黒っぽくしてからもう一年経つんだなあ。
ちょうど去年の十月に、いったんぶとツアーに行って、ミナホに来ていたテジナのお手伝いをしたりして、
それから、ワニの活動休止を発表したんだっけ。

早いなあ。もう一年かあ。
去年の年末、ワニの最後の企画のディナーショーへ遊びに来てくれていたお友だちが、
ちょうどそのころ妊娠がわかって、この夏にはママになったんだもんね。


休止したての今年の始めは不安でいっぱいで、
それに追い打ちをかけるように怪我なんかもしてしまって。
今年を(あとまだすこしあるけれど)振り返ってみると、どんな一年だっただろうね。
いましか出来ないこと、しっかり出来ている…のかな?だいじょうぶかな?
自惚れたり、見落としたり、していないかな?
まだまだ自信がないなあ~。

ただ、はっきりと言えることは、
いままでの人生において、どの瞬間も、
そのとき、その自分にしか、できなかったことだった、ということ。

そのことを、いまの自分がどう思うか。
そしてこれからに、どうつなげていくか。
それが一番大切なんじゃないかな、と、思っています。

というより、いまの自分に、ぜんぶつながっている。
自然と、そう、感じています。


疎遠になっていた人と思わぬ再会を果たしたり、
いろんなご縁が廻って、ほんとうにいろんなことがあって、
いま、大切な人と、こうしていられること。

ぜんぶ、だいじだなあ、と。
はっきり受け取っている。

だから、最近は毎日、ありがとう、って、思います。
一時はつらいこともあったけど、乗り越えられたね、よかったね、って、思います。
昔みたいに、和田アキ子聴いても、あんまり悲しくならない。

(そういえば悲しい歌の聴き方も、ずいぶん変わったなあ)


きょうも一日、楽しく過ごせました。
あしたはzoozooseeのスタジオ~お菓子なに作ろっかな~

久しぶりにピアノの基礎練習したから、鬼のようなフレーズで攻め立ててやるぜ!
指が攣らないように気を付けまーす!


それでは!ごきげんよう!




2015年10月11日日曜日

トロイメライ



きのう、きょうと、体がすこうし、にぶく感じます。
今朝は三連休のまんなか、白い靄のかかった誰もいないオフィス街を自転車で通り抜けて、
羅針盤のソングラインを聴きながら冷たい風を切って走って気持ちが良かった。

どうしたんだろう、濁っている。
こんな日もある。ちょっとお疲れなのかもしれない。


そろそろ歌詞になりそうなものが、ぽつぽつと出かかっています。
でもまだだな、言葉を綴ることを受け入れられていない感じがする。
ただ、はやく飛び出したくて、うずうずしているのも静かに感じている。
いつ噴火するのかわからない火山のように。

それはふとした瞬間に、(たとえば今も)、
じわりじわりと、やってくるのかもしれない。
溢れ出て行こうとする感情に委縮して、体がこわばっている。

そんな気配を感じます。

きょうは文章がうまくないな。





悪夢は黄泉から這い出てくる。
不躾に、とても厭らしく。
彼に携わる感情も、常に私の手中にあるのです。

だけれど、もう一度あの掌に触れられたら?
『目に見える』やさしさを纏った腕に抱き締められたら?

私は蜘蛛の糸に掛った哀れな虫のように捕食されるのだろうか?


忌まわしい記憶の蓋と理性の箍が外れたとき、真っ白な肌はきっと身を滅ぼす。
それは悪夢でも何でもない。
渇望ですらない。ただの事実。
ただの事実に足を取られて、背後から刃物を突き付けられ脅迫されている。

なんて、すこうし、被害妄想が過ぎるかしら。

もう二度と、こちらからは近付かないほうが良い。
次は冷え切った手足が餌食になるだけでは済まされない。

その時は音もなく地獄へ堕ちるだけ。
なにもない、なにもかもなくなるだけ。
羽根をもがれて跡形もなく、粉々に咀嚼されるだけ。


それをはっきりと言葉にして、認識したかったのでした。
個人的な独白。
つらくもなんともない。
ただの現実。
こわくもなんともない。
私はもう、ひとりではないから。


なんだかこわい感じになっちゃったにゃあ~
無意識に、ちょっぴり不安に思うことがあるんだろうにゃあ~

まあ、ほんとはそこまで重大に考えていないんだけどね!
ある物事を、シリアスかつ歌詞のネタになるような角度でとらえてみました。
はやく歌詞を書けるようになるための、文章と視点のリハビリでやんす。

からだが鈍っているのは確かだけど、
あしたはお休みだから、気分転換できると良いね。

うにゃ~、わかばさんに会いたいよ~!!




2015年10月10日土曜日

がれきの空



そこに在る筈のものを無いものとして扱うのはこんなにも神経を使うんだなあと、
ただ眼鏡ひとつを無視している私は、今日はとても疲れました。

どちらかというとネガチブではないと思う。
運動後の心地良い疲れに似ている。
だけれどもすこし、消耗もしている。
シチューをフォークとナイフで食べているような違和感。
肉体は疲れている。精神はおかしな次元へ行っている。

本当のことを言うと今日絵を描いているときにあまり集中できなかったのでした。
欲していた、自分との対話は未遂に終わった。
届きそうで届かないもどかしさ。
そこに在るのはわかっているのに、透明白な靄がかかって辿り着けなかった。

雑念の波に襲われて、どの色を選ぶにも迷いがあったような気がする。
でも逆に発見したこともあって、総じてだめなことばかりじゃなかったので、それもまた良しとします。


きょうは何とも言えない躰だなと思う。
心は乳白色の薄い殻に、心地よく納まっている。

躰のことを言うと、この頃は衝動や欲求が全てではなくなって、
一度体験してしまえばわかると思うんだけれど、
物質的な交わりは二の次になって、精神的な交流が一番心地よく感じます。
そして心地よいことが、晴れやかな秋の空のように清々しく気持ち良いことも。

残念ながら肉体に相性というものが存在する以上、
快楽だけを求めれば、別に想った相手でなくても良いのかも知れないし、
興味のある分野や嗜好を拒否し合う関係は悲しいだろうなと思っている。
もちろん一番好きな人とすべてが合致する喜びは半端じゃないけれど、
躰に快楽のすべてを持っていかれると、自分が空っぽになってしまう感覚に陥る時がある。
というより、多分そうなんだろうな。
その感覚が欲しくて故意にそうする時もあるけれど、あんまり健全なことでは無いのだと、ぼんやり思いました。

それもこれも、つい最近、ある友人と精神的な交わりを体感したからだと思う。
三十年近くも生きていると色々、躰自身も知っていることが、沢山増えてくるのだなあと、しみじみ思った。
独り身の辛さも、それと向き合う手段も。


いまの自分が必要としているものは、こころの繋がり、
一朝一夕では築き上げることのできない関係性との交わり。
長い年月、この距離感で関わってきたことが、今日に結びついていると思うと、すべてに於いて感動しかない。

友情や恋愛や一般常識のどれにも照らし合わすことのできない関係性。
今までにない、不思議な気持ち、あたたかな気持ちになれる。

友達以上、恋人以上、家族以上、とは、
自分でもよく言ったものだと思う。

遠くに、そんな心地よい繋がりを持つひとりの人間が生きて存在すること、
心から幸福に感じながら、日々を過ごしています。


今日みたいに、躰がぼんやりしている日には、
そんなことを考えてみました。

ひとりはふたり、ふたりはひとり。
お互いの空を見つめ合う。

お互いの空に浮かんでいる月を、
それぞれの日常から、見上げている。

ずっとそのような関係でいたい。
もしかしたら、交わりも触れ合いも、永遠に必要ないのかもしれない。
それでもいいと思える。お互いがそれを心地よく感じるのなら。


羅針盤が沁みる夜です。
こんな気持ち、初めて生まれる。

はやく、皆に会いたい。
皆に会いたい。



2015年10月9日金曜日

ただいま



きょうは久しぶりに6時台に自然に目が覚めましたー。
ただそろそろ、お布団から出たくない病が発症する季節なので、ばっちり二度寝もしました。
むしろ二度寝するために、二段階で目覚まし、かけるよね?ね?

空気の乾燥が顕著になってきて、すこしだけ喉が痛いです。
声が掠れているときは高音を出すのが難しくなるけれど、
普段出せないような低音を出すことができるので、それはそれで楽しい。
いつも練習している歌を、キーを下げて歌って、違った表情を付て遊んでみたり。
(でもやっぱり喉が痛いことに変わりはないよ。笑)


まいにち贅沢に、それはそれは贅沢に、
自分のためだけに時間を使わせてもらっています。
自分のことを、見つめること。自分と対話すること。
今しかできないなことだなあと、心から、思います。


きょうは、きょうしかできないことができた。
自分のなか、深く潜っていくこと。

自分の気持ちや今までのこと、
これからのこと、やりたいことなど、
いろいろなことをひとつずつ整理していってるんだけれど、
ふと、すごくやさしい気持ちになれました。

自分の成すすべてが、表現だ、と思えたこと。
自分を成すすべてが、表現だと、思えたこと。

自分で自分を認めることができた。
その瞬間、ふっと、軽くなって、
あ、いま、解き放たれたなあと、感じました。

一気に、世界が広がった気がした。
すべてのことに、つじつまが合って、
何にも無駄なことなんて、ないと思えた。


ああ、自由だな、
わたしは何者でもない。
わたしは、わたしだ。

そう思えたときに、自然と、
「おかえり」と言っている自分がいた。

ずっと待っていたよ、
ずっとずっと、待っていたんだよ。


知らない間に旅に出ていたわたしは、
きょう、わたしのなかに、帰ってきたみたいです。


…なんて、超抽象的な話をされてもまったく意味が分からないと思うんだけど(笑)、
そこは想像力を鍛えられていると思って、軽く読み流していただけると幸いです。


なかなかどうして、すべての物事はちゃんと意図されているようです。
このまま、ひとりの時間を大切にして、もっと対話を続けよう。
もっと深く潜っていった先には、どんな自分が待っているのか。

そしてその作業には、絵を描くことが必要なんです。
いまのわたしには、はっきりと、絵を描くことが必要だった。


自分で、自信を無くすようなことを、ずっとしてきた。
甘えや依存、自分のやることに責任を取らないで生きてきた。
他人の評価や表面的なことに囚われて、何一つ生み出せていなかったし、
自分のことばかり考えて、自分しか守っていなかった。
それももうすぐ、終わりにします。
わたしなら、それが出来ると、そう思えた。

何がかはわからないけど、まだまだいけるなー、と、感じた一日でした。
今日が今日で本当に良かったと思う。
まいにち、有難い気持ちでいっぱいです。

そしてうれしいことに、会いたい人もたくさんいる。
しあわせで死んでしまうんじゃないかと、まいにち心配しつつ、
また会えるのを楽しみにしている。
会えるまでに、もっともっと、強くなっていようと思う。


きょうもごきげんさんで過ごさせてもらった!(歯医者は嫌だったけど!)
あしたは待ちに待った、絵を描く日です。



2015年10月8日木曜日

La Fiesta



きょうはすこし、ひとやすみした一日でした。
秋のやわらかい日差しのなか、ベランダでぼーっとしたり、考え事をしたり。


個人的に、いろんな気持ちに一区切り付けることができました。
これからどうしていきたいのか、どうなりたいのか。
大切なひとたちと、どういう関係を築いていきたいのか。

いままでのこと、いままで私と関わってくれたひとたちと、
これからどう向き合っていきたいのか。
地に足を付けて、現実を見て、考えられたかな?


終わったことはもう、終わったこととして、静かに受け止めようと思います。
良かったことも、悪かったことも、できるだけ肯定的に、楽観的に。
いま、笑顔でいられる考え方をする。

大切なのはいま、これから。
ふりかえって、おなじ過ちをくりかえさないことも大切だけれど、
これからの未来は、つくっていけるし、
何を生み出していけるかを考えたほうが、
ずっとずっと、たのしいと思った。
そう在りたいと思った。


そういうようなことを、ぼやーっと、考えました。

頭と体と心の距離、すこしずつ、近くなってきているような気がします。
物事を客観的に見られるようにも、なってきたかな?まだまだだけどね。


スタジオ練習の音源をずっと聴いている。
秋にぴったりだと思う。

もうさみしくない。
前を向いているから。
自分の足で歩き始めているから。
そしてその先に誰が待ってくれているのか、知っているから。

日々、いろいろなひとに、
支えてもらって助けてもらってばかりです。

ありがとう。
私と出会ってくれて、ほんとうにありがとう。
きょうもたのしく、過ごせましたよ。


今年の秋は、Chick Coreaの秋にしよう。
Gary Burtonとユニットのやつもいいけど、やっぱりバンドサウンドが好きやねんやわ。


こっちのトリオのも、かっこいいんやわ。


いちおうユニットのんも載せとくさかい、好きなん聴いたらええわ。



ではではきょうはこのへんで。
おやすみなさあい!


2015年10月7日水曜日

ひとり



さ~て、きょうはねむたいぞ~!!
きのうはお仕事のあとzoozooseeのスタジオを2時間がんばって、
そのあとパソコンで作業していたら結局寝るのが遅くなって、
今朝はちょっと寝坊してしまいました。
さいきん寝付き悪いよ~

zoozooseeのスタジオ、とってもたのしかったです。
11月21日にライブが決まって、何の曲をやろうか考えたり、練習中の曲を何曲か練習したり、
ギターの櫻井さんが持ってきてくれた曲でセッションしたりしました。
(ライブ告知はサブリミナル効果みたいな感じでちょこちょこ出てくるからね)

毎回そうだけど、今回もめっちゃんこたのしかった~!!
いまも録音したものを聴いてるんだけど、みんなかっこいいよ~!!

そしてなんと、この感動を共有できるようになりました!!
zoozooseeでSoundCloudのアカウントを作ったよ~
だいぶ前に録音していた音源だから、ベースはたいへーさん。
私がユーレイ部員として所属させてもらっていたときなので、キーボードもユーレイです。

櫻井さんがミックスして音を整えてくれていて、
ギターもちゃっかり重ねてたりして、すごく恰好良いです。
こちらから聴けます。

いまのメンバーでも早く録音したくて、ウズウズしてます。大好きな曲がたくさんある。
ちはるくんもじわじわと本性を発揮してきて、いい味が出てきました。
もっとスタジオ入りたいな~、とっても楽しみ!!

あとね、zoozooseeはTwitterもやっています。
こちらは誰がいつつぶやくかわからないけど(ほぼりゅうちゃんと私)、
ライブの情報とか、スタジオ時の隠し撮り(カメラマンはほぼ私)とかを流そうと思っています。
アカウントはこちら。よかったらフォローしてみてね。

ちなみに、前にも宣伝した気がするけれど、わたし個人のSoundCloudも、あります。
お家で軽いノリで録音したやつだから、音質はあまりよくないです。
自分で作った『きせつの通りみち』と、
ワニのいる生活の『風邪の歌』の2曲が聴けます。
もしよかったら聴いてみてね。


きょうはパン屋さんで先輩と、いままでにお酒を飲んで失敗した話をして、
おなかが痛くなるほど笑いながらお仕事しました。
吐く…と思って手ごろな布の袋を手に取ってゲロゲロしたら、
友達のパーカーで、帽子部分にキレイに収めてた話がいちばんおもしろかったです。
先月の私の失敗を披露したら、「笑えない」と言われてちょっとショックでした。

でもきのう聞いた、櫻井さんのとってもおめでたいご報告やらなんやらで、
なんでもない日だったけど、すごくご機嫌で過ごさせてもらえました。
やー、いいね!やっぱりおめでたいことって、周りをいっぱいしあわせにしてくれるね!


私はいまは、いちばん底辺の、
地べたから積み重ねていっているところだから、あせらない。
音楽も日常も絵を描くことも勉強も、人を好きになることも、何もかも。

何もかも、いま、きょう、ここからスタートしていく感覚。
だからといって、いままでを無しにするとかは、考えていない。

事実は事実として、永遠にそこにある。
そして自分がどういう気持ちでそれに向き合うかだけが、そこにある。

だからまいにち、えがおでいようと思っています。

いまはそんな感じ。
ひとりでゆっくり、歩いていきます。
遠くから、見てないふりで、見守っていてくれるとうれしい。


そんなこんなでこんな時間なので、お風呂に入ってきたいと思いまーす。
きょうは肉体を酷使したから、ゆっくりストレッチして早めに眠りたい!

ではでは、きょうもありがとう~。
おやすみなさい!



2015年10月6日火曜日

乙女心




吉本隆明さんの『今に生きる親鸞』、読み終えました。
最後までふむふむ、と思うことばかりで、すごくいい本でした。
消化するまですこし時間を置いて、また読み直したいなと思います。

きのう、眠る前にわかばさんの音源聴いてたらなぜか気が昂ぶって寝付けなくて、
笹口さんを聴いて落ち着こうと思ったんだけど、やっぱりあんまり眠れなかったみたいです。
朝方はとくに寒かったのもあるかも。もうフリース長袖長ズボンのパジャマ着てます。
今年の冬もまたムーミンのパジャマ、出るかな~。
個人的にファストファッションはあんまり好きじゃないんだけど、
ユニクロのヒートテックと極暖、それとムーミンのパジャマだけは、ちゃっかりファンです。
今年は周りでも評判の高い、ライトダウンもゲットしてみようかなと思っています。
アイニード、ふ!ゆ!ふ!く!


土佐堀の職場へ通勤するときに、だいたい靭公園を通るんだけど、
何日か前から植木市をやっていて、気になっていたのを今日やっと覗きに行けました。
めっちゃかわいい多肉植物がわんさかいて、思わず両手いっぱいに抱えてしまいそうなところを、
「い、いまは荷物増やせないから!お家にかわいい植木たちがわたしを待ってくれている…!!」
と百回くらい言い聞かせて、連れて帰りたい気持ちを必死で我慢しました。

もうね、胸が張り裂けそうだったよ…!!
でも今はほんとうに荷物を増やせないし、たとえ掌に収まるようなエアプランツだとしても、
ひとつ増やしたら芋づる的に「あれも!これも!ほしい!」となりそうなので。

あ!特例として、お友だちにプレゼントする、っていう名目で買っちゃうのは、ありかも?
(ただ二か月も元気に育てられるかというとけっこう自信なかったりします)


きょうはこれから、zoozooseeのスタジオ練習です。
ちらほらTwitterでもアナウンスしたりしていますが、
ただいまベースのたいへーさんが就職活動中でお休みしているので、
ちはるくん、っていうイケメンのベーシストが加入してくれています。
空きっ腹に酒、っというバンドだったり、いったんぶ、っていうバンドでも、ベースを弾いていた彼は、
いまもいろんなバンドのサポートをしている、人気ものです。

そしてこのメンバーで、11月21日に難波ベアーズでのライブが(きのう)決まりました。
なんとその前のライブは5月だったんだよね、ひさしぶりだからとってもたのしみ。
今度は腰も万全だし、ちゃんと外音にキーボードも聞こえるようにしてもらって、
思いっきりガンガンいきたいです。
(前回、一生けんめい弾いたのに、お客さんにぜんぜん聞こえてなかったという悲劇)

スタジオのたびにいつもちょっとしたお菓子を持っていくのが恒例になっていて、
さっと作れる、っていうのをコンセプトに、あるときはマフィンだったり、ラスクだったり、
フレンチトースト(いちばんカンタン)だったりを差し入れしてるんだけど、
きょうは前々から作りたかったお菓子を作ってみました。

それは何かというと、“全粒粉”っていう小麦粉を使ったスコーン。
お菓子を作るときにはだいたい“薄力粉”っていうやわらかい小麦粉を使うことが多いんだけど、
この“全粒粉”を使うと、ごつごつ、ざらざらしたワイルドな食感になって、
それがまた、めちゃくちゃおいしいんだ~!!
きょうもワイルドなスコーンを作ったので、さっそく持って行って食べてもらおう~。


帰りが遅くなるから、今日はここまで。
きょうも何かと楽しい一日で、お仕事も忙しかったです。
思えば指の筋肉ばかり鍛えている。

そして今から、もっと楽しいことが待っているんだぜ!
アイウィル、ぜ!い!た!く!


それでは、明太子が待っているので、いってきまーす!!


2015年10月5日月曜日

赤い左目



朝からとっても楽しい夢を見て、二度寝をしたら遅刻しそうになって焦りました。
いそいで家を出たので、スマホを自宅に忘れて職場へ。
腕時計と読みかけの本があれば休憩時間も退屈しないし、
案外、スマホがなくても気にならないものですね。
天気予報がわからないのはちょっとだけ困ったけど。

だんだん肌寒くなってきましたねー。
服を随分と処分してしまっているし、去年の服に魅力を感じないので、
今年の冬は何を着ようかなと思案中です。凍える前に服を買いに行かなくちゃ。


週に一回だけ、と決めていた絵を描く時間ですが、
鉛筆で描きかけていたものに、三十分だけ手を付けました。
大きな絵は集中しないと描けないから、きのうブログを書いたあとに思いつきで描きはじめた、
デッサンの練習、友人の写真を描いたほうの絵です。

観察力が甘くてパースがめちゃくちゃだから、
陰影をつけていくといろいろと矛盾が出てきて気持ちが悪くなるんだけど、
そこをどうやってごまかすか(笑)を考えつつ進めていくのが楽しいです。

あと、きょうはギターで歌を歌っていて、かなりうまく歌えて、自分でもよかったと思いました。
いままではお手本になるような録音を再現できるように練習していたんだけど、
きょうはなんとなく、歌いたいように歌ってみようと思って。
あんまりなんにも考えずに歌ってみました。『白日夢』という曲。

去年の今頃に歌った録音がものすごく良くて、
ずっとそれを終着点にしようと向かってきたんだけれど、
いまの気持ちをのせるにはちょっと何か違うなと思って、ばっさり歌い方を変えてみました。
あんまり感情を込め過ぎない感じ。しつこくなくて良い。

あとはずっと練習している、影野わかばさんの『まだら』。
これはまだまだ研究中なんだけど、『白日夢』と同じように、歌いたいように歌ってみたら、
意外と好きな感じで歌えたので、今度からこの感じに向けて練習してみたいと思います。


『まだら』は、曲の雰囲気ももちろん、歌詞がすごく好きで、
初めて聞いたのは何年前だろう…3月33日さんと一緒にライブされていたときのライブで、
この曲に出会ったときにも、ちょうど相容れない二つの気持ちに悩まされていたから、
涙が出るほど感動してしまって、そこからずっと、大好きな曲です。

ワニのいる生活としてもレコーディングに参加させてもらった、
影野わかばさんの『夕陽だった』という音源にも収録されているんだけれど、
わかばさんの透明感にすこし歪みがかかっていて格好良い。
こんなに歪んでるのに澄んでいる、ってどういうことだろう?
わかばさん自身の清らかさに加えて、エンジニアの輝くんの腕もきっとあるなあ。

この歌詞から広がる世界の中から、どろどろして陰湿な怨念だけを、
特に選出してぐちゃぐちゃにした感じで歌っている。
まるで自分の性格のようだなと思う。
いま久しぶりに原曲聴いてるけど、あまりにも違うから、
どうしてこうなった??わかばにゃん、ごめん!って思ってる。笑

もうちょっと研ぎ澄ませたらお披露目したいと思います。
冬頃にはお聞かせ出来るものになっていると思う。

人の曲を歌うには、愛がないとできないよね、って、
夏にわかばさんと会ったときに話していて、
いまのところ、わかばさんの曲だったり、わにの曲だったりが主だけれど、
もうすこしギターがうまくなったら、もっといろんな人の曲にも挑戦したいです。
ピアノでも何かカバーしてみようかな。それも楽しそう。


あしたはzoozooseeのスタジオ、楽しみです。
データ入力のおかげか、ピアノの基礎練習をサボっているのにも関わらず、
ものすごく細かいフレーズを高速で弾けるようになっていて自分でもびっくりしました。
この能力、ワニのときに発揮したかった…。笑
作ってみたいお菓子を作るのも、それもまた楽しみ。


きょうもありがとう。
楽しく一日過ごせました。

また楽しい夢を見られるといいな。
朝晩寒いから、ちゃんと窓締めて寝ろよ。

おやすみなさい。



2015年10月4日日曜日

人魚



今夜は、ほんっっとうに早く寝たいので、まだお日様も明るいけれど書き始めちゃうよ~
いつもはiPadちゃんからメール送信での投稿ですが、ひさびさパソコンちゃん使用。
データ入力のお仕事をし始めてからやっぱりタイピングが速くなっていてうれしいです。
会社のキーボードもこのくらい打ちやすかったら、もっと速く入力できるのになあ~。

きょうはひさしぶりに絵を描きました。
家に、おっきなおっきなキャンバスが二枚、板のままであるんだけど、
もともと描いてあった絵をきのう白く塗りつぶして、そこに鉛筆で下描きをしました。
思ったよりうまくかけてよかった。
人魚の絵を描こうと思っています。
週に一回、時間を作って、今年じゅうに出来上がればいいなあ、というところ。

でもなかなか集中力が持たないね、やっぱり。
いまのところ、1時間半くらいが限度かな。
デッサンも出来なくなっているのがすこしかなしい。


音楽のこと。
きょうはギターじゃなくてピアノを弾きました。
理由はお姉ちゃんが休日で、家でお勉強をしているから。
ギターだとどうしてもうるさいでしょ。だからです。
(当の本人はイヤホンをしてゴスペラーズを聞きながら大きな声で歌唱中です。自由)

ギターも楽しいけど、ピアノも楽しいなあ。
決めた時間なんて、あっという間に過ぎていってしまう。

でも、まいにち時間を決めて何かをする、というのをやり始めてから、
やることにけじめをつけられるようになってきたと思うし、
きょうできなかったことでも、あしたちゃんと時間をとってある、と思うと、割と気が楽だったりします。
なにより、あしたの楽しみがあるのが、ほんとうれしい。
お仕事もがんばれます。

いま、ピアノでは、zoozooseeっていうバンドの曲を練習したり、
春に作りはじめてなかなか進まなかった『誘拐』っていう曲のアレンジを練ったりしています。
指の筋肉が劇的に衰えていて、集中力や記憶力、体力もそうだけど、
いろんな方面において衰えを感じるきょうこの頃。(もちろんおしりの筋肉も…)

10月からFPの復習も始めていて、頭もずいぶん悪くなっちゃったなあと思うけれど、
半年前には知らなかった知識を持っていると思うと、すこしだけ誇らしかったりします。
それでもまだまだわからないことがたくさんあるから、続けて勉強がんばろう。

そうそう、『誘拐』は、あんまり今までになかった歌い方に挑戦していて、
それが難しくて難航しています。
けど、大好きな曲。これも今年じゅうに形にしたいと思います。

もう一曲ピアノで作りかけている曲があって、それは『人魚』という曲なんだけれど、
こちらはまだ歌詞もメロディも構成もぼんやりしている。
夏ごろに作りはじめて、なんか歌いにくいな~と思っていたのを、
最近キーを変えたらしっくりきて、本腰を入れなおして作っているところ。
これはまだまだ時間がかかると思います。
大好きな韻踏み言葉遊び満載の上、最近の自分の心情が出ていて好きです。


曲だったり歌だったり、物をつくったりすることだったり、
いろんなこと、わりとたくさん閃いたり思いついたりするほうなんだけど、
じつは自分の力で形にするのがとても苦手で、
音楽だと、いままでは一緒にバンドをしていていろんな人に助けてもらっていたのを、
今度からは、ひとりでも完成させられるようになっていけるといいな、と思っています。

あ、zoozooseeはね、完成形があるようでないから(笑)、
その時々の感覚で自由に演奏させてもらっています。
みんなの表情見ながら弾くのが好き。
そのときに弾きたいものを弾きたいように弾けるのがたのしい。
でも録音とかするなら緊張だな~。アドリブの引き出し、増やしとかなくちゃ。


あ、やっぱり、いつもより入力が速い!!
これからはなるべくパソコンちゃんから更新するようにしよう。

きょうも一日楽しめました、ありがとう。
ブログを書き始めて四日目。
いろいろと思ったことを綴りながら、いろんなひとのことを想ったりしています。
けっこう個人的なことが多いから、読んでくれている人、面白くないと思うけれど(笑)。

文章を書くの、楽しいし、好きだなあと思います。
もっといろんなことを表現できるようになりたい。

いままで、音楽が受け止めてくれていた、わたしの表現、
これからはどんなふうに変わっていくのかな。

それは自分でも、わからないことだけれど、
誰にも邪魔させないし、誰にも邪魔できない。
すこしだけ、そんな気持ち。


では、時間が来たので終わります。
きょうもお付き合いくださってありがとう。

(超個人的なリハビリだから、べつに読んでくれなくたって、いいんだよ、
どうぞあんまり気にしないでね。)
でもありがとう。


アデュ!!


メシア


うかうかしていたらこんな遅い時間になってしまったので、
きょうはちゃっちゃと書いて寝てしまいたいと思います。

3月に怪我をしてしまってから、パン屋さんのレジのお仕事をずっとお休みさせてもらっていて、
7月から週に一回くらい、しかも一番短い時間(4時間半)だけを働かせてもらっていたのですが、
この頃徐々に肉体が怪我以前の調子に近づいてきつつあったので、
昨日は半年ぶりに6時間半の立ち仕事、きょうは半年ぶりに繁忙な土曜日に出勤するという、
個人的に肉体の限界にチャレンジした二日間でした。
おかげで、昨日もきょうもくたくたで、とても眠たい。

でも身体を思うように動かせるようになってきたのはほんとうに嬉しくて、
きょうも、職場でいちばん動きの速い先輩に、なんとか着いていけたので良かったです。
上の方の棚の、一番奥にある物をジャンプして取ったりもできるし、
立ったりしゃがんだりをしてもそこまで腰に負担を感じなくなってきました。

欲を出して、今月はジョギングとかもしてみようかしら。
日常的な筋肉は戻ってきたように感じるけれど、やっぱり体力のなさが目立ってきた。
もうちょっとだけ、できることを、増やしていきたいな。


今月は、どこまでできるかな、と、
色んなことにチャレンジしてみようと思います。

計画を立てて、そのとおりに、やってみる。
どんな結果になってもオッケー。
やりたいことは、どんどんやっていこう。

それに加えて、毎日ちいさなことを積み重ねることで、どんな変化が起こるのか楽しみ。
音楽でいえば、いまのところ毎日、何曲か歌を練習しています。
それを毎日録音して聴いているのだけれど、
喉の調子だとか、その日の気分とかで歌い方が違ったり、
逆に同じアプローチをしていても、そのときの感情でまったく異なるふうに聞こえたりと、
歌うことの面白さ、奥深さ、難しさを体感しています。

そしてギターが、楽しい、楽しい…!!
昔はほぼパワーコードしか使っていなくて、しかもリフを作るのが大好きだったので、
開放弦や和音の広がりのうつくしさを知らなかったし、
親指で弾くベースラインを考えたり、よくわからないコードを自分で作り出すのが面白くて、
ギターを弾き出すと止まらなくて困る。これも嬉しいこと。

一ヶ月経ったときに、どのくらい深いところまで潜っていけるのか、
どのくらいの距離まで、近付いて行けるのか。
ワクワクもするけど、それよりも、うずうずする。
毎日、あしたが楽しみです。


たまに嫌なことを思い出したりしてしまうけれど、
汚いこころのときは、何を考えたって、うまくいかないから、
えがおの練習をすることに、しました。
大切な人たちに会えたときに、ちゃんと笑っていられるように。
負けそうになっても、遠くにいる友人たちのことを思うと、ふんばれる。

それでもちょっとしんどいとき、みんなの気持ちがこもった音楽を聴いたり、
美味しいものを作って食べたり、綺麗な夕焼けを観たりする。
お掃除をして家じゅうをピカピカにしたり、絵を描いたり、歌を歌ったり。

元気がないときやつらいとき、誰にも甘えなくても立ち直れる方法は、意外とたくさんあるんだなあ、と。
それを生み出せる力が、ちゃんと自分には備わっているんだなあ、と。
そう思えた一日でした。


でもまだ、痛いよ、痛いよ、って、泣いている。
でも大丈夫、だとも、こころは言っている。

だから大丈夫。わたしはわたしを信じている。


おっと、俊輔のフリーキック講座に気を取られていたらこんな時間に…
日をまたいでしまったじゃないか…でも俊輔は悪くない。
タイマーを無視して二時間もギターを弾いていた自分のせいです。
久しぶりに、すこし曲も作りかけて、まとまらなくて手放して、
あした絵を描くために下準備をしたり、またまたいらないものを処分したり。

そんな感じの一日でした。わかばさんの新しい試みは、うまくいったかな?

みんなが穏やかでやさしい気持ちで眠れますように。
おやすみなさい〜。


2015年10月2日金曜日

善と悪


最近、浄土真宗に興味があって、開祖である親鸞について書かれた本をすこしずつ読んでいます。
昔の言葉で書かれているものを難しい言葉で解説しているものが多いから、
だいぶわかりにくいなー、っていう印象を受けていたんだけど、
いま読んでいる吉本隆明さんの『今に生きる親鸞』という本がものすごくわかりやすくて、
内容はもとより、そのわかりやすさにびっくりしています。中学生でも読めるんじゃないかな。


浄土真宗は、それまで一部の人(お坊さんや偉い人)たちに限られて伝達されていた仏教を、
一般の人たちにもわかりやすく、付き合いやすく、みんなが信仰できるようにした宗教で、
今までは苦しい修行をしたり自分を窮地に追いやったり、
善い行いをたくさんすることでしか、浄土へは行けませんよ、というのを、
いやいや、念仏を唱えれば、誰でも浄土へ行けますよ、と、
仏教をオープンでウエルカムな雰囲気にしたものだと思っています。
(かなりざっくばらんな説明だけど)

親鸞さんも初めは修行をしていたんだけど、その当時は貧しい人のほうがたくさんいて、
みんな苦しみながら生きていて、楽になりたい、死んでからもしんどいのはもうイヤだ、
だから浄土へ行きたいよー、っていう人が多かったにも関わらず、
仏教の教えが限られた人のもので、なおかつ辛い修行を乗り越えた人しか浄土へ行けないなんて、おかしいんじゃね?
そもそも仏教ってのは、みんなを救いたがってんじゃね?と、違和感を感じたそうです。

だから、限られた人だとか、修業とか、善い行いとかじゃなくって、
阿弥陀如来(仏さま)は、みんなを救いたがっているから、
心から信じて、一生に一度でも思いを込めて念仏をとなえると、
自然と浄土へ行けますよー、という風に、教えを広めたんですね。

細かいことを言うともっとちゃんとしてるんだけど(当たり前)、
親鸞さんの教えは、宗教のはずなのにちょっと哲学や思想の部分があって、
知れば知るほど魅力的で、わたしは割と好きなんです。

その親鸞さんの考え方の中に、善い行いをするくらいなら、悪い行いをしたほうがいい、というのがあって、
その言葉の意味だけで捉えるとちょっと「えっ?」て感じなんだけど、
要は、誰かのために、「良い!」と思ってやったことは、
そう思った時点で善い行いではないよ!っていう意味だそうです。
そして、誰かを救うことで自分も救われたい、なんて、思っちゃダメ!とも、言っています。

まとめると、「誰かのため」にすることで、「自分」を救おうと思ってはだめですよー、
そう思って何かするなら、悪いこと(「誰かのため」じゃないこと)をやったほうが、まだマシ。
「自分がそうしたくて」やったことで、「誰か」が「自然に」救われたら、
それでオッケーじゃん、というような考えです。

きょう、ちょうどその部分を読んでいて、きのう書いた、
やさしさへの違和感のヒントになりそうだなあと思ったのでご紹介しました。
そもそも、やさしさと善行は違う。
でも、勘違いしやすいものなのかも知れないな、と。

わたしは、誰かのために何かするのが好きなほうなんだけど、
でも、なんかちょっと違うな、嘘くさいな、と自分でも感じたり、
後からそのひとの本音を聞いたりして、間違ったことしちゃったなあ、
やっちゃったなーと思ったりするのが多々あります。
親鸞さんの言うとおり、誰かのため云々と言いつつ、ちゃんと向き合ってみると、
あ、これ、ほんとうは自分が救われたいんだな、と思うこともたまにある。

善悪だけに偏った若い解釈は喪いましょう、ということです。
去年の夏に作った『菩提樹』っていう曲の歌詞にも、ちゃんと書いてあるよ。

話は逸れるけど、思い返せば、
じぶんの歌は、いつでも自分のことを知っていてくれるのに、
わたしが馬鹿だから、いつも失くしてから気付きます。
そういうのも輪廻かー、と、思わないこともない。
(案外、仏教ちっくな歌詞が多い)


と、長くなっちゃったので、きょうは此処までです。
親鸞さんの教えで、すごく好きなのが、もうひとつあるんだけど、またいつか。

もうね、iPadちゃんで入力してるから、速度が遅くて遅くて…。
そしてやっぱり、文章の構成力もだいぶ落ちてるな、リハビリしだして正解だ。

きょうもお付き合いくださって、ありがとうございます。
あしたはどんなこと書こうかな。くだらないことがいいな。


2015年10月1日木曜日

やさしさに包まれたなら



さっきから、へんてこな風が吹いて居る。
秋の夜なのに、夏の昼間の様に生温い、しかも、かなり強い風です。
なんだか落ち着かないのは、気圧の所為かな。

今日から毎日ブログを書くことにしました。
先月の更新回数があまりにも酷かった(たったの2回!)のと、
今月は『まいにち、すこしずつ、を積み重ねる』ことをテーマにしてみようと思い立ったからです。
他にも幾つか、毎日実行を心掛けようと思っていることがあって、
『歌を一曲歌う』ことだったり、『楽器と触れ合う』ことだったり色々ですが、
無理せず欲張らず続けて行きたいと思います。


やー、この一ヶ月、逃げた甘えた。
ほんと、どん底まで落ちたなあ、と。
底辺という意味ではまだまだ下の方に居るとは思いますが、
もうこれ以上、逃げられないぞ、と。

いつまで見ないふりする?
いつまで他人に縋る?
辛いことから一生逃げ続けるなんて不可能だから、と自分を戒めて、
じゃあ、此処から這い上がってやろうじゃん、と、今日はやっとこさ思えました。


逃げたって、また後で同じ苦しみが、もっと大きくなって返って来るから、
甘えて孤独を薄めたって、後からもっと辛くなるだけだから。
そう教えてくれたひとが居る。
そのひとは、いまの私と同じような経験をしたことがあって、
苦しんで苦しんで、乗り越えたんだろうと思う。

そのひとは私に、決して手を伸べないんです。
ほんっっとに甘やかさないんです。自分でも言ってたけど。
寧ろいつも結構きつめに突き放してくるんだけど、
甘えたの私にとったら、いまは多分、それくらいが丁度良い。

厳しい言葉の裏にも、「あんたなら"自分で"如何にか出来るでしょ」、って言われて居る様で。
私にも、強い強い彼と同じ場所まで行く力が在るんじゃないかと思ってしまえる。
自分の足で、そこまで行ける様な気持ちにさせてくれる。

でも決して、「"独りで"如何にかしろ」とは、云わないんだよね。
甘えずに頼ったときは、ちゃんと力を貸すよ、って暗に言ってくれているようなこのニュアンス、伝わるかしら。
そこがやさしいな、と思います。
故意にそうしている訳じゃないから、ほんとわかりにくいけどね。
すこしずつ感じ取れる様になれて嬉しい。
シャツの裏表気にしないで着るような奴だけどね。


やさしさの本質とはなんだろう、って考えると難しくて、
最近はそうやって厳しくしてくれるのが、何よりやさしいのかな、と思ったりします。
今迄やさしさだと感じていたことが、実は上辺だけだったことも、よくある。
そして、上辺だけのやさしさは、どこかしら冷たさを感じることが多い。
それはもしかしたら、目に見えるやさしさというものが、
ほんとは自分の事しか考えていないが故の行動だったり、するのかも知れない。

じゃあ人は、どうして人にやさしくするのかな?
やさしい人だと思われることで手に入れたい何かがあるのかしら。
自分のやさしさは、どんな性質なんだろう。
客観的に眺めることは出来るのかしら。

よくわからないけど、そんなことを思ったり。
ヤサシサ、ムズカシイ!ニンゲン、フクザツ!


さっきより、風の音が激しくなってきました。
なんか今夜は寝付けなさそうだな〜。

とりあえず、お休みなさ(´-ω-`)…zZ乙