2015年3月25日水曜日

3/25の、にっき。


療養中のことを記した、覚書、パート7。


・3/25 怪我から一週間

前日の寝不足がたたって、早く起きれずでしたが、
姉の用事に付き合いがてら、外の世界に触れ合った、記念すべき日でした。

ほんとに久しぶりに、家から出ました。
不安だった階段も、おとといよりは安定して上り下りができて、
なんなら荷物を持って、階段を上がったりもした。
(二往復が限界でしたが)

姉と車ですこし遠くまで行ったんだけれど、
ひさびさの外の世界はとても気持ちがよくて、
退院したてみたいにはしゃいでたのしかったです。
道中もバカなこと言い合ったり、おかしな看板を見つけたりして、
めちゃくちゃたのしかった。


ひさしぶりに、あるひとの、顔をみて、
わりとゆっくりお話しすることが、できました。

まだ、会ってちゃんと話すのは、そんなに回数を重ねていないのだけれど、
すこし慣れてくれたのか、前に比べるととても話しやすかった。
わたしも怪我をしていることで、力が抜けていて、
へんな気負いもなく、リラックスできていたからかもしれない。
お姉ちゃんを待っているあいだ、わたしも自由に過ごさせてもらって、
落書きをしたり、海外旅行の話を聞いたりしました。
春の日差しのせいか、家のなかも、彼の顔色も明るくて、よかったと思う。

そのひとのこと、
わたしになにかできることがあればいいなと、
いつも思って、探しています。

なかなかに、むずかしい問題だけれど。
楽観的すぎるのかな?
もちろん、時間はかかると思うけれど、
きっとよくなると、思っています。

むかしに比べて、だれかのことを信じる、ということが、
すこしずつ、できるように、なってきた気がする。
そのときは気付かなかったけれど、やっぱり、
いつもじぶんに自信がなくて、いつもじぶんのことを否定していて、
それとおなじぶんだけ、まわりのひとのこと、信じることができなくて、
否定してばっかりいたなあと、そう感じます。

わたしがすこしずつ、よくなってきているように、
彼もまた、かならず、よくなると思う。
わたしはそう、信じています。

前は、助けたい、何ができるだろう、って、思っていたんだけれど。
いまは、じぶんの行動によって助けたい、って思うより、
そのひとの持っている、がんばる力を信じて応援しつつ、
やっぱり、わたしはわたしのこと、しっかりしなくちゃ、と思うようになりました。

わたしが、楽しんで生きていたら、彼もそれをみて、
「生きるのって、たのしいんだ」って、思ってくれるんじゃないか。
いまはそう、思っています。
その上で、わたしができることで、なにか助けになることがあれば、もちろん全力を尽くしたい。

けっきょく、じぶんが大丈夫じゃないと、ひとに「だいじょうぶ」なんていえないし、
そのちからも持っていないのに、助けようと思うなんて、
おこがましいことだと気付いて、とても反省をしました。
自然の流れにまかせることも、重要な解決方法になるときもあるんだと。

まだまだ解決はむずかしいのかしら。
ううん、むしろもう、解決してしまっていると、かんがえたら?

「解決するのが難しい」と思うから、その通りなのかもしれない。
「なんの問題もない!すべてはうまくいっている!」
そう思うだけで、なんだかこころが、かるくなる気がします。

そうして羽根の生えた、かるいこころなら、
たいていのことはへっちゃらに、なるような気がする。
なんでも気の持ちよう、をうまく使いこなせると、いいなあと思います。


ちなみにこの日、あさから着替えるときに、
なんと片足立ちで下着やズボンをはくことができて、
とってもうれしかった日でした。
普通のひとは普通にやっていることなんだけれど。笑

いままでずっと、座らないとできなかったことだったので、
うれしくて仕方なかったです。


つづく。

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