2015年12月30日水曜日

Pretend



さて。
あれよあれよと言う間にすっかり年の瀬も迫って、今年もあと一日となりましたね。
十二月は日記をさぼりにさぼってごめんなさい。
一月はもうちょっと、ましにしたいと思います。
(言ったことをちゃんとやらない大人になってはいけません)

2015年最後の月は、ほんとうに、あっという間に過ぎて行きました。
前半は十日くらい東京へ滞在させてもらいました。
楽しいことがたくさんで、とても充実させてもらいつつも、自分の心のなかを案外冷静に見つめながら、静かに、落ち着いて過ごすことができたような気がします。

とにかく、いろんなところをよく歩きました。
春に比べて、たくさん歩けたこと。
ただそれがとてもうれしかったです。

後半は大阪で、寒さと闘いながらお仕事をしたり、身体をメンテナンスしたり、zoozooseeの今年最後のスタジオ練習を楽しんだり、いつもお世話になっている方と楽しい時間を過ごしたりしました。
クリスマスの華やかさや年末の慌しい空気がとても好きで、表面的に浮かれた気分を味わいながら、友人に手紙を書いたり、お菓子を作ったり、すこしは自分の時間を作るように心がけられたかなと思います。

きょうは年末恒例の、母方の祖父のお墓参り。
去年は飲食店勤務で大晦日までお仕事だったので参加できませんでしたが、天国の祖父に、今年も一年間見守ってくれてありがとう、とお礼を言いに行きました。
個人的には毎朝お線香をあげる時にご挨拶しているんだけれど、親戚がほぼ集まることは年に数えるほどしかないので、ありがたい機会だと思っています。
来年はもっと機会が増えると良いなと思うのは欲張りかしら。

最近は歳をとったからなのか、祖母や親戚と過ごす時間を大切にしたいと思うようになりました。
今年、父方の祖父を亡くしてから、いっそうその気持ちが大きくなって、会う機会を多くしたいし、会えるときにはなるべく近くで話すように心がけている。
老いた人間を見ると自分の残り時間や人生についても想いを馳せるようになるし、だからこそ、いま、やりたいことをやって、いま、傍にいたいひとの傍にいて、いま、行きたいところへ行くことは、大切なことなのだと殊更思うようになりました。

でも、やりたいことがいますぐできなかったり、心の底からやりたいと思うことがなかったり、傍にいたいひとの傍にいられなかったり、行きたいところへ行くことができないとき。
そういうときも、やっぱりあると思う。
いままではそれを受け入れることが出来なかったけれど、それは誰にでも多少はあるし、仕方のないことだと思う。

そういうとき、自分を腐らせないで、ただ、そこに存在する、それだけでいいのだと、自分を認めたり、赦したり、受け入れたり、すること。
やりたいことをやる、のではなくて、できることをやる、ということの大切さ。
そのことを、身を以て実感して識ることができたのは、今年の大きな収穫だと思う。

今年を振り返ると、怪我があって大変だったけれど、なんとなく楽しかったし、全体的にはよかったんじゃないかと思います。
根底から変わった、物事の捉え方や考え方、毛根や頭皮(ほんとに綺麗な黒髪になってキューティクルが見事に復活した)などもあって、新しい風を取り入れつつ、今まで音楽と共にあった二十代の十年間をゆるゆると総括しつつ、じぶんにとって必要なものだけを選んで次に繋げることができたような、また次の十年への生まれ変わりの準備ができたような、たいせつな一年となりました。

怪我をしたおかげで、できるようになったこと、気付いたことがほんとうにたくさんある。
そして、音楽という表現から離れてみてわかったことも、ほんとうに、たくさんあります。
その全部を胸に抱きしめて、おおきく深呼吸をして、えがおで新しい年を迎えたい。
これから何処へ向かうことになっても、しっかりと胸に刻み付けて、この先の人生を生きていきたい。

ほんと、怪我したとき、失恋したときなんかは、この世も終わるかと思うくらい、つらかったけどね。笑
いろんなひとに支えてもらい、助けてもらい、いろんなかたちで力を貸してもらった一年でした。

いまは、いまがしあわせだ、と言えるので、つらかった過去たちに対しては、とくに何とも思わない。
つらいことを、必要以上につらく思わないようになったことや、つらいときにだって笑うことができるようになったことも、今年のたいせつなたいせつな収穫です。


来年はどんな年になるだろうね。
どんなひとと、出会うことができるかな。
どんな景色を見ることができるかな。
まだまだ旅は続きます。

いつも見守ってくださっているみなさま、そばにいて、支えてくださっているみなさま。
今年も本当に、お世話になりました。

ライブハウスから離れて、お会いする機会が少なくなってしまった方も多く、とても寂しく思っていますが、ずっと応援してくださっているみなさま。
来年は、何らかの形でお会いすることができるといいなと、思っております。
こんな調子で、まだまだのんびりさせてもらうかと思いますが、末永く、あたたかく見守ってくださるとうれしいです。

ほんとうに、いつもありがとうございます。
不束者ですが、これからもどうぞよろしくお願い致します。


みなさま、良いお年をお迎えくださいね。
寒い日が続きますが、どうぞご自愛ください。



かしこ




ひばりさんも歌っている。




2015年12月8日火曜日

epitaph


今夜は冷たい夜ですが、皆様お元気でしょうか?
何回か地味におサボりしてしまった。
もし楽しみに(?)してくださっている方がいらっしゃったらとても申し訳ないです。

先週から東京に来ていて、その準備やら何やらでばたばたしていました。
今日で五日めかな?たのしいし、たのしいです。はい。

今回は春に比べると滞在は十日ほどなので、会いたいひとすべてに会うことができなくてとても残念なんだけれど、春にはできなかったことをしたり、お家のひとのおかげでいろんな経験をさせてもらったりも、しています。
詳しく書きたいけれど、きょうはちょっと気分が乗らないのでまたの機会に。
(なんとなくだるかったので出掛ける予定をなしにして、お昼寝したり近所に買いものに行ったりしていたんだけれど、さっき大量の段ボールと戦ってきたのでお疲れなのです)
明日は資源ゴミの日です。気合いいれていこう。

春には必死に上っていった四ツ谷駅への坂道も、いまは元気に歩いてお買いものに行けるし、青山や表参道までだって歩いていけるほど、身体が回復したんだなあと、とても感慨深く日々を過ごしています。
(どうだ四ツ谷って都会だろ、と家のひとにドヤ顔されましたが、ほんとそう思うよ)

たったの半年間のあいだに、たくさんのことがあって、また、わたしもたくさんの部分が変わっていったと、そう思います。
なにより、変わっていくことを、恐れなくなったことが大きいなと思う。
まだまだ未熟な部分もありますが、引き続き、どんどん死んで、生まれ変わっていこうと思います。


今夜はいまからご飯の用意なので手短に。
あー、キングクリムゾンのライブ、うらやましかったなー!!


2015年11月24日火曜日

零余子



前回のブログ、おサボりしちゃってごめんなさい。
変な人に絡まれて警察沙汰になって精神的に参っていたのと、週末にライブがあったのが重なってしまって、一回お休みさせてもらいましたー。
思い返せば、病み上がりの割に、なかなかハードな数日間だったなあ。


変な人の件は、周囲に報告をして説明し飽きたので割愛しますが、なんと驚くことに、この文章を書いているこの瞬間も、隣のマンションで騒ぎを起こして警察が来ているみたいです。
言い争いの声も続いています。あ、いまやっと落ち着いたかな?

直接変なことをされたり、暴力を振るわれたりした訳じゃないんだけれど、「クスリやってるやろ」だのなんだの、あることないこと言われたりして非常に怖かったです。
結局のところは、精神疾患を持っている方だったらしくて、あまり相手にしないほうがいい、と言われました。
いまもだけれど、しょっちゅう、同じマンションの他の人とも喧嘩したりしてるのかな?絡まれた数日前も、真夜中に警察が来ていたし、毎日のように、言い争う声が聞こえている。
電磁波が飛ぶから、お家のブレーカーを落としてるんだって。


いろんな人にこの話を聞いてもらって、逆にもっと怖い思いをした話を聞かせてもらったりして恐怖も薄れ、ちょっとずつ落ち着きました。
そういう人と向き合って、傷つけられた人も身近にいるということを、忘れてはいけない。

そしてこの件については、ただ怖い目に遭ったというだけで済まされない、いろんな物事の見解を示唆されているような気がして、深く考えすぎてしまいそうになっていたんだけれど。
敢えて、ただ怖い目に遭った、それだけで済ませてしまおうと思います。
そう思うことで、楽になれるのなら、そう思っていよう、と。

もう、必要以上に深刻に考えるのはよそうと思う。
そこから何が生まれる?過去は変えられる?
答えはノーだ。
変えられることができるのはただひとつ、過去と向き合う、いまの自分だけ。
だから屈しない。つらい気持ちにも、いやな考え方にも。

終わったことは、終わったことだから。
いまの私には、未来が待っているから。
そうやって、何度も何度も自分自身につよく言い聞かせないと、ほんとうに、急に、わーっと、叫びだしたくなるときがある。

そういうとき、みんなどうしているんだろうね?
ちなみに私は今日、お仕事をしながら攻略法を思いつきました。

とりあえず、叫びだしたくなるようなときは、頭の中で、思い切り叫んでみましょう。
でも、それにはコツがあって、わー、って叫ぶんじゃなくて、ガオー、とか、パオーン、とか、ニャオー、とか、動物の鳴き声で叫びます。
ほかにも、ピョリー、とか、ギョヘー、とか、ピギャー、とか、ちょっとコミカルな感じの叫び声を、作り出してみる。

そうすると、いやな気持ちになって叫びだしたくなったはずなのに、なんだかちょっぴり、なごみます。
これは、とても平和で、いいと思う。

そして、わー、っとなった日は、美味しいものを食べたり、好きな音楽を聴いたり、ゆっくりお風呂に入ったり、いい匂いのキャンドルを焚いたりして、ちょっぴり自分を甘やかしましょう。
眠る前には、大好きなひとたちのことを考えましょう。
ちょっと恥ずかしいけど、お人形と一緒に眠るのも、いいかも。

なんだかメルヘンな結末になってしまったけれど、自分が心地よく落ち着くこと、自分が好きなことを知っておくことって、すごく大事なんじゃないかな?と思いました。

あと、悪いイメージに引き込まれそうになったときに、「大丈夫!私はこれくらいじゃ負けない!」って、自分を信じることも、すごく大事な気がします。
なかなか、ひとつのことを思い続けるのは、難しいんだけれど。
紙に書いて目に見えるところに貼ったり、何度も何度も思い返すことは、ほんとうに大事。

誰でも一瞬は、明るい気持ちになったり、前向きになったり、するものだけれど、明るい気持ちでいつづけたり、前向きでいつづけることは、ものすごーく、むずかしい。
暗い気持ちになったり、後ろ向きになるのは、こんなにもラクチンなのにね。笑


でも、ここで負けちゃいけないんです。
ぜったいに、負けちゃいけない。
それは出会ったすべての人たちや、すべての物事への最大の冒涜だと思っている。
生きて生きて、生き続けるんです。
精神異常になろうと、どんなに大切なひとを失おうと。

西村っちのことを想ったら、ぜったいに、生きていたほうがいいと思った。
毎朝、何のためにお線香上げてるんだろう。

しっかりするんだよ、じぶん。
こんなもんじゃ、ないでしょう?



ですってさ。
思ったより内省的な内容になってしまった…。
こんなの誰が喜ぶんだ…。

あ、zoozooseeのライブ、とっても楽しかったです。
寒いのにたくさんの人が観に来てくださって、そして久しぶりにお会いできる人ばかりで、とてもとてもうれしかったです。

ワニのときから応援してくださって、ライブにも何度も足を運んでくださっている職場の先輩から、「アンタ途中で息切れてたやろ」という鋭い指摘を受け、体力の低下を嘆きつつ、演奏を安定させるために、あんなに、あんなに、座って弾こうと思っていたのに。
やっぱり途中で(ほぼ最初から)立って演奏してしまった。

だって楽しかったんだもーん。
まったくのお耳汚しをしてしまって、申し訳ありませんでした。

でも、死ぬほど気持ちよかった。
暗闇のなかで他のメンバーと目が合うのが心地よかったし、音圧が生み出す、形容しがたい迫力とパワーが堪らなかった。
一曲が二時間のセックスにも負けず劣らずの気持ちよさ(と体力の消耗さ)。
六曲やったから、出来れば、息切れもゆるしてほしいです。

つぎは来年の2月28日に、扇町パラダイスというところでライブが決まっています。
4人でも、ステージに納まるのがやっとの狭さなのに、5人で、しかもキーボードもあるよ…だいじょうぶかしら。


今週も楽しみなことが盛りだくさん、金土日と遊びまくりまーす!
そうしていたらあっという間に楽しみな十二月。
わざと、楽しみにしないようにしている。
なーんてね!


急に寒さが厳しくなってきたので、皆様もどうぞご自愛ください。


2015年11月18日水曜日

ノルウェイの森



・風邪のこと

すっかり風邪をこじらせています。
きょうは冷たい雨、いまも夜が深まるにつれて冷えが忍び寄って、
饂飩であたたまった身体が敗けそうになる。
おまけに姉にまでウィルスが猛威を振るっているようで、咽喉の痛みを訴えつつ、
「低い声出る~!!」と嬉々としてゴスペラーズの低音担当・北山さんの真似をして遊んでいます。元気。

わたしは一年に一度くらいしか風邪をひかないので、どうもいまひとつ風邪の治し方、というものがわからないまま三十年近く生きています。
風邪をひくと長引かせてしまうのも特徴です。
りゅうちゃんなんて、身体が弱くてしょっちゅう風邪をひいているのに、すぐに治るというのが不思議でたまらない。
とにかく週末のライブまでには何とか調子を戻したいと思います。


・ライブのこと

今週末、11月21日の土曜日は難波ベアーズでライブです。
zoozooseeという、キーボードで参加させてもらっているバンド。
今回はベースがちはるくんになってからはじめてのライブになります。
ひさしぶりに、もすボード(ワニでずっと使わせてもらっていた、もすちゃんのキーボード)を弾けるのがうれしい。
ベアーズのみなさまにもお会いできるのがうれしい。
暗闇のなか、どんな風景に出会えるのか、とてもたのしみです。

もしご興味ありましたら、ぜひ遊びに、会いにきてやってくださいね。
出番は20時以降になるかと思います。
よろしくお願いします。


・ひとに会うこと

思わぬところで、会いたかったひとにお会いすることができました。
ライブをしなくなってから会えなくなったひとがあまりにもたくさんいて、時々、懐かしく恋しく思っています。
みんな、どうしているのかな、お元気にしているのかな、と、遠くの友だちを想うように。

でも、正直にいうと、どういう距離感で接すればいいのか、わからなくて戸惑っている部分が大きい。
プライベートでお会いしたいな、と思うこともあるけれど、すべてのひとたちとそういうことが出来るわけではないし、へんな部分でシャイなので、勇気がなかったり、ステージに立っていない人間がそんなふうに接するなんて失礼かなと思ったりで、この一年はこちらから積極的に連絡をとることはなかったのですが。
きょう、ワニを応援してくださっていた方とすこしお話をさせてもらって、プライベートでも、遊びに行きましょう、と言ってくださって、とてもうれしかったです。

今年は自分のことに集中しすぎて、あまりきちんと気持ちを伝える機会がなかったけれど、応援してくださったみなさまにいただいたものは、いつでも胸にたくさん秘めています。
いただいたものを大切に使わせてもらったり、いただいたお手紙を読み返したりして、いつも元気をもらっています。
触れるだけで、こころがとてもあたたかくなる。

そういった、いただいたもの、してもらったこと、たくさんの笑顔の記憶は、これから先、一生なくなるものじゃないと信じています。
ほんとうにたくさんのことがありました。
音楽の活動を通して出会えたひとたちと、共有できた時間や感情や、残すことのできた作品、行った場所や目にした景色、起こったさまざまなこと。

それらすべてを、そしてそのときの自分を、ただありのままに、受け入れて、認めること。
はっきりと気持ちに整理をつけること。
それが出来ないと、次に進めない、と思っていたのですが、最近はそうでもないのかもしれない、と、思い始めています。

次に進むのではなくて、もう、たぶん、次に進んでいる。
そして次に進むことは、過去にさよならをすることではなくて、過去にさよならをするということからも、さよならをすること。
自由になりたいと思うこころからも、自由になること。
なんとなく、そう感じています。

だからって、どこに行きたいとか、どうしたいとかは、まだちょっとはっきりできない。
冬だけど、からだを固くさせすぎずに、自分で自分にOKを出す、ということにも、もうすこしだけ、慣れて行きたいです。


最近読んだ村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』から、じぶんのこころにすとん、と落ちてくる一文があったのでいあったので引用します。

「ねえ、つくる、私たちが私たちであったことは決して無駄ではなかったんだよ」

誰に対しても、何に対しても、いまこの時間に対しても。
いちばんは、自分に対して、そういう気持ちでいたいと思う。


なんとなく暗くなってしまったのは、冷たい雨と、村上春樹のせいにしておこう。
ところで上巻の三分の二まで読んで、ぜったい読んだことあると思うんだけれど、結末が思い出せない…。
そして下巻の読み始めは読んだ覚えがないという不思議。

はやく最後まで読みたい。
(編み物もしたいし誕生日プレゼントも買いに行きたい)

はやく風邪が治りますように。
みなさまもどうぞお気をつけて。


2015年11月13日金曜日

黒い靴



不思議なことに、わたしたちは共通して写真写りがとても悪い。
きょうのような暗闇の中では仕方ないのかも知れないけれど。
あなたは時計のねじを巻く。
だけれども、左腕の月は、止まったまんまだ。

突然のサプライズにわたしのほうが興奮して、あなたがロウソクの火に息を吹きかけるところを目撃し忘れてしまった。
たった一枚、うまく撮れた写真は、あなたの何をも写し出せていない。
ただ笑顔のひとが、そこに、いるだけ。


時々、ほんとうに時々、あなたがいなくなることを考える。
もしあなたが死んでしまったら。
誰がわたしに知らせてくれるのだろうか?
長年連れ添ったひとは、どんなひとなのだろう。
犬なんて飼ったことがないけれど、わたしが引き取らせてねと約束をしている。
そんな未来なんて来ないことを願っている。

いつも、いつでも、
わたしはわたしのまわりの世界に取り残されてここにいるような気になる。
選んだはずの未来に巡り合えたなら、ここがわたしのいるべき場所なのだとずっと言い聞かせてきたけれど、どこに行っても、だれと会っても、わたしはどこにもいないような気になる。

それでもあなたは、わたしを求める。
わたしもずっと、あなたを求める。
もう、何年も何年も、それを続けている。
そしてこの先もそうであってほしいと思う。

ただ、静かに均衡は崩れつつあるのかもしれない。
わたしにはどうすることもできない。
この選択が正しいかどうか査定する術も持たないでいる。

後ろめたさなどない。卑屈にも成りきれない。
彼女たちとわたしの違いなど羅列すれば何時間かかるだろう。
そういう存在との比較対象な訳ではないと知っている。


わたしは一体、何なんだろう。
わたしに何の価値があるのだろう。

不思議な気持ち。
悲しいのとは違う。虚しいのとも違う。
ただ、不思議だなあと、思うだけ。
この幸福をただ享受するだけでいいのかという、焦りにすこし似た感情。


この靴を履けばあなたにあえるのか。
それなら毎日でもいい。ほかの靴なんていらない。
切なくはない。苦しくもない。
わたしは毎日、黒い靴を履き続けるだろう。


一度だけ、乗り換えの駅で、あなたの住む街に降り立ったことがある。
恋しているみたいな気持ちになったのも、きっと若さ故。

幾度とない夜を通り越えても、あなたの手元に、わたしの痕跡は何も残らない。
わたしには、幸運の扉を開く鍵と、一緒に過ごした記憶だけが残る。

ほかに何もいらない。
同じ目線で好きな歌を歌って、交わした視線を何より大切に胸にしまっておきたいだけ。
初めて会った日のこと、そのときの緊張をまだ覚えているから。


来年の五月は是非、時計のねじを巻きに東京へ行きましょう。
その回数を数えたりはしないから、どうか、のこりのわずかな時間、もっと一緒に過ごせますように。


2015年11月9日月曜日

告白



きょうはとても生ぬるい感触の空気で、なんだかまだ秋の終わりのような、春のはじまりのような、冬なんて知らんぷりして季節が通り過ぎてしまったような、そんな気候でした。
雨もまるで冬に降る雨とは思えないほどやさしい温度で、不思議な心持になった。

あちこち探しまわって、沢山悩んだ甲斐もあり、やっとこさ靴を買いました。
①たくさん歩けて
②素材が良くて
③長年飽きないデザインのもの
という、我儘満載な条件をすべてクリアした革靴。
悩みに悩んだ甲斐あって、とても可愛く思っている。はやくソールを貼り付けて、外に出たい。
今夜は枕元に置いて一緒に眠りたいと思います。

靴は気に入るものを見付けるのにいつも非常に苦労するんだけれど、気に入ったら割と長い間履くほうだと思います。
冬支度のために出してきた黒い革のロングブーツも、もうかれこれ七、八年近く履いている。
あの時も買うまでにうんうん悩んだなあ。

下北沢に住む友人宅に泊めてもらったときに、革のお手入れの方法を教えてもらってから、革製品を育てることが楽しくなって、シーズンの初めと終わりはわくわくしながらお手入れをしています。
何年かして靴底と生地の間が剥がれてきてしまって、毎年修理をしながら履いているけれど、さすがにそろそろ底がすり減ってきました。
だいぶ革も伸びてきたし、すこしひび割れが気になるので、ブーツも二代目を探してもいいかもしれない。

たくさん思い出の染み込んだ大切なブーツなので、限界まで履き潰したい。
まだもうすこし、一緒にいろんなところに行こうね。


数日前に、云わなくてもいいことを人に云ってしまって、すごく落ち込んだ。
ちょうど昔描いた絵や日記やなんやらを片付けていて、なんとなく目を通していたら、ちょうど十年前の日記が出てきて、その頃となんにも変っていない気がして悲しくなった。
あそこまで無茶苦茶じゃないとは思うけれど、同じことをいつまで繰り返すのだろう、と。

本当に、死ぬまで、変わらないのだろうか?
同じように大切なひとを、自分の手で、失ってしまうのだろうか?

そう思ったときに、もう誰も失いたくないと思っている自分がいることに気付いた。
こんなにも、何もかもを手放して、真っ白になりたいと、強く思っているのに。
でもこれは、別方向に引っ張って私を引き裂くような、相反する感情ではなくて、うまくいえないけれど、生きたいのと死にたいのが同じ、という、もともとはひとつの意志にから生まれるもののような気がします。

結局のところ、どちらも執着の表れなのかしら。
大体に於いて、他者への関心があるときは、自分から逃げているときのような気がする。

もっと深く自分の中へ潜っていきたい。
ひとりになりたい。もっと、ひとりでいたい。
でも、ひとりでいたくない気持ちも、おなじくらいこころを支配している。
できれば、その両方を認めてあげたい。
不器用な自分のことも、立ち止まっている自分のことも。


十月の週末に描いていた、鉛筆のほうの絵が完成しました。
仲の良い友達を勝手にモデルにして模写をしていて、思った以上に本人に似てしまったので一応本人に報告したら、SNSのアイコンに使ってくれたみたいです。
はずかしいやら、うれしいやら、描いた絵を使ってもらう、って、こんな気持ちなんだなあ。


個人的には首の血管と掌の皺を描くのがたのしかったです。
つぎは植物を描く予定です。
人魚の絵も引き続き完成に向けて描いていきたい。


絵は本当にいい。
静かになれる。

今週、もとい今月はすこし、夜更かし気味になりそうです。



2015年11月7日土曜日

立冬

一度だけ
心も体も真白に
洗濯して
干されてしまいたい

願わくば
夜になる前に取り込んで
ひとつずつ
畳んでしまいたい

生温い
風が通った境界例
捨てないで
大事にしていたい

後ろから
急発進した鹿の群れ
悉く
轢かれてしまいたい

粗相して
交わる風景殺したら
今すぐに
無にしてしまいたい

好いた彼の
黒いコートと体温に
躊躇わず
縋ってしまいたい

去る恋の
淡い記憶と御徒町
気紛れに
忘れてしまいたい

裏瞼
赤い血眼
なみだ色
惚けて目を綴じ
冬が来る

ああ冬が来る

2015年11月3日火曜日

蜜柑のある生活



すこし寒くなると、やっぱり、毛糸が恋しくなりますね、ということで、今日から編みもの始めました。
去年は音楽の活動もあって、お仕事もかけもちをしていて、あんなに忙しかったのに、たくさんの人にプレゼントを編んで、なんだかばたばたして楽しかったなあ。

九州の祖父母に帽子とマフラー、叔母に若草色のハンドウォーマー。
奈良に住む、母方の祖母にはやわらかい桃色のスヌード。
ヒツジが好きな石川のお友だち夫婦に、お部屋で勉強する用の、色違いのモコモコ指出し手袋。
自転車通勤のお友だちに、青いミトン。
星の似合うお友だちに、ぴかぴかが混じった毛糸で、ヘアバンドとシュシュを編みました。
あと、はじめてワンちゃんのセーターを編んだ。
これはいちばんの力作だった気がします。

なんばの高島屋の近く(タワレコと無印の入ったビルの、すこし南側)に、マスザキヤという毛糸屋さんがあって、世界のいろんな毛糸がたくさん揃っているという(しかも大型の手芸屋さんと比べ物にならないくらい質が良くて安い!!)、なんとも天国なお店なのです。
先日覗きに行ったら、めちゃめちゃ肌触りが気持ちよくていい色の毛糸を発見してしまって、その毛糸でお友だちにマフラーでも編んであげたいなー、と思っているところ。

だいぶ服の趣味も変わって大人っぽくなっていたから、ダークグレイとか、いいんじゃないかな?とか、いろいろ考えながら毛糸を眺めているだけで、ほんとうにしあわせな気持ちになれます。
でもその前に、家にある半端な毛糸たちをどうにか使ってしまいたい。
あんまり自分のために編みものしないんだけど、リハビリにスヌードでも編もうかな。
(このあいだおしえてもらった、指編みのシュシュも作りたいな)


プレゼントしたものたちのことを思うと、この一年で、会えなくなってしまったひとがいるんだなあと、すこし悲しくなったりします。
大好きな九州のおじいちゃん。もう帽子をかぶって、反対向きにピースをする姿を見ることはできない。
こんなにも、声も仕草も鮮明なのに、ふしぎ。

姉妹みたいに仲が良かった、たいせつなお友だちも、こちらから連絡を取ることができなくなってしまって、誰に聞いても行方がわからないから、どこかで元気な姿でいることを、静かに願うことしか、できない。
彼女とはまたいつか、線が交わるときが来るのだろうか?

そんなことを想うと、やっぱり、生きているあいだに、会いたいひとに会っておきたいし、つながりだったり、ひとの気持ちを、できるだけ、大切にしていたいと思います。
こんな人間だけれど、会いたいと言ってくれるひともいること。
その気持ちは、そっと、胸にしまって、飾っておきたい。

いま、どんなひとたちが、わたしの周りにいてくれているのだろう?
無理しなくていい、自然な気持ちで付き合えるひとたちばかりで、そんなひとたちに囲まれて、わたしは毎日、深く深く呼吸することができています。
大きく息を吸って、吐き出すとき、自然に笑顔になれる毎日です。
ほんとうに、ありがたいことだと思う。
わたしは何かで返すことができているのだろうか。

そして、振り返ると、やはり、つらい日々があったことも、しずかにこころで感じています。
でもそれは、誰がわるいとか、あの時ああだったとか、そういうことではないことも、きちんとわかっている。
いま、誰のことも責めたりしていないから、だからこころが、穏やかなんだろうと、そう思います。
(たまに、わるい夢を見るけれど、夢は夢だ)


この日々を、えらんでよかった。
いまのわたしは、いまのわたしのこと、好きです。

靴をえらぶこと、服をえらぶことと同じように、この生きかた、この生活をえらんでよかったと思う。
勿論、失うものがないとは思わないけれど、それはまた別のこと。
いまがいちばん、たいせつだと思っています。

現実は、靴も服も眼鏡も髪型も、気になるすてきなものが多くて、あれやこれやと迷っているんだけれどね。笑
この冬のコートは決めたんだけれど、靴と眼鏡が決まらなくて、かわいいものばかりだから悩ましいのですが、「迷えるしあわせ」というものも、あるのかもしれない、と思って、享受しています。
(多分に美化しすぎの気がする)


十一月に入ったばかりだというのに、もう来月のことを考えています。
はやく会いたいひとがいるというのは、これ以上ないくらい、しあわせだなあ、と思う。

また、あたらしいひとに出会う。
いままでに交わったことのあるひととも、あたらしい関係がはじまる。
思えば、おなじ関係でいつづけることなんて、実は不可能なんじゃないか?
どんどんあたらしくなって、どんどん変わっていくからこそ、お互い刺激にもなって成長し合える、いい関係なんじゃないのかしら。

おなじ街でも、季節が変わればあたらしい街になる。
おなじ人でも、関係が変わればあたらしい二人になる。

あたらしい風を取り入れて、旅人のように、暮らしていきたいな。


なーんてね。
そういえば、この時期、季節の変化に身体が対応するために、身体がわざと体内にウイルスを入れて免疫力を高めることがあるそうです。
結膜炎だったり足の痛みだったりは、もしかしたらそのおかげなのかな?

なるべくおとなしくしておくから、しっかり免疫力を高めてね。
今年の冬は、蜜柑をたくさん食べる冬にしたいです。



本日も見事に個人的な徒然の駄文ですが、お読みくださってありがとうございます。
十一月は、三日に一回の更新を目指しておりますので、お時間の許す限り、今月もお付き合いいただけると幸いです。

それではまた、三日後に。



(ちなみに、きのう、おとといとブログを書かなくてよかったから、開放感が半端じゃなかったです。笑
しっかりリフレッシュさせていただきました。お休み、って、だいじね!!)




2015年10月31日土曜日

控訴



実名をつかって検分することに身を悶えさせ尚且つ腹の底に秘めた怨念は十数年前と依然変わっていないことに驚きを隠せない夜。
三つ子の魂、百まで。
人は果たして死ぬまで変わらないのか?
学ぶことすらできないのか?

きょうはお仕事のあと、梅田をぶらぶらして靴などを見てきました。
良いのがいくつかあって、いろいろ悩んでいるところ。

欲しいものが沢山ありすぎて大変です。良き事哉。
十二月に行きたいところもありすぎて、また、会いたい人も多すぎて。
欲張っていてはいけない、と、自分に言い聞かせている。
きっと寒いしね。私は極端な寒がりだから、思ったよりは動けないだろう。


さて。
本日で十月もお終い。
毎日続いたブログ更新も、ひとまず区切りを付けたいと思います。

四月に比べて、割と真面目に書いたような気がする(文章量的に)。
ただ途中で中弛みもしたし、後半は若干ですが苦行に近い部分がありました。笑
十一月からは、三日に一回の更新にしたいと思います。
三の倍数でいこう。

九月の最後に会ったひとの影響で、時間にけじめをつけることに挑戦してみて、合う部分と、合わない部分があるなと感じたり、臨機応変にやらないといけない時もあると学んだり、そのときにじぶんのこころとどう折り合いをつけるのかどうかも、やってみて初めて気付いたりして、試行錯誤の一か月でした。
週末に絵を描くことを始めたし、ブログを書くこと、楽器を触ること、歌をうたうことを、毎日続けてみたことも、発見があっておもしろかった。
(ちなみにファイナンシャルプランナーの復習は途中で挫折しました。笑)

個人的にはたのしかったです。
十月。ほんとうに、いろんなことがあった。いろんなひとと出会えた。
でも、思い返すと、毎月いろんなことがある。
人前に出ようと出まいと、出会う人の量が減ろうと増えようと、いろんなことがあるんだなあと、思っているところ。
せっかくだし、楽しんでいこうと思う。

十月はほんと、よく笑った。
ひとりのときも、よく笑ってた。
なんでなんだろう。なんか楽しかったな。
暗い顔してるよりはましかな?とは、思うんだけれどね。
楽しむ、ということのコツをすこし掴んだような気がします。
無理してない、じぶん流のコツ。

どんなことに対しても、じぶんの価値観が、すこしだけしっかりしてきたのかな?
どんだけ自信なかったんだろう、とも思いますが、ひきつづき、じぶんというものを、じっくり観察していきたいと思います。


長らくのあいだ、取り留めのない駄文にお付き合いくださって、ほんとうにありがとうございました。
次は十一月三日にお会いしましょう。

アデュ!!

2015年10月30日金曜日

駐車場



・歌のこと
喉が痛いわけじゃないんだけど、きのう、きょうと歌っていて、歌いにくさが残ります。
どうしたんだろう。芯のない感じ。
まだ、怖がっているのかな。
声が涸れたって、誰に迷惑を掛けるでもないのに。
何を遠慮しているんだろうね。ここには私しかいないのにね。
想いのぶんだけギターを弾いて、ピアノを弾いた、いい一日でした。


・愛のこと
きのうの話の、ちょっとした続き。
谷川俊太郎さんのエッセイを読んでいて、ある言葉に対しての想いや考えを綴っている文章があったんだけど、愛という言葉を取り上げている文章の中に、「愛だけではとらえきれない何かを、情という言葉で呼ぶ」という記述があって、なるほどと思って、またひとつしっくりきました。

愛というのは、ともすれば男女間のことを表しがちだし、言葉そのものの美しさから先入観や偏見を持ってしまって誤解を生みがちだけれど、私にとっては、情という言葉のほうが、日常的で、身体に寄り添っていて、血が通っているように思えます。
ただ、情は、きれいな気持ちだけではないからね。とか何とか。考えるときりがないんだけれどね。ねむたいから途中まで。
また価値観を広げられそうだ。ほんとこのエッセイ、いい本だな。


・さみしがりやのこと
あのひとはもしかしたら、わたしとおなじで、さみしがりやなのかもしれない
わたしはずいぶんとながいあいだ、さみしがりやだったけれど、いまはそうでもない気がするのは、はたしてだれのおかげでしょうね

執着を手放したら、自然と寂しくなくなったような気がします。


・呼吸のこと
歌が軽いのは、呼吸が浅いせいかもしれない。
気を付けて、深く息を吸ってみようと思う。
朝の空気が澄んで、気持ちのいい季節です。


あしたも朝が早い。
きょうは散文、眠たくて構成能力が限りなくゼロに近いから、赦してほしい。

きょうも楽しく過ごせました。
眼鏡が厄介だけれど、だいぶ充血も引いてきたし、もうすこしの辛抱です。
目薬をさして眠ります。

おやすみなさい。


2015年10月29日木曜日

植木鉢



ひとを好きになることについて考えています。
きょう話した人との会話の中で、ときめき、っていう単語が出てきたので、ときめきについて考えているところ。
「ひとを好きになる気持ちはとめられない」ということについても、考えているところ。

わたしは、いまここに人間が生きていて、この心臓に血が通っている限り、だれかを好きになることは、きっと止められないことだと思っています。
でも、だれかを好きでいることと、どういう関係をつくっていくかということは、また別の問題で、それに加えて、だれかを100のぶん、好きでいることと、そのだれかに、100のぶん「好き」を伝えることは、違うことなんだと、ようやく最近気づきました。
いままでは、100のぶん好きだったら、100のぶんを伝えることが、愛情表現だと思っていた。

それと最近は、だれかをじぶんのなかで“いちばん”にしない、というのが流行っています。
いままでだったら、想っているひとや、そばにいてくれるひとのことを、じぶんのなかの優先順位の一番上にもってきがちだったし、そうすることが、なによりも良いことだと思っていたし、なんなら、相手にもそれを求めていたところもあったんだけど、あるとき、「それは相手も自分もしんどいな」ということに気付いて。

近頃は、お互いにそれぞれ、お仕事だったり、遊びだったり、お友だちだったり、趣味だったり、家族だったり、その時々で大切にしているものや人生に於いての優先順位が変わるのは当たり前だから、私のことは、トータルのランキングで3位か4位くらいに想ってくれてたら、いいよ、と。
その、いろんなジャンルがあるなかで、“好きな女の子”っていうジャンルの、いちばんに想ってくれていたら、うれしいな、って感じで思っています。
(できたら、そこに芸能人とか女優さんとかは入れないでほしい。太刀打ちできないから。笑)

今年になって、劇的に、恋愛に対する価値観が変わったなと感じます。
でもこのほうが、自分にしっくりくるし、ものすごく心地良いので、気に入っている。

何をいままで、固執してたんだろうね?
きっと、色々とこわかったんだろうなと思う。
大切すぎて、失うことが。
その気持ち、今はわからなくもない。

ただ、もうそんな恋愛はしないと思うし、したくない。
寧ろしたくても、きっともう出来ないと思う。
若さ故の、ひとの愛し方だった。若い時にしかできない恋愛。
だから大切にも思えるし、諸々、感謝もしています。


話は逸れましたが、最近は、恋人とか友達とか恋とか愛とか、いろんな言葉で定義される概念について、もういいじゃん、って思います。
そういうのに拘るから、いろいろおかしくなる。
だから、どんどん、あたらしい関係性をつくっていけばいいと思う。

二人にしかできないこと、二人だからこそ成立すること。
そのひととだから共有できる時間、そのひととだから行きたい場所、そのひととだから交わせる言葉や想い、そのひととだから生み出せるもの。
それをひとつひとつ大切にしていけば、自然と、お互いが心地よい関係が生まれると思う。
それを誰かは愛情というかもしれないし、友情というかもしれない。
または家族のようだというかもしれない。
でも、まわりには好きなこと、云わせておけば良い。
問題は、お互いにとってお互いがどれほど大切かということだけだから。

だから、いまはこの関係を大切にしたいから、あまり好きになりすぎないように(あまり好きな気持を出しすぎないように)気を付けているところ。
相手がほしいぶんだけ、好きな気持ちをあげたいから、いつも最大限に気を付けています。
だけどそれは、流されることはまた違うと思っている。
相手に合わせることをすこし学んだだけ。
いままで如何に利己的だったか、重々身に染みて感じているところ。

ま、なるようになるさ、と、
明日のことも、君とのことも、風まかせ。

これくらいが気楽で良いし、決して手抜きはしていないことを、
自分自身は知っているから、それで良いんです。


っていう、今日はそんな話題でした。どんな話題だ。笑
あと二日で、とりあえず連日のブログ更新は終わるー!がんばれなす子ー!!

本日も長々とお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
おやすみなさい~。



2015年10月28日水曜日

眼鏡の向こう


きょうはすこしだけ、落ち着いたかなあ、という感じ。
眼科で検診を受けたら、両目とも結膜炎でした。目薬を貰った。
新しく眼鏡を買いに行きたかったんだけど、きょうは断念。
おとなしく、治るのを待っていよう。

今年も残すところ、あともうふた月ですね。
十二月はまた大阪を離れたり、いろんなひとのお誕生日があったりできっとどたばたしそうだから、来月はゆっくりしたいな。
ゆっくり話したいひとたちがいるから、そのひとたちに会いに行こう。

あと、11月21日は、なんばベアーズでzoozooseeのライブがあるので、鍵盤を一生けん命弾きます。
きのうもスタジオだったんだけど、この五人になってからどんどんまとまってきて、とてもたのしかったです。
ちょっとワガママ言っちゃったかな?反省。

十二月が過ぎて、あっというまに来年になって、一月、二月、三月と、お仕事をしっかりして、慌しく四月になったら、大阪を離れます。
今年は怪我があって、そしてここ十年間ではじめて音楽中心の生活ではなくなって、かなり特殊な一年だったなと思う。
でも、だからこそ、出来たことも、行けたところも、出会えたひともたくさんいて、気付いたことも、手にしたことも、たくさんだったなあ、と、あらためて思います。

けっこう、もうおなかいっぱいな感じは否めないなあ。笑
まだ二か月もあるよー。ぜいたく!

へんな話だけれど、もう、次へ次へと、こころがいそいでいる。
あたらしいもの、あたらしい街、あたらしい暮らし、あたらしいひと。
いままでのすべてと、これからのすべて、ふたつの渦の、ぐるぐる混ざり合っているその中間点にいるような気持ち。

境界線は引かない。
いつだって、わたしはわたしだから。
いままでのすべては、わたしのたいせつな一部だから。
そう思えるようになって、認められるようになって、安心しています。

これからは、自分の居場所を、自分でえらんで、つくろうと思う。
居るべき場所ではなくて、居心地のいい場所。自分が居たい場所。


まいにち、お腹から笑わせてもらって、ほんとうに、まわりのひとたちには感謝してもしきれないなと思う。
生まれてまだひと月の赤ちゃんにだって、いっぱい、笑顔をもらえるもんね。
きょうもごきげんさんで過ごさせてもらった。

まいにち笑顔でいられること。
十月の、いちばんの収穫は、これかもしれないね。




2015年10月27日火曜日

ダンスダンスダンス



こんな時間なのに、お砂糖たっぷりのカフェオレなんか作って飲んでいます。
空きっ腹に酒、ではなく、下っ腹に皮下脂肪。
ぶくぶく溜め込んで、だめだこりゃ。

雨が降る中を家に帰った。
思ったより冷たくなくて、すこしだけ安心する。
都会の雨は、繁華街の光を受けて真っ白でした。

真っ暗な商店街を通る。
どこの街にいたって、おんなじだという気持ちになる。
だったら、誰と居たいかで、住む街を決めたっていいじゃないかと思っているところ。
すこしだけ、感情に傾倒しているところ。

そばにいることとそばにいないことに想いを馳せているところ。
なにが違うんだろう。きっとそばにいたって苦しい。

人はどうして誰かに何かを求めてしまうのだろうか?
ひとりになりたくなくて打算しているのだろうか?
こんな気持ちになりたいわけじゃないのに。

こころとからだが、ばらばらになりそうです。
すこしだけ、センチメンタルな気分。
恋なんて、いまはしたくない。
こんな自分に腹を立てているところ。



静かに溢れる涙をそっと拭ったら、
またいつもの二人に戻ろう

そして静かに、待っていようと思う
ただその時が来るのを

それまで、上手にステップを踏んで踊り続けよう



踊り続けよう






2015年10月26日月曜日

食欲の秋


きょうはゆっくりゆっくり過ごせた一日でした。
お天気が良かったので、お洗濯をしてお布団を干して、ついでにひなたぼっこもしました。気持ちよかった。
ギターを弾いて歌をうたった。あまり喉がよくないようです。

読みかけの、村上春樹『ダンスダンスダンス』読了。上巻、下巻ともに割と一気に読んでしまった。
なだらかな起伏というか、全体的にぼやっとした印象を受けました。
静かに細かな雨が降っていて、そのおかげで遠くのものがぼんやりと見えるような、感情を鈍らせる薄い闇が佇んでいるような、そんな感じ。
物語自体は面白かった。とくに冗談が。

着物を片付けたり、ついでに組み合わせを考えたりしました。
来月はもしかしたら敬老の日イベントがあるかもしれないから、祖母に会いに行くときに着物を着ようかしら。
やっぱりあたらしく帯が欲しいな。でももうすこしだけ辛抱しよう。

十月は、よく動くことのできた一か月だった気がします。
前半はほぼ誰にも会わず、まいにちを積み重ねることを意識して、日課を作ったり、絵を描いたり、自分の内面を覗いたり、歌や音楽と親密になったり、割と穏やかに過ごせた。
後半、お久しぶりの人にお会いしたり、お友だちとゆっくりお話ししたり、あたらしい場所に行ってあたらしい人と出会ったり、人に会って話すことがとても多かったように感じます。
すこし身体に無理をさせてしまった部分もあるかも知れない。

そしてきょうからはまた、身体の声をよく聞いて、静かに過ごしたい。
以前ほど身体に対しての不安はなく、からだ、こころ、あたま、三つが仲良く円を描いているイメージ。

からだは、心と頭だけじゃ出来ないことを出来る。
こころは、頭も体も感じられないことを感じられる。
あたまは、身体と心が知らないことを知っている。

みんなみんな、なくてはならない、と思っています。
頭は思考するのが得意だし、体は行動するのが得意だし、心は感じるのが得意。
それぞれに、出来ることも、役割も違うから、それぞれの声を、聴くことができるようになればいいと思う。

いまはとくに、身体が大切だから、身体が感じることをそのまま感じるようにしています。
頭では、今日やるべきことだと、わかっている物事でも、身体に、無理はさせないように。
そのふたつをつなぐのが、心だったり、するのです。

からだとこころがちぐはぐなときは、あたまで考えてみる。
こころとあたまがちぐはぐなときは、からだを動かしてみる。
あたまとからだがちぐはぐなときは、こころで感じてみる。

そんなふうに、チームワークを生かしていく感覚。
だれかひとりが欠けていてはいけない。


だから、きょうは体を甘やかしたねー。なんて。
そのおかげで、心も頭も、ゆっくり休息が取れたようです。

気を抜くと、いろいろと詰め込み過ぎてしまうから、きょうみたいな日が必要。
(基本的に、本を読む時間と、ギターを触る時間があれば至福だけどね)

あんまり人と話さなかったけれど、きょうも一日ごきげんで過ごせました。
どうもありがとう。いい日でした。



ただこの時間におなかが空くの、どうにかしたいよ…!!


2015年10月25日日曜日



土曜日は一日じゅう、めいっぱい遊んだのと、一日の終わりにすこし気がかりなことが発生して、そのことに気を取られていたらブログどころじゃなかったのでお休みしました。
きょうも朝早くからお仕事だったので、支障が出ないように早く寝させてもらいました。
更新を楽しみにしているひとが微粒子レベルで存在していたらとても申し訳ないと思います。

きのうはお昼間、お友だちとランチして、カフェでまったり過ごしました。
ぶらぶらしながら、新しく眼鏡を作ろうと思って、一緒に眼鏡屋さんに行って、お互いに似合う眼鏡をいろいろ試したのが楽しかった。

彼女は高校からの付き合いなんだけど、わたしがこのあいだ失恋したまさにその当日に、「失恋した~(;_;)」ってメールを送ったら、「Brain Dots(スマホのゲーム)でいま面白いトライアルやってるから、それやって元気出しなよ!」っていう返事をくれて、その返事のおかげで感傷的になりすぎずに済んだという、グッジョブなお友だちです。
ベストフレンドって、こういうことだなーって、思いました。

ひさしぶりに男の子とデートしたそうで、乙女のように悩んでいてキュートでした。
人と付き合うこととか、恋愛観とか結婚観とか、あたらしく出会ったひとのこととか、いろいろ話しておもしろかった。
いつも、身体の力を極限まで抜いて、なにも考えずに他愛のないおしゃべりができるので、とても癒されます。
ディズニーランドのお土産をあれこれくれました。ニモのわかめスープが期待大です。

夕方家に戻って、ひさしぶりに着物を着付けて、わかばさんのライブへ。
いやー、やっぱり、半年以上着ていないと、帯の結び方がわからん!笑
もっと場数踏んでいこう…と反省しました。
ただ、ブランクがある割には、帯以外の長襦袢や着物自体は、おはしょりから何からものすごくきれいに着れたのはうれしかったです。
エンジ色とか黒の着物はだいぶ苦戦した思い出があるけど、灰色のは相性よかったのかな?
来月はどこに着ていこうかな~。わくわく楽しみです。

夏ぶりに観たわかばさんのライブは、ものすごく、良かった。
歌への情熱が高まって、溢れてくるのを肌で感じた。
冷たい空気と皮膚の下で、静かに慟哭していた。

このひとはずっと、ステージで歌い続けて、ステージで進化しつづけるひとなんだなあと、思った。
いまならまだ、追いかけられる、最後のチャンスかもしれない。
追い付けるかどうかはわからないけれど。

『まだら』を歌ってくれて、やっぱりCDで聴くのとぜんぜん違うし、先週会ったときに練習しているという話をしていたから、(そしてわたしが歌うと怨念のようなどろどろさが出てしまうとも話した)、それでちょっとわざと、どろどろと歌ってくれたのかな?と思いました。
それぐらい迫力があってよかった。

毎回ライブごとに、いちばんいいなと思う曲が違うんだけど、きのうは、そのあとに聴いた『茜』で、思わず涙が出た。
新曲の『決別』も、ものすごく良かった。はやく馴染んだものも聴きたいな。

そんな影野わかばさんの、今回のツアーファイナルは10/30(金)、高円寺U-haにて、山崎怠雅さんとのツーマンライブがあるそうです。
もしお時間良かったら、どんどん進化していくわかばさんの歌を、聴きに行ってくださいね。

◎皐乃一座HP
http://kouno-ichiza.net/

※影野わかばさんは、皐乃一座に在籍するアーティストなので、こちらのホームページからライブの詳細がご覧になれます。

大阪は12/9に、道頓堀かつをの遊び場で、ワンマンライブがあるよ!
わたしは今回は見に行けないから、誰かぜひ目撃しておいてほしい。

そうそう、ひさしぶりに観た、ざっしー(豊川座敷)のライブも良かった。
いまのざっしーが全部出ている感じがして、好きでした。
(たしか前にベアーズで観たときは、風邪で声がガラガラだったんだっけね)
あとおふねにも会いました。相変わらずおふねはおふねでした。


帰りみちにちょっと気がかりなことを耳にして、心配性のわたしはどうしても不安になってしまうようなことだったので、地下鉄の窓に映った自分の顔を見たら見事に眉毛がハの字になっていた。
遠くに住んでいるひとのことだし、何かあってもすぐに会いに行けるわけじゃないんだけど、心配で心配で。

でも、いまそのひとがどういう状態かわからないのに、良くないことばっかり勝手に考えて、暗い顔してしまうのはなんか違うんじゃないの、と思って、家に着くまでに、心の中で、『あいつは大丈夫!』って百回くらい唱えながら、むりやり笑顔を作って帰りました。
だってせっかく着物着てるのに、悲しい顔してたら、着物にも失礼じゃないか、と思って。笑

そうやって、むりやり笑ったの、ひさしぶりな気がした。
それくらいいつもは、自然に笑顔にならせてもらっていることに、ありがたく思いつつ、もちろん、いつもたのしいことばかりではないと知っているつもりだし、でも、できれば、むりやり笑うなんて、しないほうがいいと思っているんだけど、そのときは、じぶんにとって、そして周りのひとにとって、笑顔が必要な気がしました。
この現象については、まだちょっと考察中。

結局、とりあえずのところは大丈夫だという連絡が来て、ちゃんと元気そうな声も聞けたので、いちおうは、安心したんだけれど、なんだか、ものすごく心配したあとに、ものすごく安心したら、どっと疲れるものなのだなあと、思いました。

ほんと、なんともなくてよかった。
でもね、まだちょっと、混乱している。自分の胸のなか。
混乱しているんだよ。


『いつもの笑顔で 君を抱きたいな
懐かしいまなざしで 君の名を呼びたいな』

ライブを観たときとは違った濃度の茜色、
しずかにしずかに、胸に沁み入ってきます。



きょうもとりとめない感じだなー。笑
谷川俊太郎さんのエッセイ、順調に読み進めています。

心地良い感じの文体。
わたしの文体はぼろぼろだなあ。
(いつも音楽を聴きながら書くから、集中していないという言い訳)

すこしずつ、風がつめたくなってきますね。
きょうも楽しく、ごきげんですごせました。


どこにいるひとのことも、
ここからいつも、想っている。



岡山で思ったこと



2015.10.16-10.18の三日間で感じたことを、帰りのバス内で、感じたままに。



・18:03

さよならについて想いを馳せている。
いままでの私だったら、きっと会いたい人に会いに行っていたけれど。
疲れた顔を見せたくないなー、なんて、初めて思った。
会いたい動機がきっと、依存心からくるものだったから。

ある人のこと。
会いたすぎて期待しすぎて、空回りしたなあ、
話したくないときは話さなくていいんだよ、ということを、もっと身を以てわかりたい。
自分で色々とハードルを上げすぎた。前日までに感じた違和感、当日に感じた気持ちに素直になってみてもよかった。
でも終わったことだし、総じて楽しかったのでオッケー。

人を好きになること。
人を好きになるという行為は私にとっての表現だと思っているから、一般的な倫理観に囚われない。
男女関係なく、どの人のことも好きだし、どの人のことも大切に想っている、という気持ちに偽りはない。
それぞれ皆違うから好きだし、当たり前だけど、それぞれの人と過ごす時間は、それぞれの人としか過ごせない。
(一人一人に「あなただけが好き」と約束しているなら話は別だけど)

私の場合、大体において、人を恋しく思うときはその裏側に利己的な欲求が潜んでいることが多いので、一旦止まって心のなかを覗いてみる、という行動を取り入れてみることは価値があるように思う。
一旦止まるということは、やりたいことをやらない、と、イコールではない。
勢いを殺す、剣道で言う、去なす(いなす)という感覚に似ている。

『やったほうがいいと思うこと』をやることと、『やりたいこと』をやることを天秤にかけると、やりたいことをやったほうがいいと思われがちだけれど、それも時と場合によるなあと思った。
『やりたいこと』の裏側には、感情が隠れている。
そのときの自分が表現したいものが隠れている。
でも、そのもっともっと根底に潜んでいるものはなんだろうか、と冷静に見つめて、把握してジャッジすることも必要。
『やったほうがいいと思うこと』の裏側にも、『やりたいこと』より大切なものが隠れている場合がある。
その時々で大切にするべきものが違う、違って当たり前なのだと思った。

『やりたいこと』をやることで損なわれるものもあるし、やりたいことが必ずしも、自分がしあわせにしたいひとをしあわせに出来るとは限らないときもある。
綺麗な別れが、またその人に会いたいとも思わせるし、自分もそう思っていられる場合がある。
そういう風に思えたことが良かったと思う。

笑顔で別れる、ということ。
本当はすごく大切なのかもしれない。
むしろいつでも、一緒に過ごした中で一番の笑顔で別れたい。
握手も抱擁も必要ない。それを知ったのも経験。
すごくすごく、大切な経験。

旅に出て出会えた、また会いたいと思った人のこと。
思わぬところで物事は繋がって導かれていくから、自分をオープンにしておくという感覚はすごく大切。
(オープンというものがどういう状態かは、まだ自分の中で感覚的すぎて、具体的に上手く説明出来ない)

好きじゃない場所や人でも、自分の状態次第で良くも悪くも転ぶし、退屈と感じ始めた次の瞬間、思わぬきっかけで人をおもしろいと感じたりするので、少しだけ、その場に留まってみる、というのも必要な視点なのかと思った。
どうしても嫌なら無理はしなくていいと思うけれど、どうしても、に至るまでのギリギリを知っておくことや、キャパを増やすということは、決して自分にマイナスにはならないのではないのかなと思う。

逆に今日みたいに、期待しすぎると失敗する時もある。
期待をするということは、自分自身が自然な状態ではない、ということなのかな?
周りに何かを求めているという状態なんだろうか?
当たり前のことだけれど、自分にとって心地の良い自分でないときに、無理に何かをしても後悔するだけだと、身を以て感じた。
なにかしら、周りに気を使いすぎたり、期待や妄想をすぐにしてしまう人間なので、そのあたりはもっと経験して、自分に合った方法を探していきたい。

行動の『選択』の幅を広げるということ。
自分が、自分で、その場の自分に合った選択が出来るようになりたい。
思考や視点のバリエーションを増やせたら、次は、言葉と行動のバリエーションを増やす。
「誰かにこう思われたい」という理由が大元になければOK。
そういうスキルを身につけることが、大切な人にスムーズに気持ちを伝えられることに繋がるのかもしれない。

そのスキルが未熟な故に、必要ない軋轢が生まれたり、修復出来ない傷を付けてしまったり、
結果的に、憎み合って、別れてしまうことは、本当に哀しいことだと思う。

座談会のこと。
初めて参加して、楽しかったけれど、あまり得意な場所ではないかもしれない、ということがわかった。
それがわかっただけでも、行って良かったと思う。
違和感の正体、まだもうちょっと考察や分析が必要。

決して、誰かや何かを批判したり、それによって自分を正当化したり慰めたい訳ではない。
自分にはちょっと合わなかっただけだし、そのことを誰かに理解してもらいたいとも思わない。
みなさん本当に素敵だった。私自身がまだまだ無知で未熟なだけ。
思い返せば旅も三日目、いろんな部分に疲れも見えていたのかな、とも思う。
でも、“だから『悪』”ではない。
いまは自分の心の動きに興味があって、文章として遺せるほどはっきりとした感覚として感じたいから、考察を続けようと思う。

コミュニケーションにも嗜好があるのだと知ったこと。
静かな場所で落ち着いて、個人的に、一人対一人で話すほうが好きだということ。
同じような考え方をするからといって、皆が皆、仲良くなれるわけではないということ。
また、もしかしたら、仲良くなる必要も特にないのかもしれない、ということ。

考え方やバックボーンが違っても、高校が同じだったり共通の知り合いがいることがきっかけで、仲良くなれる人もいるということ。
私の場合、違った考え方をしているひとでも、一人対一人や少人数なら、割と素敵な時間をシェアできたり、面白がれる確率が高いということ。
垣間見える同じ感性と出会う瞬間が楽しかった。

仲良くなるのに、共通の話題は少なからず大きなウエイトを占めるということ。
子供が好きだったりあるアーティストが好きだったり、音楽や映画や本の趣味が似ていたり、同じ土地に行ったことがあったり、生まれた場所が近くだったり、無限にあるけれど、そういったこと。
そういう話をすこし軽視していたかもしれない。媚びのように思っていた部分がある。
(自分の知識について、地に足を付けることは今からでも可能かしら。)

興味のあること、そのとき感じたこと。
こんなにもはっきり感じているのに、言葉で伝えられないもどかしさ。
それがあるから、音楽をしたり絵を描いたり物を作ったり、言葉以外でも人は表現するのだと思う。

思ったことを自由に表現しよう、と、さらに強く思った。
即興演奏において、より良い演奏を出来るようになりたい、と思うことに近い感覚。


人は流れて、流れていくよ、ということ。
私は今、近くの人と、深く交わりたい時期だということ。

近くというのは、大阪東京とかいうことではなくて、心の近さ、興味の深さ、のようなものです。
逆に思えば、深く交わりたい人たちは、大体みんな、それぞれの場所にいる。
だから丁度いいのかもしれない。
わたしは、いまここには、ひとりで良い。ひとりが良い。

さて、依存心からくる行動には、他にどんなものがあるのかしらね。
自分の心の解体ショーしてるみたいだ。たのしい。


大阪に戻って、ものすごく、笑顔だということ。
うずうずしている自分がいるということ。
うわー、生きてる!って、思えたこと。楽しかった、って、思えたこと。

いまの自分にとって、必要な旅だった証拠だと思っています。
出会えた、関わってくださった全ての皆様、
本当にありがとうございます。




鞄の中身


そういえば、先週の岡山旅行の荷物を公開しようと思って忘れていたので、公開しまーす。
なにかの参考になれば。笑


◎持っていったもの
iPhone5s
iPad mini
iPod、イヤホン
お財布
タオルハンカチ
ティッシュ
緑のポーチ(痛み止め、バンドエイド、目薬、リップバーム、リップグロス、日焼け止め)
紫のポーチ(アメ類、漢方薬)
化粧ポーチ(歯ブラシ、コンタクト用品、スキンケア用品、おりものシート、カイロ、湿布)
寝間着用の長袖シャツ
寝間着用の靴下
着圧靴下
下着の替え
タオル
充電器
香水
腕時計
アクセサリー

◎あれば良いなと思ったもの
マスク…ただ単に持っていくのを忘れた
青汁…やっぱりパンしか食べなかったから、帰ってきて肌荒れがすごかった

◎持っていかなくて正解だったもの
手帳…重たいしかさばる、バスや電車内で書けない
文庫本…全然退屈しない、移動中は景色を見たりぼーっとできる

◎お洋服
ストレッチジーンズ
ブラ付きキャミソール
半袖ベロアのトップス
薄手のカーディガン
厚めスウェットの上着
靴下
ウォーキングシューズ

以上!!
上の写真の荷物を、左下のカバン2つに分けて入れて持っていきました。
やっぱ昔に比べたら、驚異の荷物の少なさ…グッジョブ私!
着替えを持っていかない(三日間ほぼ同じ格好をする)ことに抵抗をなくすと、こんなにも身軽になれるんだなあと、感動しました。
そして、やればできるじゃん…自分…!!と…。
(ただそのあと三日間くらい、自分の身体がものすごくクサイ気がしてそわそわした)

ちゃんとシャワー浴びたり、こまめに手を洗ったりしてたけど、服にはニオイつくもんな~。
いちばんグッジョブだったのは、案外、香水だったかもしれない。笑

旅先でも自分のお気に入りを身に着けようと思って、だいすきなお友だちと色違いのタオルハンカチ、金木犀の香りの香水、たいせつなひとからもらったネックレス(鍵のモチーフは、自分のちからで幸運のドアを開くことができますように、という意味らしいです)、母親から譲り受けた世界でいちばん落ち着く腕時計(ベルトをそろそろ交換しないとやばい)、つけ心地が最高のハンドクリームを持っていきました。
そのおかげで、わりと穏やかに過ごせた気がします。

ほんと、いま思い出してもいい旅だったなあ~。
そのときに出会ったひとたちと、また会う約束をしているのが、ほんとうにありがたいし、うれしい。

また、いろんなところへ旅に出たいな。
でも、生きている限り、旅とおなじなのかもしれない。
生まれてから、死へ向かうまでの、ささやかな時間。
そのあいだに、どんなことが起こっても、ぜんぶ、旅だと思えば、たのしく過ごせるかもね。

な~んてね!グッジョブグッジョブ!!



2015年10月23日金曜日

こんな風に過ぎて行くのなら



いけないいけない、かわいいヘアバンドを検索していたらこんな時間だ…。
きょうはパン屋さんのお仕事でした。お昼からの6.5時間の立ち仕事も、楽勝まではいかないけれど、だいぶ平気になってきてうれしいです。
やっぱり朝いちばんの時間帯は、他のみんなにとっても、いちばんキツイみたい、まだもうすこし復帰はおあずけだな~。

あしたの着物の用意をしていて、かわいい足袋がないことに気付いて、お仕事帰りに急いで靴下屋さんへ寄って帰って、着ようと思った着物の袖と、持っている肌襦袢の袖の長さが合わないからちょっと詰めたりして、さあ、付け襟を付けるぞ!と思ったら、この、襟を付けるのがびっくりするくらいむずかしくて時間がかかっちゃって、気付けばきょうもこんな時間です。ねむたいよー。
着物を着る人間しかわからない話でゴメンねー。

パン屋さん、ずーっと会いたかった、ひさしぶりに会うお客さんに、会えました。
ちょっと前に書いた、半年に一度しか会えない紳士と共通の知人なんだけれど、一年くらいお顔を見ていなかったのかな?ひさしぶりだったけど、気さくにお話ししてくださってうれしかったです。
わたしも夕方に店にいるのがあんまりないことだし、お店の他のスタッフから、その方が最近来られていないと聞いていたので、会えるかななんて期待はしていなかったんだけど。
ほんと、めちゃくちゃラッキーだなあ~。

そのおかげで一日じゅう、ごきげんさんですごせました。
やっぱり会いたいひとには会えるようになってるんだねえ。

あと、最近パン屋さんには、赤ちゃんを抱っこしてパンを買いに来るお母さんがとても多くて、赤ちゃんや小さい子供を見るだけでとても癒されます。
他にも、ひさしぶりのお客さんにお会いすることが最近多いので、それだけでもほんとにうれしい。
そういうのがあると、すぐににこにこしちゃうので、ああ、わたしって、単純だな~と、しみじみ思いました。

お仕事に行く前に、宇多田ヒカルを爆音で聴いて踊りながらお菓子を作って、お世話になったひとに贈り物をおくったり、あした会うお友だちに渡すプレゼントを用意したり。
ながく会えないひとだけじゃなくて、いつでも会える、古くからのお友だちにも、なんとなく、メッセージをしたためました。

そんな気分のときって、あるよね。
いつも想っているよ、って、ほんとはいつでも伝えられるものなのかもしれないけれど、いつでも伝えられるしあわせ、っていうのもあるのかもしれない、と、ふと思いました。


あたらしいひとを識っていっても、かわらないものもあって、だけど、かわらないように見えて、時間とともに、ほんのすこしずつ、かわっていく。
それは自然のこと。悲しまなくても、いいこと。

歳をとって、いろんなことを経験していくのが、ほんとうに、たのしくて、うれしいです。
まいにち、そんな気持ちで、過ごさせてもらっている。
でも、うわついた気持ちだけじゃなくて、いいことばかりじゃない、ということも、わかった上での、いまがあることに、すこしだけ、ひとり安堵しています。


タイトルの、だいすきな、浅川マキさんの歌。

『こんな風に過ぎて行くのなら
いつかまた、どこかで何かに出逢うだろう』

さみしい気持ちの歌だけれど、さみしさも、かなしさも、むなしさも、やるせなさも、たくさん、たくさん、経験して、でも、それがあるから、いまがある、と、歌えるようになりたい。
その感覚が、わかりつつあるのが、うれしいです。

痛い、辛い、怖い、悲しいのなんて飽きた。
そういうの、ぜんぶ感じたうえで、わらっていたいなと、いまは思います。
いまの自分だから、歌える歌がある。
それを大切にしていきたいです。

なーんてね!
まだまだ気持ちも技術も未熟だからね、まずはかたちにするところからはじめなくちゃね!


いつも自分のことばかりだけれど、読んでくれてありがとうー。
あしたのために、きょうははやく寝よう!

きょうも一日おつかれさま。
おやすみなさい。




2015年10月22日木曜日

血眼



ここ数日、左目がなんかおかしくて、普段からコンタクトレンズをしてるんだけれど、視界がボヤーっとするなあ、と思ったら真っ赤に充血していました。なんじゃこりゃあ。
仕事中ずっと目ヤニが出て気持ちが悪かったです。

うーん、乱視用のコンタクトレンズが合わないのかな??
あした様子見ておかしかったら病院に行こうっと。

きょうはお手紙を書いたり、ギターを弾いたりして過ごしました。
他にもちょっと、やりたいことがあったんだけど、なんとなく体もぼやぼやしていて。
無理せず、できることをやろう、と思って、ギターを手に取ったらこれがまた楽しい楽しい。

きもちが濁っているときはあんまり音楽に触れたくないというか、音楽に対して失礼な気がして疎遠になりがちなんだけれど、ギターを持った瞬間、「あ、これこれ!!」って、体がよろこぶのを感じました。

ひさしぶりに、おっきな声で、うたえたかな?
いつも弾く曲を弾いたりして、歌詞をなぞったらあたらしく気付いたこともあったりして。
とっても気持ちがよかったです。

音楽の力ってすごいんだなあと改めて思った。
うた、どうもありがとう。

11月に入ったら、本格的に2曲、録っていこうと思います。
って言っても、前と同じく、iPhoneちゃんのボイスレコーダーで、おうち録音だと思うけれど。

一回スタジオに入って録音してみてもいいかもね。マイクとかも借りてね。
まったく知識ないけどね。見よう見まねでね。
影野わかばさんの『まだら』と、自分の曲で『白日夢』。
ほかにも、ワニのいる生活の『わるい夢が去るまで』も、すこし練習しかけたりしたけれど、あんまりよくばりすぎないようにね。

ピアノのほうも進行中、ただ11月21日に難波ベアーズでzoozooseeのライブがあるから、そっちの練習に励んでいます。
ピアノのうたも、はやくうたいたいよー。

いい感じに、うずうずしています。
12月までに二の腕とおしりのたるみをなんとかしようと、きょうから筋トレも始めたしね!
すっごくいそがしい!!気がする!!


あしたのパン屋さんのお仕事をがんばったら、土曜日はお友だちとランチ、夜はわかばさんのライブ!扇町パラダイスだよ!ざっしーも出るみたいだよ!
できたら着物を着てお出かけするんだい。

日曜日は余裕があれば絵のつづきを進めたいな。
鉛筆描きのほうだけでも完成させたい。

ちょっと頭痛と体調不良がこわいけどね。そのときは、そのときだ!


きょうも一日楽しく過ごせました、どうもありがとうね~。
お風呂に入ってマッサージします、おやすみなさい!






2015年10月21日水曜日

ひとり暮らし


同タイトルの谷川俊太郎さんの著書を読み始めました。
これは…、いいなあ、やっぱり、谷川俊太郎さん、だいすきだ。
村上春樹さんのエッセイも読んで思ったんだけれど、エッセイって、いいな。
小説や詩の作品ももちろん素晴らしいけれど、その人の素に近いものに触れられるような気がします。
あ、もしかしてブログも似たようなものなのかな。どうだろ。

きょうは昨日書いたとおり、朝からパン屋さんのお仕事でした。
結果は惨敗…までとはいかないけれど、やっぱり腰にくるな~。
立つ時間が長いのだったり、たくさんの距離を歩いたりは、このあいだの三日間でだいぶ鍛えられたと思っていたのですが、お仕事となると、物を持ちながら立ったり座ったり、物を頭上に上げ下げしたりという動きも加わって、思ったよりつらかった。

ただ、朝の時間帯にしかお会いできない常連さんとも、約半年ぶりにお顔を合わせることができて、ごあいさつできたのがうれしかったです。
半年いなくても覚えててくれてるんだな~、と、感激しました。

お客さんにちょっと変わったおじさんがいらっしゃって、なぜかお店に入ってくるといつも「ぼんじゅ~る!!」ってあいさつをしてくれる、『ぼんじゅ~るおじさん』と勝手に名づけているんだけど、そのおじさんがきょう、何となしに、「仕事やから笑うんじゃなくて、いつでも笑顔でおったらいいらしいで!自分のために笑うんや!好きな歌うたってな!」と言ってくれたのがすごく印象的でした。

最近自分のために歌ってないかも、と思って、帰り道に鼻歌を歌いながら帰ったら、ものすごく笑顔になれました。
お天気も良かったし、気分がものすごく良くなって、歌のちからはすごいなあと改めて思った。

以前に比べると、えがおは増えたんじゃないかなと、思っています。
疲れているのに、無理にわらうことも少なくなった気がする。

いつでもこころのなかに、好きなひとや、会いたいひとが、住んでいること。
ただ、生きていることが、うれしくて、たのしくて、しあわせだと思うこと。
むかしのわたしが知らなかった、地に足を付けたような、どっしりとした確かなしあわせを感じます。

高い高い青空の下、根っこがちゃんと生えているお花が、
秋のそよ風にふかれて、さやさや揺れながら、わらっているよう。

これから長い冬が訪れても、ああ、だいじょうぶだな、と、感じている。
こころのなかに誰かが住んでいることが、こんなにも、養分になるんだなあ、と。

今までと、なにかが、決定的に変わったと感じます。
出会ったひとたちが、あたらしい種をやさしくはこんでくれた。
わたしはまだ、土が豊かになるように耕して、たくさんの栄養をたくわえよう。


ブログ更新も、とりあえずあと十日間は毎日続けようと思います。
いちおう10月は毎日!って決めたからね!
決めたことをやる!っていうのが10月の目標だからね!
(ピアノとお勉強は旅行前後のバタバタで頓挫している)
あしたからがんばろう~

ブログは三日に一回ぐらいがグッドなペースのような気がするな~。
そんなに中身のない人間だからね、まいにちはね、…ちょっとしんどい。笑


きょうもおかげさまで、ごきげんに過ごすことができました。ありがとう。
すこしだけベートーヴェンに傾倒しがちな、秋の土用入りでした。
レコードで聴きたいな。



2015年10月20日火曜日

どしゃぶりの雨の中で



タイトルとはまったく正反対の良いお天気が続いていて、なんなら日中は肌が焼けるような日差しに襲われますねー。
そろそろ雨が恋しいよ、なんて、人間は勝手なことを云う。

きょうはちょっと時間がないので簡潔に。
久しぶりにお布団を干してシーツ諸々を洗いまくりました。
いまお日さまの匂いに包まれています。
気持ちいいなあ、しあわせ。
毎日お布団干したい。

先週末に出掛けていて出来なかった家事をブヮーっとやりました。
掃除機もかけて、部屋が気持ちいいです。

明日、半年振りに、パン屋さんへ朝から出勤します。
朝いちばんめの人は、お店のお掃除から、品出しから、予約分のパンを取り分けたり、朝のラッシュをひとりで捌いたりと、なかなか動きもハードなんです。
7月から復帰させてもらっていたとはいえ、中継ぎの出勤で、これは勤務時間すべて、誰かしらペアがいるので、いざ腰が辛かったり立っているのがしんどかったりするときは、何かしらサポートをしてもらっていたんだけれど。

明日は、その中継ぎのひとが来るまで、ひとりで店番しなくちゃいけないのです。
厨房の人たちも、午前はめちゃくちゃ忙しいから、助けを呼べないし、なんといっても、私が怪我をした時間帯なので、ちょっぴり、ほんのちょっとだけ、びびってます。

まあ、でも、明日を越えられたら、完全復帰と言っても過言ではないし、先週末の三日間、たくさん歩いてだいぶ足腰も強くなったような気がするから、がんばろう!
神のご加護がありますように!

きょうも楽しく過ごさせてもらいましたー。
ありがとう。

十月に入って日課にしていたこと、すこし狂ってしまったけれど、たいせつな旅だったので、気にしないようにしよう、明日からがんばろう。
きょう、ちゃんとこうやって、ブログも書いたしね!

どんどん、楽しみなことが、待ってくれている。
あしたも楽しめますように。

おやすみなさい。



2015年10月19日月曜日

桃太郎伝説



ということで、先週の金曜日から日曜日までの三日間、ほんとにふらっと、岡山に行ってきました。
事前に準備をしまくることで有名ななす子ですが、今回はなんとなく、ノープランで行ってみようと思って、旅行の日数も、どこに泊まるかも決めずに行ってみました。

なかなかエキサイティングな三日間になりました。
ほんと、いろんなひとと出会えて、とても楽しかった。

どんなことをしたのか、どんな人に出会えたのかをざっくりまとめてみたので、もしお時間ありましたらどうぞ。(けっこう長い)

◎岡山旅行記
10/16(一日め)
10/17(二日め)
10/18(三日め)


帰りのバス内では、思ったことを思ったままに書いてみました。
こちらは徒然すぎて収集していない。
文章量が多いので、ちょっと寝かせてから公開しようかと思っています。
(ぐちゃぐちゃのまま公開しても面白いかもだけど)


そんなこんなで、いろんなことを身を以て実験し、体感し、経験できた三日間でした。
また写真は写真でまとめてアップしようと思います。

ほんとうに良い旅でした。
お関わり合いになってくださったすべてのみなさま、ありがとうございました。

ぜひ、またお会いしましょう。


10/25追記
ぐちゃぐちゃのつれづれを公開しました→岡山で思ったこと
自分でも意味がわからないから、なんとなく流してもらえるとうれしいです。



2015年10月18日日曜日

岡山旅行記10/18




◎三日めのこと。

ジュンコさんとは今日でお別れでした。さいごまで爽やかですてきな人でした。
ほんとにご一緒できてよかったと思います。
ちょっとだけ寝坊したけれど、無事お見送りする。(だからスタッフじゃないのに)

埼玉から来られた(お名前聞かなかった)男性ともお話させてもらって、その方も世界一周をしたことがあるらしく、いろいろなところを旅していらっしゃるみたいで面白かった。
その方のことも、オーナー野口さんとともに見送る。
去っていく後姿の、歩くスピードが速くて、さすが世界一周する人は違う、と二人で妙に納得する。

そのあと、イトウさんが雑炊を作ってくれたので、美味しくいただく。プリティなカブにも跨がせてもらう。
イトウさんのことも見送る。もう、『とりいくぐる』のスタッフと思われていてもしょうがない気がする。

オーストラリアから来た女の子、22歳のマーニーとちょっとだけお喋り。
でもお互い母国語しか話せず、片言の英語で会話する。ぜんぜん思った単語が出てこなくて悲しかった。
あー、英語勉強したいなー!!と切に感じました。マイティーチャーイズ、リブインイシカワ!

とりいくぐる』というゲストハウスは、古い肉屋さんの敷地を改装してあるゲストハウスで、奥に肉屋の名残りと思われる大きな冷蔵庫の扉があるんだけど、そこからいきなり女性が出てきてびっくりしたので、面白くてお話を聞くと、冷蔵庫の中をフリースペースのように使っていて、そこで月に一度、編み物教室をしているのだそう。
わたしは独学で編み物をしているから、今まで編み物教室に行く機会がなかったので、興味本位で指編みを体験させてもらう。
いろいろとお話を聞きながら、10分もしないうちにシュシュ完成。
蒼い毛糸の色が綺麗でした。髪がまだ束ねるほどの長さではないので、一日じゅう手首に付けていました。

【NAWATEあみもの部】というイベントです。FaceBookとかにあるのかな?
(見つけられなくてリンク貼れなかった…ごめんなさい…)

あと、講師の岩本まゆみさんのブログにも書いてもらったー。お嬢さんですってよ♪(*^。^*)
ゆっくり編もう。Slow Knit Club

そうこうしている間に、母の友人が車で迎えに来てくれたので、やっと自分がお見送りされる番に。
じつはお見送りされるのって苦手なほうで、どちらかというと、いってらっしゃいを言いたいほうだし、友達と街で待ち合わせて遊んで帰る時も、ぜったいにこちらが見送るシュチュエーションを作るんだけど(わたしが帰る駅まで送ってくれた友人を、改札の手前で「ここでいい」って言って、逆に見送ったりする)、その場所にかならずそのひとが居て、そこから見送られるのって、ちょっぴり、いいなあ、って、思いました。

何がどう、いいと感じたのかは、わからないんだけどね。
角を曲がる手前で、ふと、泊まった場所を最後に見ておこうと思ってなんとなく振り返ったら、野口さんが手を振ってくれていて、すごくうれしかったです。
見送られるうれしさも体感できてよかった。

実は母の友人が岡山に住んでいらして、初日にすこし顔だけ見せに行ったら、気にかけてお食事に誘ってくれたり、お電話をこまめにいただいたりしていたんだけれど、その方も急に仕事が入って戻らないといけないご多忙な方でなかなかタイミングが合わなかったのを、最終日の午前に時間を作ってくださって、その方と、その方の娘さんでツカサさん(わたしより2つ年上)、お孫さんのルナちゃん(ハーフのめちゃめちゃカワイイ女の子!)の4人で、車ですこし行った所にある備中国分寺というお寺に連れて行ってもらいました。
五重塔があるお寺なんだけれど、そこへ向かう道だったり、お寺の周りの風景がもう、美しすぎて…!
田んぼの間にコスモス畑があったり、お天気の良さもあったんだけれど、天国のように心地よかったです。

そしてルナちゃんはまるで天使のようでした。
まだ2歳と半年くらいなんだけど、初めて会ったのに仲良くしてくれて、ちょうど言葉を覚える時期だから、わたしが話した言葉を真似して話してくれるの…!!!
「はい、どうぞ」「あい、どーじょ」のやりとりが超絶可愛くて、ずっとニヤニヤしていました。

ツカサさんは実は高校の先輩で、その時の話もしつつ、いまはオーストラリアに住んでいらっしゃるんだけど、「遊びにおいでよ~!案内するよ!」と気軽に言ってくださって、とてもうれしかったです。
午後から用事があったので、あんまりゆっくりご一緒できなかったんだけれど、ソフトクリームをみんなで食べたり、コスモス畑でお写真を撮ったりと、癒されて帰りました。

午後からは、富士商店近くにある、晴れ間というフリースペースで、坂爪圭吾さんという方の座談会があるので参加してきました。
坂爪圭吾さんという方は、「家がなくても人間は生活できるのか?」っていう実験をご自分でしていらして、おもしろいことをやっている方だなあ~と思ってブログを読み始めたんだけれど、考えることにすごく共感できるし、自分があることを想ったり感じたりしているタイミングで同じことをブログに書いていらしたりと、シンクロ率が半端なくて勝手にファンだったので、いつか生で観てみたい!と思っていたのでした。

うーん、いろいろ難しいなあと感じたり、難しくしているのは自分自身だなあと感じたり。
坂爪さんやMAYUさんと、座談会で話したかったんじゃなくて、ただお友だちになりたかったのかも知れない。
同じことを同じように考えていて、とてもうれしい、と、伝えたかっただけなのかもしれない。
それはきっと、あの場で、人の前で伝えることじゃなかったのかな?と思いました。
詳しいことは割愛します(思ったことはこちらにぼやっと書いた)が、総じて楽しめたのでよかった。
晴れ間・オーナーの雅人さんともすこしお話をさせてもらった。とても瞳が綺麗なひとでした。

そのあとに、農業を研究しているという女の子とお話しました。
彼女、大学院生のアヤコさんは、座談会の質問コーナーみたいなときに、面白いことを聞くなあ、と思って興味を持っていたので、お話できてうれしかったです。
株式会社いぶき』という企業で、農業関係のいろいろな取り組みをされているそう。
お話に出てきた、スピリチュアルな角度からみる農業ってなんだろう。めっちゃ興味あるなあ。
アヤコさんも、また岡山来たときはお会いしましょう~と言ってくれて、とてもうれしかった。


岡山駅へ向かう途中、初日に行ったパン屋さん『Boulangerie Douyama』にもう一度行ってパンを買う。
クロワッサン、至福。『ふさやベーカリー』の軽いバターの感じとはまた違って、どっしりして艶があって、美味しかった。
甲乙つけがたいな…ギリギリふさやベーカリーかな…。

初日にも遠目から目撃したんだけれど、夕方、岡山の駅前上空に、鳥が何十羽も集まって飛んでいるという光景に遭遇。
変わっていく空の色と細い月を眺めながら、三日間、いろんなことがあったなあ~と、思いました。


バスで大阪に戻って、二日ぶりの梅田駅。
いままでと違う心境に、自分でも驚きました。

この一年、東京や石川、九州、札幌に滞在してそこから帰ってきたとき、もちろん楽しかったのに思った以上に疲れていたり、滞在先の人のことをものすごく恋しく思って、大阪での生活が辛く思うときもあったんだけれど。

今回は、帰ってきた途端、
「よっしゃー、わたし、いまめっちゃ生きてる!!がんばるぞー!!」
って、なんだか、うずうずしてしまって。

足が痛いのも、荷物が多いのも、うまくいかないことがあったのもぜんぶどこかに行って、
あしたから、もっとがんばろう、って思えました。

旅先で出会った人のこと、いまは不思議と、恋しいと思わない。
ただ、またかならず、会いに行こう、って、思う。
ほんとうに、いい旅をさせてもらえたんだなー、て。
ぜんぶ、まわりのみなさまのおかげだなあと、心から思います。


書き切れなかったこともたくさんあるんだけれど、
出逢えたみなさま、お関わり合いになってくださったみなさま。
本当に本当に、ありがとうございました。
またね!!



おしまい。


追記:

今回の旅で、最後まで、どの人とも「また会いましょう」と言ってもらえたの、すごく嬉しいことだな、と感じました。
「またね」「また来ます」「また帰ってくる」って、ツアー先だったりそこで出会ったいろんな人に約束したの、ちゃんと覚えているし、約束を守りたいと、ずっと思い続けてはいるけれど、みんなにとっては、どうだったんだろう、いま、どうなんだろう、と、たまに思うことも、やっぱりあるんです。

うーん、ライブをしに行く、って、何なんだろう?どういうことなんだろう?と、ちょっと思いました。
いま、どこかの土地へライブをしに行くことはないし、多分これからしばらくも機会がないと思っているんだけど。

音楽を続けること、ステージに立ってライブをすること、どこかの土地へ行くこと、それからもっともっと、沢山のこと。
ぜんぶ、経験として、いまの自分の中にあって、そして、いまは、どれも選んでいない。

いまは、必要じゃない。
いまは、もっと大切なことがある。
そんな気持ち。

だからといって、一人一人のことや、たいせつな仲間たちのことを、忘れたり、嫌ったり、もういいやなんて、思っているわけなんて、決してないんだよ、と、伝えたい。
決して、感謝の気持ちがなくなったわけではないんだよ、と。



ふふ、いまのわたしには、伝える術がないね。
すべての人のことを愛していると、伝えるのには、音楽をやりつづけるしかないのかしら。
人前に立ち続けるしか、ないのかしら。
それ以外に、伝える術は、ないのかしら。

(そもそも、「伝えようとすること」と、「ずっとそう思っていること」、どちらが大切だとか、いいとか、わるいとか、あるものなのかしら。)
ステージに立ち続けることを選ばなかった・選んでいないわたしは、みんなの目に、どういうふうに、うつっているのだろう。


なーんてね!ちょっぴりシリアスになったけれど、それはまたのお話し。


長いのにいつも読んでくださってありがとう~。
いつ、どんなふうに出会った人とも、どこかで、また会えると良いね。
みんなおんなじ、地球の上に住んでいるんだものね。

みんな穏やかで、元気に暮らしていますように。


2015年10月17日土曜日

岡山旅行記10/17




◎二日めのこと。


案外早く目が覚めて、朝の支度をして、お仕事に行かれるジュンコさんをお見送りに。
物静かなお姉さんこと、鳥取出身のヨシエさんも同じくお仕事関係で一泊されていて、すでにリビングで朝食をとっていたので、朝から女三人で濃密な時間を過ごさせてもらう。
やりたいことの話とか、どこそこの景色がきれいだよ、とか、いろんなお話しをさせてもらった。

やー、やっぱり、年上の女の人って、すてきだな、って、しみじみ思いました。
パン屋さんの先輩から始まり、音楽関係のお知り合いなど、わたしの周りにいるひとたちが、とくにみんなすてきなひとばかりな気がするけれど、またまた出会っちゃいましたー。うれしい。
仲良くさせてもらって、また会いましょう、と言ってくださって、とてもうれしかったです。
徳島も鳥取も、ぜひ遊びに行こうと思いました。

お二人をそれぞれ見送って(なぜか宿泊客なのにスタッフさんと一緒にお見送りした)、リビングに下りてきたバックパッカー男性と、一緒にお見送りしたスタッフの野口さん(なんとこちらのオーナーさんでした!笑)とお話させてもらう。

貫禄ある佇まいのオーナー・野口さん(目力アリ)は、一つしか歳が変わらなくて、すごく大人にみえたバックパッカー(とくにバックパッカーというわけではなかった)のキヨさんはなんと同い年…みんな落ち着きすぎやろ!わたしなんか、わたしなんか…!!!もういい!!(;_;)
と凹んでいる暇もなく、ゲストハウス創立の秘話なんかを聞かせていただいて面白かった。
自分に添う物事には、やっぱり自然と導かれるものなのだなあと思った。

そうこうしている間にカズくんや宿泊のお客さんがどんどん出発されて、またまた関係ないのにお見送り続ける。
10時過ぎに、ちょうどキヨさんもご出発だったので、やばい…最後の一人になってしまう!と思って、一緒に出発して駅へ向かう。
きのうは夜に通った奉還町の商店街、朝は朝で賑わっていてなかなか面白くて好きな感じでした。

楽しくお喋りしながら、もしタイミングが合えば後ほどご一緒しましょう、と岡山駅で別れて、わたしは倉敷へ。
電車から見える田園風景、きらきら揺れる稲穂がとても美しくて、思わず泣きそうになる。
ちょっと石川の友人が恋しくなった。

倉敷は初めて訪れたんだけど、個人的には美観地区よりも、そこへ向かう途中の商店街だったり、すこし町はずれの風景だったりが好みでした。
古い看板とか、お土産屋さんじゃない民芸店とか、エトセトラエトセトラ。
商店街のガラクタ屋さんに、めっちゃいい感じの着物の帯があって、800円…悩んだ末、荷物が増えるのを嫌って買わず。
焼き物屋さんもたくさんあって、すごくすてきなお皿もカップもたくさん見たんだけど、一つ買うとあれもこれも!ってなりそうだったので、何も買わないことにしました。
ご縁が無かったのかな、ってことでお別れ。(でも目の保養になった、ありがとう)

倉敷では『cafe mugi』っていうパン屋さんに行きました。
あんまりおなかが空いていないときに行くパン屋さんほど楽しくないものはない…わたしとしたことが、買ったパンの種類を忘れてしまった…。
たしか、いま個人的ブームの全粒粉を使ったパンだったと思います。美味しかった。

その近くにある、その日宿泊しようと思っていた場所がちょっと肌に合わなさそうだったので、二日目も、とりいくぐることにしました。
土曜日だったからほぼ満室みたいだったけど、なんとか空いていてよかったです。

それから、岡山を観光し終わって倉敷へ来られたキヨさんと待ち合わせて、さらにぶらぶら歩く。
ひとり旅をされているくらいだから、個人行動のほうが気が楽なんじゃないかしら、思ったところを思ったように回れないのはイヤなんじゃないかしら…、なんて思っていたんだけれど、楽しんでいただけただろうか?

旅先で出会った人と行動を共にすることなんて初めてだったんだけれど、わたしとしては、ひとりで入るには勇気のいる、ちょっと怪しい雰囲気の喫茶店『エルグレコ』にも、二人なら!と思って入ることができたり、目に入ったものの感想を言い合えたり、他愛なくお話するのも楽しくて、二人の時間をものすごく楽しませてもらいました。

ひとり旅をして、身軽に気軽にいられると、こういう出来事もあるんだなあ、と思っておもしろかったです。
この感覚、日常に取り入れてしまってもいいんじゃないかと思った。

屏風祭りや地域のお祭り(お面をかぶったオニにウチワで頭を叩かれたら、頭がよくなるそうです。基本子供しか叩かないみたいなんだけど、逆に子供が扮したオニに叩かれたりでたのしかった)があったり、すてきな本屋さんにたまたま出会ったり、道端にネコがいたり、裏山がお墓だったり、面白マンホールに突っ込みを入れたり、いろいろ楽しかった。

それから岡山へ戻って、気になるパン屋さん『エスプレッソ・ザ・マーケット』でパンを買って(閉店間際でパンがあまりなかったのがちょっと心残り…スコーンが美味しかった!)、キヨさんの新幹線の時間まで成田家という地元の居酒屋さんへ(ビ、ビールしか飲んでないよ!)。
湯豆腐と鶏酢、アジのタタキが美味しかったです。いろいろご馳走になってしまってありがとう…!!

そこでもいろんなお話ができてたのしかった。
東京でお仕事をされているそうで、東京に来たときはまた会いましょう、と言ってもらえてうれしかったです。

キヨさんをお見送りして、ほろよい気分でとりいをくぐる。
部屋に上がるとジュンコさんが戻られていて、一緒にリビングへ。
土曜日だからか、前日よりもたくさんの人がいました。

そこではイトウさん、という男性とお話しをさせてもらった。
クリトリック・リスと元同僚という、ほんとどこで誰と繋がるかわからなくて面白い~!の典型、でした。
カブに乗って旅に来られていたそうです。お天気が良いから、バイクの旅も気持ちいいだろうなー。
お休みの日にはバイク仲間とキャンプに行ったり、しまなみ海道を走ったりするそうです。
(今回の旅、しまなみ海道の話が良く出てたな、さすが瀬戸内)

わたしも、せっかく中型免許を持っているのに10年近く乗っていないから、ひさびさにバイク乗りたいな。
誰か450ccのバイクでツーリング誘ってください(バイクは貸出希望)。
とか言いつつ、ビビリなので、よう運転しない気もする。笑

その日は消灯しても、ちょっとだけ起きてSNSしたり、出会った人と連絡したりで夜更かし。
そろそろ肉体が悲鳴を上げそうだったので、ありったけの湿布を貼って眠りにつきました。
夢は見なかった。



三日めにつづく。

2015年10月16日金曜日

岡山旅行記10/16




◎一日めのこと。


梅田からバスに乗って、西へ向かう。
お天気も良くて、ちょうど一年前のツアーと時期も同じだったので、高速道路から見える景色が懐かしかった。
しばらく景色を楽しんでいたんだけれど、気付けば涎を垂らしながら眠っていて、お昼すぎに岡山駅に到着。
そのまま、駅前の噴水を堪能?して、駅の東側を散策。さびれた商店街や呉服屋さんは健在でした。

2010年10月7日(あまりにも日付が記憶になくて調べました。笑)に岡山で桜重奏のライブがあったとき、時間があってひとりでぶらぶらしていたんだけど、そのときにたまたま見つけた変な廃墟?みたいなお店がまだそのままあったので懐かしかった。
水タバコのお店なのかな?

そのまま去年、2014年10月のいったんぶとのツアーの時に行き損ねたパン屋さんへ行こうと思って、image方面へ歩いていくと、気になるパン屋さんが…。
寄り道しそうになりつつ、まずは目的を果たそうと、図書館の近くにある『ふさやベーカリー』というパン屋さんに行く。
思ったよりローカルなパン屋さんだったけれど、クロワッサンが驚愕の美味しさでした。
自分が働いているお店のももちろん美味しいけど、やっぱその店その店で味が違って美味しいなあ~。

食べ歩きながら、やっぱりさっき通ったパン屋さんも気になって行ってしまった…そして出会ってしまった…今回の旅のベストベーカリー、その名も『Boulangerie Doumae』。
そこではチョコ生地の中にナッツとイチジクとドライフルーツがわんさか入ったパンと、焼き立ての抹茶あんパンを購入。
ベリーのスコーンをオマケしてもらって大満足、パンもめちゃくちゃおいしかったです。

ぶらぶら歩いて富士商店へ。今回は買い物をしないと決めていたので、店内を見るだけ。
もうあの旦那さんはお店に立たれないのかしら…奥さんらしき人は着物を着ていてマネキンみたいだった。ちょっとこわかった。
去年行ったときお向かいにあった、ジャム屋さん?みたいなのがなくなっていて、ちょっと残念でした。

後楽園へ渡る橋の手前、左側の細い道を行くと、たしかオープンカフェみたいなのがあったなあと思って行ってみたら、違うお店になっていました。ハンバーガー食べたの、5年前くらいだから、お店も変わって当たり前だろうと思う。
moyau』というカフェ。川を眺めながら本棚の本を読み放題、という夢のようなカフェでした。
店主さんお気に入りの喫茶店の豆を使ったコーヒーが美味しかった。
お店の女の子の、はにかみながら接客してくれる姿が超絶可愛くて、思わず結婚して欲しいと思った。

たくさん面白そうなのがあったので、本でも読もうかな~とか思ってたんだけど、案外、店内の音楽を聴きながらぼけーっとしているのが心地よくて。
岡山のグッドなお店を紹介している本をすこし読む。
あとはほんと、ぼけーっとしてました。

窓ガラスに留まるちいさな虫を眺めたり、お魚を捕ろうと奮闘する鳥を眺めたり。
最近ちょっとずつ、ぼけーっと上手になってきた気がしてうれしいです。

夕方は街の西のほうへ移動。
今回は宿泊すらノープラン(こんなこと人生で初めてレベル…!)で、どんなお宿があるかは一応調べて目星はつけていたんだけれど、現地に行って雰囲気のよさそうなほうで決めようと思っていました。
駅から近いひとつ目のお宿がちょっとワイワイした感じで、できれば静かな場所で過ごしたかったので、奉還町の商店街を抜けてすこししたところにあるお宿へ。

着いたのは、『とりいくぐる』という名前のゲストハウス。入口に、ほんとに鳥居があるんです。
そこから中を覗くと、まあ、雰囲気のよさそうな中庭と、建物が。
一目惚れで此処に決めて、宿泊のお願いをさせてもらいました。
目力のあるスタッフさんがご丁寧にいろいろと説明してくださいました。

ロビーというのか、リビングというのか、泊まる部屋の下に宿泊者がくつろげるスペースがあって、そこでヒッチハイカーのカズくんと仲良くなる。
愛知出身、なんと19歳!(19歳って、10も歳が離れているんだ、という事実に驚愕)
いろいろヒッチハイクのお話を聞かせてもらう。ヤクザの車に乗った話とか、知らない人のお家に泊めてもらった話とか、日常では聞けない話が聞けて面白かった。

そのあとにチェックインされた女性もまたすてきなひとで、その方ともたくさんお話をさせてもらいました。
つねに笑顔で、すごーくナチュラルな感じで、お話ししていてとても心地が良かった。。
ご自身のことを話される時も、自然にお話されるし、すこし年上のお姉さんなんだけど、こんな女性になりたいと憧れました。
その女性、ジュンコさんは、お仕事の関係で三日間滞在するらしくて、徳島から来られたそうです。

それからも続々といろんな方が来られて、バックパッカー風の男性とか、物静かなお姉さんとか、あと、『流しのCD屋さん』という変わった職業の変わったオジサン(の姿をした妖精さん)が来られて面白かった。
妖精さんこと岡本さんは、行商でCDを売ったり、イベントを企画したり、いろいろ面白そうな方でした。
その方の企画がこちら。面白そうなので、ご興味ある方はぜひ。
おかやまコンテンポラン

もうほんとうにいろんな人がいて、楽しく過ごしていたらもう就寝時間。
12時消灯と決まっているので、いそいで寝る支度をして、眠りにつきました。

ゲストハウスと呼ばれる場所に、初めて泊まったんだけど、すごく刺激的だなあと思いながら、ちょっと興奮してなかなか寝付けなかった。眠ったら眠ったで悪い夢をみて、布団を蹴っ飛ばしていた。
下着姿で寝ていたからちょっと恥ずかしかったです。



二日めへつづく。

2015年10月15日木曜日

ALL MY LOVING


ここ数日ばたばたと忙しくしてしまって、いまもなお、ばたばたが継続中なんだけど、
ちょっと一息入れています。カフェモカばっかり飲んでいる。
(ちゃんとカフェインレスのコーヒーです)

火曜日、zoozooseeのスタジオ。毎度毎度、たのしい。
今回は新しい曲に着手したんだけど、即興の息遣いを残しつつ構築していくというのは難しい作業で、
わたしなんかはすぐに思考の坩堝に嵌ってしまって動けなくなる。
深呼吸して、そのときに感じたなるべく自然な音を出せるように、まだまだ修行が必要です。


水曜日、お仕事のあとで、だいたい半年に一回しか会えないひとにお会いしてきました。
もう、何年お付き合いさせてもらっているんだろう?
むかしお世話になっていたひとで、いまだに可愛がってくれる、すてきな紳士です。
秋ですこし感傷的になられていたのか、ひっきりなしに、もしわたしが結婚したら、
披露宴で泣くかもしれない、とかいうお話をしていた。(前もしていた)

毎回いろんなお話をお伺いできるので、とても刺激をいただきます。
音楽にもとても精通されていて、いつも輸入させてもらっている。
(この日はアルフレット・ハウゼ、ソニー・ロリンズ、ペレスプラード楽団、などなど。
サラ・ヴォーンのように、また掘り下げていこうと思う)

疲れたときに、たまに、ワニのPVをYouTubeで観てくださっているそうで、
それを観て、わたしに会ったような気持ちになってくださるそうです。
ご年配の方でも、そういう観方をしてくれる人もいるんだなあと、
音楽をやっていてよかったなあ、すてきな仲間と作品を残せて本当によかったなあと、ちょっぴり感動しました。

ふしぎなご縁で、ふしぎなお付き合いをしてくださっています。
わたしは、親のように、人生の師のように、想っているけれど、
たまにちょっぴり、恋人のように、はたまたフレンドリーな友達のようにもなれる。
この方とも、こころの深いところで、繋がれているんだなあと、感じた夜でした。

やはり、とてもあたたかだった。
そういう関係を築かせてもらえて、ありがたいです。

ちなみに、この夜お会いできたお久しぶりの方々に、「女らしくなった」「綺麗になった」と言っていただけて、
わたしは大変調子に乗っていますよ。(ドヤー)


木曜日、きょうはお仕事のまえに、わかばにゃんとデートしてきました。
お昼間に会うのがはじめて?なのかな?
なんだか新鮮な気分でお話もはずんで、あまりしない恋愛の話やら、女の話を少々。
あとはずっと音楽のお話。止まらずにずっとお喋りしてとても楽しかった。
彼女のあたらしい企みに、こっそり出現させてもらうかもしれません。

いつもいつもたくさん刺激をもらえる。
なんてことない、他愛のないお話をしていても然り。
だいじな言葉を、だいじなタイミングで受け取らせてもらえることが多いです。


お仕事が終わって帰宅して(しかも忙しかったんだー!)、いまちょっぴりへとへとになりつつ、
あしたからの旅の準備をしています。

ふらりと、岡山に行こう、と思って。
金曜日から三日間の予定です。
日曜日にはとてもたのしみな、わたしのなかでの英雄と、お会いできるというイベントが待っている。(しかもほんとうに、偶然に)

こんなかたちで夢が叶うとは。
生きていると何が起きるかわからなくてたのしいですね。

とりあえずお風呂に入ってリフレッシュしてきまーす。
きょうも一日、たのしく過ごせました、ありがとう。

みんなおつかれさま。おやすみなさい。



2015年10月14日水曜日

鉄格子

きょうは本気で時間がないので、ブログはお休みだー!
きのうもスタジオ楽しかったです。
今夜は年に2回くらいしか逢えないひとに会って来ます。
あしたはわかばさんとデートです。
明後日から岡山に行って来ます。
わっしょい祭りです。

なんだかバタバタしています。
きのうのブログも、途中で文章書きかけなのに気付かず投稿しちゃったや。
クオリティは気にせず、毎日更新が目標なので大丈夫か!わっしょい!

眠気もどこかに行ってくれたみたい。
引き続きお仕事がんばって、夜は楽しんできます!
(ビール以外飲まない…ウイスキーは水割りにする…)

2015年10月13日火曜日

その男ゾルバ

ハローハロー、きょうは夜にスタジオがあるので、眼科待ちの時間を利用して更新です〜
朝から差し入れのお菓子を作って、いまはコンタクト屋さんに来ています。
いまから図書館に行ったのちデータ入力のお仕事をして、そのあとスタジオ練習に行くという、
腰を痛めてからは初めてなんじゃないか、というくらい用事の詰まったハードな一日です。
がんばれ〜お腰さま〜

きょうのお菓子は、全粒粉を使ったラズベリーのマフィンを作りました。
もしかしたら全粒粉の割合が多かったかな?冷めたてを味見したんだけど、
ざくざくとしていて、ちょっとだけカントリーちっくな(田舎っぽい)お味になった気がします。
やっぱりスコーンとかクッキーみたいに、固めの焼き菓子のほうが合うのかも。
具材もナッツとか使ったお菓子にしてみたらもっと美味しいかもしれない。

パウンドケーキでも試してみたいし、まだまだ研究の余地がありそうです。
家族をはじめ、メンバーのみなさまはいつも実験台になってくれてありがとう〜

図書館では何を借りようかな〜
こないだ借りた中では村上春樹『ダンスダンスダンス』の上巻が安定の面白さ。
その前に借りた、ヨーロッパでの旅を綴ったエッセイに、
『ダンスダンスダンス』がその旅の間に書かれたとあったので読んだんだけど、
続きを借りるためにわざわざ図書館へ行こうかとちょっと思ったくらい。
あとは、浄土真宗の本、アーユルヴェーダの本(興味があって勉強したいんだけどイマイチ合わない)、
実家の片付けの本(事例と違いすぎたけど参考にはなりました)、暮らしにまつわる本(少ない物と、
最近好きな家入一馬さんの『15歳から、社長になれる』っていう本。

この家入さんの考え方が好きで、刺激をいつも受けているんだけど、
この本には10代で起業されている若い人たちのことが載っていて、
衝撃と刺激をたくさんいただきました。
まだまだ続けて著書を読みたいと思います。


診療が終わったんだけど、目が悪くなっていてびっくり。
これ以上悪くなったらどうなっちゃうんだろう…眼鏡も新調したいのに、
牛乳瓶底のようなレンズになっちゃったら、どうしよ??
とりあえず図書館に行ってきまーす!!!
スタジオも楽しんでくるぜー!!

2015年10月12日月曜日

だってしょうがないじゃない



とつぜんですが、秋服いりませんか?
昔の服はけっこう処分したんだけど、まだ残っていたものがすこしあって、
気に入って着ていたのでただ捨ててしまうのが勿体無くて、困っています。

◎虎柄コート


下手したら十年以上前から着ている服です。
高校が私服の学校だったんだけど、三年生の学生証の写真、これ着て写ってるからなあ…。
布ベルトもついています。結ぶとちょっとバスローブみたいになる。


◎花柄ワンピース


これはかの有名な、モルグモルマルモのPV『タクラマカン砂漠』で、ヒロインの女の子が着ていて、
「あっ!これ持ってる!!」ってなってびっくりしました。



お友だちがフリマで売ってくれて、気に入って長いこと着てたなあ。
後ろに赤と白のストライプ生地のリボンがついていて、結んで着ています。

ちなみにワニのいる生活MV『アメリカンガール』でも使ってます。
2番のさいしょ、西岡君に水をかけている女の子が着用したものです。


ばんちゃんファンは是非。笑


◎茶色のドルマン

こんな柄、どこで買ったんだ…といつ見ても思います。
こちらのドルマンスリーブの服はちょっとした思い出があって…。

4、5年くらい前かな?ロデオホドリゴっていうバンドの、
ベースのしぶちんさんが抜けちゃう記念のライブイベントにお呼ばれして出演したときのこと。

主催のロデオホドリゴの演奏も終盤、ギターボーカルのはじめさんがテンション上がってしまって、
フロアに下りて、会場で作った自家製豆腐を巻き散らかしたのが見事にヒットした伝説のお洋服です。
(もちろん綺麗に洗いました)


もしかしたら、お豆腐の妖精さんに護ってもらえるかもしれない一着です。


◎やくざ柄ドルマン

この柄もどこで探して買ってきたんだろう。笑
えげつない柄しています。しかも起毛になっていて、ラメもいっぱい入っている。
誰に似合うのか想像も出来ない一着です。


これはどの妖精さんもついてないかな。
でも大阪のチンピラが護ってくれそうな柄です。


以上四点でした。
SNSでも何人かに声をかけているので、早い者勝ちになっちゃうけど、
もしご興味ありましたらご連絡くださいね。


この頃はめっきり柄のものを買わなくなったなあ~。
いままで柄のお洋服が大大大好きで、コーディネイトも柄×柄on柄とかよくやっていたんだけど。
(テジナの黒ちゃんは密かに『ガラガラ仲間』と呼んでいた)

柄のお洋服って、感性で選んだり組み合わせたりしている感じがするけど、
最近はパッと見の派手さより、生産地や素材をチェックして、手触りや着心地が良い服を選ぶようになりました。
おなじく若い頃やはり派手好きだった歳の近い友達とも共感し合えて、ちょっとうれしかったりする。

服だけにとどまらず、ちょっとずつ価値観が変わってきたような気がします。
髪の毛だってこの一年は染めずに、キューティクルを大切に労わっているしね!
(ただ思ったよりも地毛が黒じゃなくてショック…日本人形みたいなロングヘアー目指してるのに…)


ああそうか、髪を黒っぽくしてからもう一年経つんだなあ。
ちょうど去年の十月に、いったんぶとツアーに行って、ミナホに来ていたテジナのお手伝いをしたりして、
それから、ワニの活動休止を発表したんだっけ。

早いなあ。もう一年かあ。
去年の年末、ワニの最後の企画のディナーショーへ遊びに来てくれていたお友だちが、
ちょうどそのころ妊娠がわかって、この夏にはママになったんだもんね。


休止したての今年の始めは不安でいっぱいで、
それに追い打ちをかけるように怪我なんかもしてしまって。
今年を(あとまだすこしあるけれど)振り返ってみると、どんな一年だっただろうね。
いましか出来ないこと、しっかり出来ている…のかな?だいじょうぶかな?
自惚れたり、見落としたり、していないかな?
まだまだ自信がないなあ~。

ただ、はっきりと言えることは、
いままでの人生において、どの瞬間も、
そのとき、その自分にしか、できなかったことだった、ということ。

そのことを、いまの自分がどう思うか。
そしてこれからに、どうつなげていくか。
それが一番大切なんじゃないかな、と、思っています。

というより、いまの自分に、ぜんぶつながっている。
自然と、そう、感じています。


疎遠になっていた人と思わぬ再会を果たしたり、
いろんなご縁が廻って、ほんとうにいろんなことがあって、
いま、大切な人と、こうしていられること。

ぜんぶ、だいじだなあ、と。
はっきり受け取っている。

だから、最近は毎日、ありがとう、って、思います。
一時はつらいこともあったけど、乗り越えられたね、よかったね、って、思います。
昔みたいに、和田アキ子聴いても、あんまり悲しくならない。

(そういえば悲しい歌の聴き方も、ずいぶん変わったなあ)


きょうも一日、楽しく過ごせました。
あしたはzoozooseeのスタジオ~お菓子なに作ろっかな~

久しぶりにピアノの基礎練習したから、鬼のようなフレーズで攻め立ててやるぜ!
指が攣らないように気を付けまーす!


それでは!ごきげんよう!




2015年10月11日日曜日

トロイメライ



きのう、きょうと、体がすこうし、にぶく感じます。
今朝は三連休のまんなか、白い靄のかかった誰もいないオフィス街を自転車で通り抜けて、
羅針盤のソングラインを聴きながら冷たい風を切って走って気持ちが良かった。

どうしたんだろう、濁っている。
こんな日もある。ちょっとお疲れなのかもしれない。


そろそろ歌詞になりそうなものが、ぽつぽつと出かかっています。
でもまだだな、言葉を綴ることを受け入れられていない感じがする。
ただ、はやく飛び出したくて、うずうずしているのも静かに感じている。
いつ噴火するのかわからない火山のように。

それはふとした瞬間に、(たとえば今も)、
じわりじわりと、やってくるのかもしれない。
溢れ出て行こうとする感情に委縮して、体がこわばっている。

そんな気配を感じます。

きょうは文章がうまくないな。





悪夢は黄泉から這い出てくる。
不躾に、とても厭らしく。
彼に携わる感情も、常に私の手中にあるのです。

だけれど、もう一度あの掌に触れられたら?
『目に見える』やさしさを纏った腕に抱き締められたら?

私は蜘蛛の糸に掛った哀れな虫のように捕食されるのだろうか?


忌まわしい記憶の蓋と理性の箍が外れたとき、真っ白な肌はきっと身を滅ぼす。
それは悪夢でも何でもない。
渇望ですらない。ただの事実。
ただの事実に足を取られて、背後から刃物を突き付けられ脅迫されている。

なんて、すこうし、被害妄想が過ぎるかしら。

もう二度と、こちらからは近付かないほうが良い。
次は冷え切った手足が餌食になるだけでは済まされない。

その時は音もなく地獄へ堕ちるだけ。
なにもない、なにもかもなくなるだけ。
羽根をもがれて跡形もなく、粉々に咀嚼されるだけ。


それをはっきりと言葉にして、認識したかったのでした。
個人的な独白。
つらくもなんともない。
ただの現実。
こわくもなんともない。
私はもう、ひとりではないから。


なんだかこわい感じになっちゃったにゃあ~
無意識に、ちょっぴり不安に思うことがあるんだろうにゃあ~

まあ、ほんとはそこまで重大に考えていないんだけどね!
ある物事を、シリアスかつ歌詞のネタになるような角度でとらえてみました。
はやく歌詞を書けるようになるための、文章と視点のリハビリでやんす。

からだが鈍っているのは確かだけど、
あしたはお休みだから、気分転換できると良いね。

うにゃ~、わかばさんに会いたいよ~!!




2015年10月10日土曜日

がれきの空



そこに在る筈のものを無いものとして扱うのはこんなにも神経を使うんだなあと、
ただ眼鏡ひとつを無視している私は、今日はとても疲れました。

どちらかというとネガチブではないと思う。
運動後の心地良い疲れに似ている。
だけれどもすこし、消耗もしている。
シチューをフォークとナイフで食べているような違和感。
肉体は疲れている。精神はおかしな次元へ行っている。

本当のことを言うと今日絵を描いているときにあまり集中できなかったのでした。
欲していた、自分との対話は未遂に終わった。
届きそうで届かないもどかしさ。
そこに在るのはわかっているのに、透明白な靄がかかって辿り着けなかった。

雑念の波に襲われて、どの色を選ぶにも迷いがあったような気がする。
でも逆に発見したこともあって、総じてだめなことばかりじゃなかったので、それもまた良しとします。


きょうは何とも言えない躰だなと思う。
心は乳白色の薄い殻に、心地よく納まっている。

躰のことを言うと、この頃は衝動や欲求が全てではなくなって、
一度体験してしまえばわかると思うんだけれど、
物質的な交わりは二の次になって、精神的な交流が一番心地よく感じます。
そして心地よいことが、晴れやかな秋の空のように清々しく気持ち良いことも。

残念ながら肉体に相性というものが存在する以上、
快楽だけを求めれば、別に想った相手でなくても良いのかも知れないし、
興味のある分野や嗜好を拒否し合う関係は悲しいだろうなと思っている。
もちろん一番好きな人とすべてが合致する喜びは半端じゃないけれど、
躰に快楽のすべてを持っていかれると、自分が空っぽになってしまう感覚に陥る時がある。
というより、多分そうなんだろうな。
その感覚が欲しくて故意にそうする時もあるけれど、あんまり健全なことでは無いのだと、ぼんやり思いました。

それもこれも、つい最近、ある友人と精神的な交わりを体感したからだと思う。
三十年近くも生きていると色々、躰自身も知っていることが、沢山増えてくるのだなあと、しみじみ思った。
独り身の辛さも、それと向き合う手段も。


いまの自分が必要としているものは、こころの繋がり、
一朝一夕では築き上げることのできない関係性との交わり。
長い年月、この距離感で関わってきたことが、今日に結びついていると思うと、すべてに於いて感動しかない。

友情や恋愛や一般常識のどれにも照らし合わすことのできない関係性。
今までにない、不思議な気持ち、あたたかな気持ちになれる。

友達以上、恋人以上、家族以上、とは、
自分でもよく言ったものだと思う。

遠くに、そんな心地よい繋がりを持つひとりの人間が生きて存在すること、
心から幸福に感じながら、日々を過ごしています。


今日みたいに、躰がぼんやりしている日には、
そんなことを考えてみました。

ひとりはふたり、ふたりはひとり。
お互いの空を見つめ合う。

お互いの空に浮かんでいる月を、
それぞれの日常から、見上げている。

ずっとそのような関係でいたい。
もしかしたら、交わりも触れ合いも、永遠に必要ないのかもしれない。
それでもいいと思える。お互いがそれを心地よく感じるのなら。


羅針盤が沁みる夜です。
こんな気持ち、初めて生まれる。

はやく、皆に会いたい。
皆に会いたい。



2015年10月9日金曜日

ただいま



きょうは久しぶりに6時台に自然に目が覚めましたー。
ただそろそろ、お布団から出たくない病が発症する季節なので、ばっちり二度寝もしました。
むしろ二度寝するために、二段階で目覚まし、かけるよね?ね?

空気の乾燥が顕著になってきて、すこしだけ喉が痛いです。
声が掠れているときは高音を出すのが難しくなるけれど、
普段出せないような低音を出すことができるので、それはそれで楽しい。
いつも練習している歌を、キーを下げて歌って、違った表情を付て遊んでみたり。
(でもやっぱり喉が痛いことに変わりはないよ。笑)


まいにち贅沢に、それはそれは贅沢に、
自分のためだけに時間を使わせてもらっています。
自分のことを、見つめること。自分と対話すること。
今しかできないなことだなあと、心から、思います。


きょうは、きょうしかできないことができた。
自分のなか、深く潜っていくこと。

自分の気持ちや今までのこと、
これからのこと、やりたいことなど、
いろいろなことをひとつずつ整理していってるんだけれど、
ふと、すごくやさしい気持ちになれました。

自分の成すすべてが、表現だ、と思えたこと。
自分を成すすべてが、表現だと、思えたこと。

自分で自分を認めることができた。
その瞬間、ふっと、軽くなって、
あ、いま、解き放たれたなあと、感じました。

一気に、世界が広がった気がした。
すべてのことに、つじつまが合って、
何にも無駄なことなんて、ないと思えた。


ああ、自由だな、
わたしは何者でもない。
わたしは、わたしだ。

そう思えたときに、自然と、
「おかえり」と言っている自分がいた。

ずっと待っていたよ、
ずっとずっと、待っていたんだよ。


知らない間に旅に出ていたわたしは、
きょう、わたしのなかに、帰ってきたみたいです。


…なんて、超抽象的な話をされてもまったく意味が分からないと思うんだけど(笑)、
そこは想像力を鍛えられていると思って、軽く読み流していただけると幸いです。


なかなかどうして、すべての物事はちゃんと意図されているようです。
このまま、ひとりの時間を大切にして、もっと対話を続けよう。
もっと深く潜っていった先には、どんな自分が待っているのか。

そしてその作業には、絵を描くことが必要なんです。
いまのわたしには、はっきりと、絵を描くことが必要だった。


自分で、自信を無くすようなことを、ずっとしてきた。
甘えや依存、自分のやることに責任を取らないで生きてきた。
他人の評価や表面的なことに囚われて、何一つ生み出せていなかったし、
自分のことばかり考えて、自分しか守っていなかった。
それももうすぐ、終わりにします。
わたしなら、それが出来ると、そう思えた。

何がかはわからないけど、まだまだいけるなー、と、感じた一日でした。
今日が今日で本当に良かったと思う。
まいにち、有難い気持ちでいっぱいです。

そしてうれしいことに、会いたい人もたくさんいる。
しあわせで死んでしまうんじゃないかと、まいにち心配しつつ、
また会えるのを楽しみにしている。
会えるまでに、もっともっと、強くなっていようと思う。


きょうもごきげんさんで過ごさせてもらった!(歯医者は嫌だったけど!)
あしたは待ちに待った、絵を描く日です。



2015年10月8日木曜日

La Fiesta



きょうはすこし、ひとやすみした一日でした。
秋のやわらかい日差しのなか、ベランダでぼーっとしたり、考え事をしたり。


個人的に、いろんな気持ちに一区切り付けることができました。
これからどうしていきたいのか、どうなりたいのか。
大切なひとたちと、どういう関係を築いていきたいのか。

いままでのこと、いままで私と関わってくれたひとたちと、
これからどう向き合っていきたいのか。
地に足を付けて、現実を見て、考えられたかな?


終わったことはもう、終わったこととして、静かに受け止めようと思います。
良かったことも、悪かったことも、できるだけ肯定的に、楽観的に。
いま、笑顔でいられる考え方をする。

大切なのはいま、これから。
ふりかえって、おなじ過ちをくりかえさないことも大切だけれど、
これからの未来は、つくっていけるし、
何を生み出していけるかを考えたほうが、
ずっとずっと、たのしいと思った。
そう在りたいと思った。


そういうようなことを、ぼやーっと、考えました。

頭と体と心の距離、すこしずつ、近くなってきているような気がします。
物事を客観的に見られるようにも、なってきたかな?まだまだだけどね。


スタジオ練習の音源をずっと聴いている。
秋にぴったりだと思う。

もうさみしくない。
前を向いているから。
自分の足で歩き始めているから。
そしてその先に誰が待ってくれているのか、知っているから。

日々、いろいろなひとに、
支えてもらって助けてもらってばかりです。

ありがとう。
私と出会ってくれて、ほんとうにありがとう。
きょうもたのしく、過ごせましたよ。


今年の秋は、Chick Coreaの秋にしよう。
Gary Burtonとユニットのやつもいいけど、やっぱりバンドサウンドが好きやねんやわ。


こっちのトリオのも、かっこいいんやわ。


いちおうユニットのんも載せとくさかい、好きなん聴いたらええわ。



ではではきょうはこのへんで。
おやすみなさあい!


2015年10月7日水曜日

ひとり



さ~て、きょうはねむたいぞ~!!
きのうはお仕事のあとzoozooseeのスタジオを2時間がんばって、
そのあとパソコンで作業していたら結局寝るのが遅くなって、
今朝はちょっと寝坊してしまいました。
さいきん寝付き悪いよ~

zoozooseeのスタジオ、とってもたのしかったです。
11月21日にライブが決まって、何の曲をやろうか考えたり、練習中の曲を何曲か練習したり、
ギターの櫻井さんが持ってきてくれた曲でセッションしたりしました。
(ライブ告知はサブリミナル効果みたいな感じでちょこちょこ出てくるからね)

毎回そうだけど、今回もめっちゃんこたのしかった~!!
いまも録音したものを聴いてるんだけど、みんなかっこいいよ~!!

そしてなんと、この感動を共有できるようになりました!!
zoozooseeでSoundCloudのアカウントを作ったよ~
だいぶ前に録音していた音源だから、ベースはたいへーさん。
私がユーレイ部員として所属させてもらっていたときなので、キーボードもユーレイです。

櫻井さんがミックスして音を整えてくれていて、
ギターもちゃっかり重ねてたりして、すごく恰好良いです。
こちらから聴けます。

いまのメンバーでも早く録音したくて、ウズウズしてます。大好きな曲がたくさんある。
ちはるくんもじわじわと本性を発揮してきて、いい味が出てきました。
もっとスタジオ入りたいな~、とっても楽しみ!!

あとね、zoozooseeはTwitterもやっています。
こちらは誰がいつつぶやくかわからないけど(ほぼりゅうちゃんと私)、
ライブの情報とか、スタジオ時の隠し撮り(カメラマンはほぼ私)とかを流そうと思っています。
アカウントはこちら。よかったらフォローしてみてね。

ちなみに、前にも宣伝した気がするけれど、わたし個人のSoundCloudも、あります。
お家で軽いノリで録音したやつだから、音質はあまりよくないです。
自分で作った『きせつの通りみち』と、
ワニのいる生活の『風邪の歌』の2曲が聴けます。
もしよかったら聴いてみてね。


きょうはパン屋さんで先輩と、いままでにお酒を飲んで失敗した話をして、
おなかが痛くなるほど笑いながらお仕事しました。
吐く…と思って手ごろな布の袋を手に取ってゲロゲロしたら、
友達のパーカーで、帽子部分にキレイに収めてた話がいちばんおもしろかったです。
先月の私の失敗を披露したら、「笑えない」と言われてちょっとショックでした。

でもきのう聞いた、櫻井さんのとってもおめでたいご報告やらなんやらで、
なんでもない日だったけど、すごくご機嫌で過ごさせてもらえました。
やー、いいね!やっぱりおめでたいことって、周りをいっぱいしあわせにしてくれるね!


私はいまは、いちばん底辺の、
地べたから積み重ねていっているところだから、あせらない。
音楽も日常も絵を描くことも勉強も、人を好きになることも、何もかも。

何もかも、いま、きょう、ここからスタートしていく感覚。
だからといって、いままでを無しにするとかは、考えていない。

事実は事実として、永遠にそこにある。
そして自分がどういう気持ちでそれに向き合うかだけが、そこにある。

だからまいにち、えがおでいようと思っています。

いまはそんな感じ。
ひとりでゆっくり、歩いていきます。
遠くから、見てないふりで、見守っていてくれるとうれしい。


そんなこんなでこんな時間なので、お風呂に入ってきたいと思いまーす。
きょうは肉体を酷使したから、ゆっくりストレッチして早めに眠りたい!

ではでは、きょうもありがとう~。
おやすみなさい!



2015年10月6日火曜日

乙女心




吉本隆明さんの『今に生きる親鸞』、読み終えました。
最後までふむふむ、と思うことばかりで、すごくいい本でした。
消化するまですこし時間を置いて、また読み直したいなと思います。

きのう、眠る前にわかばさんの音源聴いてたらなぜか気が昂ぶって寝付けなくて、
笹口さんを聴いて落ち着こうと思ったんだけど、やっぱりあんまり眠れなかったみたいです。
朝方はとくに寒かったのもあるかも。もうフリース長袖長ズボンのパジャマ着てます。
今年の冬もまたムーミンのパジャマ、出るかな~。
個人的にファストファッションはあんまり好きじゃないんだけど、
ユニクロのヒートテックと極暖、それとムーミンのパジャマだけは、ちゃっかりファンです。
今年は周りでも評判の高い、ライトダウンもゲットしてみようかなと思っています。
アイニード、ふ!ゆ!ふ!く!


土佐堀の職場へ通勤するときに、だいたい靭公園を通るんだけど、
何日か前から植木市をやっていて、気になっていたのを今日やっと覗きに行けました。
めっちゃかわいい多肉植物がわんさかいて、思わず両手いっぱいに抱えてしまいそうなところを、
「い、いまは荷物増やせないから!お家にかわいい植木たちがわたしを待ってくれている…!!」
と百回くらい言い聞かせて、連れて帰りたい気持ちを必死で我慢しました。

もうね、胸が張り裂けそうだったよ…!!
でも今はほんとうに荷物を増やせないし、たとえ掌に収まるようなエアプランツだとしても、
ひとつ増やしたら芋づる的に「あれも!これも!ほしい!」となりそうなので。

あ!特例として、お友だちにプレゼントする、っていう名目で買っちゃうのは、ありかも?
(ただ二か月も元気に育てられるかというとけっこう自信なかったりします)


きょうはこれから、zoozooseeのスタジオ練習です。
ちらほらTwitterでもアナウンスしたりしていますが、
ただいまベースのたいへーさんが就職活動中でお休みしているので、
ちはるくん、っていうイケメンのベーシストが加入してくれています。
空きっ腹に酒、っというバンドだったり、いったんぶ、っていうバンドでも、ベースを弾いていた彼は、
いまもいろんなバンドのサポートをしている、人気ものです。

そしてこのメンバーで、11月21日に難波ベアーズでのライブが(きのう)決まりました。
なんとその前のライブは5月だったんだよね、ひさしぶりだからとってもたのしみ。
今度は腰も万全だし、ちゃんと外音にキーボードも聞こえるようにしてもらって、
思いっきりガンガンいきたいです。
(前回、一生けんめい弾いたのに、お客さんにぜんぜん聞こえてなかったという悲劇)

スタジオのたびにいつもちょっとしたお菓子を持っていくのが恒例になっていて、
さっと作れる、っていうのをコンセプトに、あるときはマフィンだったり、ラスクだったり、
フレンチトースト(いちばんカンタン)だったりを差し入れしてるんだけど、
きょうは前々から作りたかったお菓子を作ってみました。

それは何かというと、“全粒粉”っていう小麦粉を使ったスコーン。
お菓子を作るときにはだいたい“薄力粉”っていうやわらかい小麦粉を使うことが多いんだけど、
この“全粒粉”を使うと、ごつごつ、ざらざらしたワイルドな食感になって、
それがまた、めちゃくちゃおいしいんだ~!!
きょうもワイルドなスコーンを作ったので、さっそく持って行って食べてもらおう~。


帰りが遅くなるから、今日はここまで。
きょうも何かと楽しい一日で、お仕事も忙しかったです。
思えば指の筋肉ばかり鍛えている。

そして今から、もっと楽しいことが待っているんだぜ!
アイウィル、ぜ!い!た!く!


それでは、明太子が待っているので、いってきまーす!!


2015年10月5日月曜日

赤い左目



朝からとっても楽しい夢を見て、二度寝をしたら遅刻しそうになって焦りました。
いそいで家を出たので、スマホを自宅に忘れて職場へ。
腕時計と読みかけの本があれば休憩時間も退屈しないし、
案外、スマホがなくても気にならないものですね。
天気予報がわからないのはちょっとだけ困ったけど。

だんだん肌寒くなってきましたねー。
服を随分と処分してしまっているし、去年の服に魅力を感じないので、
今年の冬は何を着ようかなと思案中です。凍える前に服を買いに行かなくちゃ。


週に一回だけ、と決めていた絵を描く時間ですが、
鉛筆で描きかけていたものに、三十分だけ手を付けました。
大きな絵は集中しないと描けないから、きのうブログを書いたあとに思いつきで描きはじめた、
デッサンの練習、友人の写真を描いたほうの絵です。

観察力が甘くてパースがめちゃくちゃだから、
陰影をつけていくといろいろと矛盾が出てきて気持ちが悪くなるんだけど、
そこをどうやってごまかすか(笑)を考えつつ進めていくのが楽しいです。

あと、きょうはギターで歌を歌っていて、かなりうまく歌えて、自分でもよかったと思いました。
いままではお手本になるような録音を再現できるように練習していたんだけど、
きょうはなんとなく、歌いたいように歌ってみようと思って。
あんまりなんにも考えずに歌ってみました。『白日夢』という曲。

去年の今頃に歌った録音がものすごく良くて、
ずっとそれを終着点にしようと向かってきたんだけれど、
いまの気持ちをのせるにはちょっと何か違うなと思って、ばっさり歌い方を変えてみました。
あんまり感情を込め過ぎない感じ。しつこくなくて良い。

あとはずっと練習している、影野わかばさんの『まだら』。
これはまだまだ研究中なんだけど、『白日夢』と同じように、歌いたいように歌ってみたら、
意外と好きな感じで歌えたので、今度からこの感じに向けて練習してみたいと思います。


『まだら』は、曲の雰囲気ももちろん、歌詞がすごく好きで、
初めて聞いたのは何年前だろう…3月33日さんと一緒にライブされていたときのライブで、
この曲に出会ったときにも、ちょうど相容れない二つの気持ちに悩まされていたから、
涙が出るほど感動してしまって、そこからずっと、大好きな曲です。

ワニのいる生活としてもレコーディングに参加させてもらった、
影野わかばさんの『夕陽だった』という音源にも収録されているんだけれど、
わかばさんの透明感にすこし歪みがかかっていて格好良い。
こんなに歪んでるのに澄んでいる、ってどういうことだろう?
わかばさん自身の清らかさに加えて、エンジニアの輝くんの腕もきっとあるなあ。

この歌詞から広がる世界の中から、どろどろして陰湿な怨念だけを、
特に選出してぐちゃぐちゃにした感じで歌っている。
まるで自分の性格のようだなと思う。
いま久しぶりに原曲聴いてるけど、あまりにも違うから、
どうしてこうなった??わかばにゃん、ごめん!って思ってる。笑

もうちょっと研ぎ澄ませたらお披露目したいと思います。
冬頃にはお聞かせ出来るものになっていると思う。

人の曲を歌うには、愛がないとできないよね、って、
夏にわかばさんと会ったときに話していて、
いまのところ、わかばさんの曲だったり、わにの曲だったりが主だけれど、
もうすこしギターがうまくなったら、もっといろんな人の曲にも挑戦したいです。
ピアノでも何かカバーしてみようかな。それも楽しそう。


あしたはzoozooseeのスタジオ、楽しみです。
データ入力のおかげか、ピアノの基礎練習をサボっているのにも関わらず、
ものすごく細かいフレーズを高速で弾けるようになっていて自分でもびっくりしました。
この能力、ワニのときに発揮したかった…。笑
作ってみたいお菓子を作るのも、それもまた楽しみ。


きょうもありがとう。
楽しく一日過ごせました。

また楽しい夢を見られるといいな。
朝晩寒いから、ちゃんと窓締めて寝ろよ。

おやすみなさい。



2015年10月4日日曜日

人魚



今夜は、ほんっっとうに早く寝たいので、まだお日様も明るいけれど書き始めちゃうよ~
いつもはiPadちゃんからメール送信での投稿ですが、ひさびさパソコンちゃん使用。
データ入力のお仕事をし始めてからやっぱりタイピングが速くなっていてうれしいです。
会社のキーボードもこのくらい打ちやすかったら、もっと速く入力できるのになあ~。

きょうはひさしぶりに絵を描きました。
家に、おっきなおっきなキャンバスが二枚、板のままであるんだけど、
もともと描いてあった絵をきのう白く塗りつぶして、そこに鉛筆で下描きをしました。
思ったよりうまくかけてよかった。
人魚の絵を描こうと思っています。
週に一回、時間を作って、今年じゅうに出来上がればいいなあ、というところ。

でもなかなか集中力が持たないね、やっぱり。
いまのところ、1時間半くらいが限度かな。
デッサンも出来なくなっているのがすこしかなしい。


音楽のこと。
きょうはギターじゃなくてピアノを弾きました。
理由はお姉ちゃんが休日で、家でお勉強をしているから。
ギターだとどうしてもうるさいでしょ。だからです。
(当の本人はイヤホンをしてゴスペラーズを聞きながら大きな声で歌唱中です。自由)

ギターも楽しいけど、ピアノも楽しいなあ。
決めた時間なんて、あっという間に過ぎていってしまう。

でも、まいにち時間を決めて何かをする、というのをやり始めてから、
やることにけじめをつけられるようになってきたと思うし、
きょうできなかったことでも、あしたちゃんと時間をとってある、と思うと、割と気が楽だったりします。
なにより、あしたの楽しみがあるのが、ほんとうれしい。
お仕事もがんばれます。

いま、ピアノでは、zoozooseeっていうバンドの曲を練習したり、
春に作りはじめてなかなか進まなかった『誘拐』っていう曲のアレンジを練ったりしています。
指の筋肉が劇的に衰えていて、集中力や記憶力、体力もそうだけど、
いろんな方面において衰えを感じるきょうこの頃。(もちろんおしりの筋肉も…)

10月からFPの復習も始めていて、頭もずいぶん悪くなっちゃったなあと思うけれど、
半年前には知らなかった知識を持っていると思うと、すこしだけ誇らしかったりします。
それでもまだまだわからないことがたくさんあるから、続けて勉強がんばろう。

そうそう、『誘拐』は、あんまり今までになかった歌い方に挑戦していて、
それが難しくて難航しています。
けど、大好きな曲。これも今年じゅうに形にしたいと思います。

もう一曲ピアノで作りかけている曲があって、それは『人魚』という曲なんだけれど、
こちらはまだ歌詞もメロディも構成もぼんやりしている。
夏ごろに作りはじめて、なんか歌いにくいな~と思っていたのを、
最近キーを変えたらしっくりきて、本腰を入れなおして作っているところ。
これはまだまだ時間がかかると思います。
大好きな韻踏み言葉遊び満載の上、最近の自分の心情が出ていて好きです。


曲だったり歌だったり、物をつくったりすることだったり、
いろんなこと、わりとたくさん閃いたり思いついたりするほうなんだけど、
じつは自分の力で形にするのがとても苦手で、
音楽だと、いままでは一緒にバンドをしていていろんな人に助けてもらっていたのを、
今度からは、ひとりでも完成させられるようになっていけるといいな、と思っています。

あ、zoozooseeはね、完成形があるようでないから(笑)、
その時々の感覚で自由に演奏させてもらっています。
みんなの表情見ながら弾くのが好き。
そのときに弾きたいものを弾きたいように弾けるのがたのしい。
でも録音とかするなら緊張だな~。アドリブの引き出し、増やしとかなくちゃ。


あ、やっぱり、いつもより入力が速い!!
これからはなるべくパソコンちゃんから更新するようにしよう。

きょうも一日楽しめました、ありがとう。
ブログを書き始めて四日目。
いろいろと思ったことを綴りながら、いろんなひとのことを想ったりしています。
けっこう個人的なことが多いから、読んでくれている人、面白くないと思うけれど(笑)。

文章を書くの、楽しいし、好きだなあと思います。
もっといろんなことを表現できるようになりたい。

いままで、音楽が受け止めてくれていた、わたしの表現、
これからはどんなふうに変わっていくのかな。

それは自分でも、わからないことだけれど、
誰にも邪魔させないし、誰にも邪魔できない。
すこしだけ、そんな気持ち。


では、時間が来たので終わります。
きょうもお付き合いくださってありがとう。

(超個人的なリハビリだから、べつに読んでくれなくたって、いいんだよ、
どうぞあんまり気にしないでね。)
でもありがとう。


アデュ!!


メシア


うかうかしていたらこんな遅い時間になってしまったので、
きょうはちゃっちゃと書いて寝てしまいたいと思います。

3月に怪我をしてしまってから、パン屋さんのレジのお仕事をずっとお休みさせてもらっていて、
7月から週に一回くらい、しかも一番短い時間(4時間半)だけを働かせてもらっていたのですが、
この頃徐々に肉体が怪我以前の調子に近づいてきつつあったので、
昨日は半年ぶりに6時間半の立ち仕事、きょうは半年ぶりに繁忙な土曜日に出勤するという、
個人的に肉体の限界にチャレンジした二日間でした。
おかげで、昨日もきょうもくたくたで、とても眠たい。

でも身体を思うように動かせるようになってきたのはほんとうに嬉しくて、
きょうも、職場でいちばん動きの速い先輩に、なんとか着いていけたので良かったです。
上の方の棚の、一番奥にある物をジャンプして取ったりもできるし、
立ったりしゃがんだりをしてもそこまで腰に負担を感じなくなってきました。

欲を出して、今月はジョギングとかもしてみようかしら。
日常的な筋肉は戻ってきたように感じるけれど、やっぱり体力のなさが目立ってきた。
もうちょっとだけ、できることを、増やしていきたいな。


今月は、どこまでできるかな、と、
色んなことにチャレンジしてみようと思います。

計画を立てて、そのとおりに、やってみる。
どんな結果になってもオッケー。
やりたいことは、どんどんやっていこう。

それに加えて、毎日ちいさなことを積み重ねることで、どんな変化が起こるのか楽しみ。
音楽でいえば、いまのところ毎日、何曲か歌を練習しています。
それを毎日録音して聴いているのだけれど、
喉の調子だとか、その日の気分とかで歌い方が違ったり、
逆に同じアプローチをしていても、そのときの感情でまったく異なるふうに聞こえたりと、
歌うことの面白さ、奥深さ、難しさを体感しています。

そしてギターが、楽しい、楽しい…!!
昔はほぼパワーコードしか使っていなくて、しかもリフを作るのが大好きだったので、
開放弦や和音の広がりのうつくしさを知らなかったし、
親指で弾くベースラインを考えたり、よくわからないコードを自分で作り出すのが面白くて、
ギターを弾き出すと止まらなくて困る。これも嬉しいこと。

一ヶ月経ったときに、どのくらい深いところまで潜っていけるのか、
どのくらいの距離まで、近付いて行けるのか。
ワクワクもするけど、それよりも、うずうずする。
毎日、あしたが楽しみです。


たまに嫌なことを思い出したりしてしまうけれど、
汚いこころのときは、何を考えたって、うまくいかないから、
えがおの練習をすることに、しました。
大切な人たちに会えたときに、ちゃんと笑っていられるように。
負けそうになっても、遠くにいる友人たちのことを思うと、ふんばれる。

それでもちょっとしんどいとき、みんなの気持ちがこもった音楽を聴いたり、
美味しいものを作って食べたり、綺麗な夕焼けを観たりする。
お掃除をして家じゅうをピカピカにしたり、絵を描いたり、歌を歌ったり。

元気がないときやつらいとき、誰にも甘えなくても立ち直れる方法は、意外とたくさんあるんだなあ、と。
それを生み出せる力が、ちゃんと自分には備わっているんだなあ、と。
そう思えた一日でした。


でもまだ、痛いよ、痛いよ、って、泣いている。
でも大丈夫、だとも、こころは言っている。

だから大丈夫。わたしはわたしを信じている。


おっと、俊輔のフリーキック講座に気を取られていたらこんな時間に…
日をまたいでしまったじゃないか…でも俊輔は悪くない。
タイマーを無視して二時間もギターを弾いていた自分のせいです。
久しぶりに、すこし曲も作りかけて、まとまらなくて手放して、
あした絵を描くために下準備をしたり、またまたいらないものを処分したり。

そんな感じの一日でした。わかばさんの新しい試みは、うまくいったかな?

みんなが穏やかでやさしい気持ちで眠れますように。
おやすみなさい〜。


2015年10月2日金曜日

善と悪


最近、浄土真宗に興味があって、開祖である親鸞について書かれた本をすこしずつ読んでいます。
昔の言葉で書かれているものを難しい言葉で解説しているものが多いから、
だいぶわかりにくいなー、っていう印象を受けていたんだけど、
いま読んでいる吉本隆明さんの『今に生きる親鸞』という本がものすごくわかりやすくて、
内容はもとより、そのわかりやすさにびっくりしています。中学生でも読めるんじゃないかな。


浄土真宗は、それまで一部の人(お坊さんや偉い人)たちに限られて伝達されていた仏教を、
一般の人たちにもわかりやすく、付き合いやすく、みんなが信仰できるようにした宗教で、
今までは苦しい修行をしたり自分を窮地に追いやったり、
善い行いをたくさんすることでしか、浄土へは行けませんよ、というのを、
いやいや、念仏を唱えれば、誰でも浄土へ行けますよ、と、
仏教をオープンでウエルカムな雰囲気にしたものだと思っています。
(かなりざっくばらんな説明だけど)

親鸞さんも初めは修行をしていたんだけど、その当時は貧しい人のほうがたくさんいて、
みんな苦しみながら生きていて、楽になりたい、死んでからもしんどいのはもうイヤだ、
だから浄土へ行きたいよー、っていう人が多かったにも関わらず、
仏教の教えが限られた人のもので、なおかつ辛い修行を乗り越えた人しか浄土へ行けないなんて、おかしいんじゃね?
そもそも仏教ってのは、みんなを救いたがってんじゃね?と、違和感を感じたそうです。

だから、限られた人だとか、修業とか、善い行いとかじゃなくって、
阿弥陀如来(仏さま)は、みんなを救いたがっているから、
心から信じて、一生に一度でも思いを込めて念仏をとなえると、
自然と浄土へ行けますよー、という風に、教えを広めたんですね。

細かいことを言うともっとちゃんとしてるんだけど(当たり前)、
親鸞さんの教えは、宗教のはずなのにちょっと哲学や思想の部分があって、
知れば知るほど魅力的で、わたしは割と好きなんです。

その親鸞さんの考え方の中に、善い行いをするくらいなら、悪い行いをしたほうがいい、というのがあって、
その言葉の意味だけで捉えるとちょっと「えっ?」て感じなんだけど、
要は、誰かのために、「良い!」と思ってやったことは、
そう思った時点で善い行いではないよ!っていう意味だそうです。
そして、誰かを救うことで自分も救われたい、なんて、思っちゃダメ!とも、言っています。

まとめると、「誰かのため」にすることで、「自分」を救おうと思ってはだめですよー、
そう思って何かするなら、悪いこと(「誰かのため」じゃないこと)をやったほうが、まだマシ。
「自分がそうしたくて」やったことで、「誰か」が「自然に」救われたら、
それでオッケーじゃん、というような考えです。

きょう、ちょうどその部分を読んでいて、きのう書いた、
やさしさへの違和感のヒントになりそうだなあと思ったのでご紹介しました。
そもそも、やさしさと善行は違う。
でも、勘違いしやすいものなのかも知れないな、と。

わたしは、誰かのために何かするのが好きなほうなんだけど、
でも、なんかちょっと違うな、嘘くさいな、と自分でも感じたり、
後からそのひとの本音を聞いたりして、間違ったことしちゃったなあ、
やっちゃったなーと思ったりするのが多々あります。
親鸞さんの言うとおり、誰かのため云々と言いつつ、ちゃんと向き合ってみると、
あ、これ、ほんとうは自分が救われたいんだな、と思うこともたまにある。

善悪だけに偏った若い解釈は喪いましょう、ということです。
去年の夏に作った『菩提樹』っていう曲の歌詞にも、ちゃんと書いてあるよ。

話は逸れるけど、思い返せば、
じぶんの歌は、いつでも自分のことを知っていてくれるのに、
わたしが馬鹿だから、いつも失くしてから気付きます。
そういうのも輪廻かー、と、思わないこともない。
(案外、仏教ちっくな歌詞が多い)


と、長くなっちゃったので、きょうは此処までです。
親鸞さんの教えで、すごく好きなのが、もうひとつあるんだけど、またいつか。

もうね、iPadちゃんで入力してるから、速度が遅くて遅くて…。
そしてやっぱり、文章の構成力もだいぶ落ちてるな、リハビリしだして正解だ。

きょうもお付き合いくださって、ありがとうございます。
あしたはどんなこと書こうかな。くだらないことがいいな。


2015年10月1日木曜日

やさしさに包まれたなら



さっきから、へんてこな風が吹いて居る。
秋の夜なのに、夏の昼間の様に生温い、しかも、かなり強い風です。
なんだか落ち着かないのは、気圧の所為かな。

今日から毎日ブログを書くことにしました。
先月の更新回数があまりにも酷かった(たったの2回!)のと、
今月は『まいにち、すこしずつ、を積み重ねる』ことをテーマにしてみようと思い立ったからです。
他にも幾つか、毎日実行を心掛けようと思っていることがあって、
『歌を一曲歌う』ことだったり、『楽器と触れ合う』ことだったり色々ですが、
無理せず欲張らず続けて行きたいと思います。


やー、この一ヶ月、逃げた甘えた。
ほんと、どん底まで落ちたなあ、と。
底辺という意味ではまだまだ下の方に居るとは思いますが、
もうこれ以上、逃げられないぞ、と。

いつまで見ないふりする?
いつまで他人に縋る?
辛いことから一生逃げ続けるなんて不可能だから、と自分を戒めて、
じゃあ、此処から這い上がってやろうじゃん、と、今日はやっとこさ思えました。


逃げたって、また後で同じ苦しみが、もっと大きくなって返って来るから、
甘えて孤独を薄めたって、後からもっと辛くなるだけだから。
そう教えてくれたひとが居る。
そのひとは、いまの私と同じような経験をしたことがあって、
苦しんで苦しんで、乗り越えたんだろうと思う。

そのひとは私に、決して手を伸べないんです。
ほんっっとに甘やかさないんです。自分でも言ってたけど。
寧ろいつも結構きつめに突き放してくるんだけど、
甘えたの私にとったら、いまは多分、それくらいが丁度良い。

厳しい言葉の裏にも、「あんたなら"自分で"如何にか出来るでしょ」、って言われて居る様で。
私にも、強い強い彼と同じ場所まで行く力が在るんじゃないかと思ってしまえる。
自分の足で、そこまで行ける様な気持ちにさせてくれる。

でも決して、「"独りで"如何にかしろ」とは、云わないんだよね。
甘えずに頼ったときは、ちゃんと力を貸すよ、って暗に言ってくれているようなこのニュアンス、伝わるかしら。
そこがやさしいな、と思います。
故意にそうしている訳じゃないから、ほんとわかりにくいけどね。
すこしずつ感じ取れる様になれて嬉しい。
シャツの裏表気にしないで着るような奴だけどね。


やさしさの本質とはなんだろう、って考えると難しくて、
最近はそうやって厳しくしてくれるのが、何よりやさしいのかな、と思ったりします。
今迄やさしさだと感じていたことが、実は上辺だけだったことも、よくある。
そして、上辺だけのやさしさは、どこかしら冷たさを感じることが多い。
それはもしかしたら、目に見えるやさしさというものが、
ほんとは自分の事しか考えていないが故の行動だったり、するのかも知れない。

じゃあ人は、どうして人にやさしくするのかな?
やさしい人だと思われることで手に入れたい何かがあるのかしら。
自分のやさしさは、どんな性質なんだろう。
客観的に眺めることは出来るのかしら。

よくわからないけど、そんなことを思ったり。
ヤサシサ、ムズカシイ!ニンゲン、フクザツ!


さっきより、風の音が激しくなってきました。
なんか今夜は寝付けなさそうだな〜。

とりあえず、お休みなさ(´-ω-`)…zZ乙


2015年9月30日水曜日

A Case of You



今日で長かった九月も終わりますが、
まだまだ孤独とは、お友だちにはなれそうにないです。
まあ友人に倣って、二年くらいかかる、とでも覚悟しとこうか。


随分昔、友人に教えてもらったJames Blakeが好きで、
Enough Thunderというアルバムを特に気に入って未だに繰り返し聴いています。
そこに収録されている中に『A Case of You』というとても美しい曲があって、
英語だからどんな意味の歌詞かも知らないんだけどずっとずっと好きで。
きょうも聴いていて、相変わらず胸にぐっとくるから、興味本位で歌詞を調べてみたら…

自殺行為でした。
こういう曲は傷心中に聴くものじゃないね。
Joni Mitchellの原曲も、淡々とした中に静かな孤独があってよかったです。
興味がある方は調べて見てね。(メールでの送信なので、映像が貼れない)
でもやっぱりJames Blakeのヴァージョンが、最高すぎて死んじゃうな。


どんな国の言葉で歌っていても、気持ちが伝わってくる曲ってありますね。
言葉の意味がわからないのに、感情が言葉を超えて飛び出しちゃうような。
好きな歌い手さんの中だと、James Blake、Edith Piaf、Sarah Vaughan、
最近だとNina Simoneとか(しっかりハマっている!笑)、
他にもたくさんそういう力を持つ歌手がいると思うけれど、本当に凄いなと思います。
逆に外国の方から聴いて、日本人の歌手の中にも、言語を超えて何かを伝えられる人もいるんだろうか。
もしいるとしたら、誰なんだろうな。美空ひばりとか、ちあきなおみとか、越路吹雪とかかな。
そのような歌を、もし死ぬまでに歌えるとしたら、それは本当に本当に素晴らしいことだろうな。


前回の日記から、またまたたくさんのことがありすぎてありすぎて、
なんだか穏やかにゆっくり過ごしたいのに、なかなかそうはいかないみたいです。
まだ手放せていないのか、そういう星の生まれなのかはわかりませんが、
若干へとへとになってきている感は否めない。あれ?今年、まだ三ヶ月あるよ…?

本当に静かに暮らしたい。
執着から解脱したい。
本当に何もしたくない。

と思うこと自体が静への執着と言われれば、もはや返す言葉もないんだけれどね。


九月、ほんとに長かった。
長月の名は伊達じゃなかった。でもいろんな人に会えた。

思わぬ人と思わぬところで再会したり(ドナドナの松尾くん、和田くんと、茶屋町で会った!)
連休中は半年振りに会う友人と心温まる交流もできたし、父親の家にも行ったし、
幼馴染とも久しぶりに会えたし、今日は二年振りに会う人やそのお子さんとも会えてとても和んだ。
全体的に楽しかったり、やっぱりちょっと、疲れたりもしました。


最近、話しているときに気分の浮き沈みが激しいと感じるときがあります。
すごく楽しくお喋りをして、楽しかった気持ちだけは残っているのに、
会話の内容を覚えていなかったり、曖昧な返答をしていたりするときがある。

まだ人と会うべき時期じゃないのかもしれないし、
たまたま人に会うのには向かない日だったのかもしれない。

そういうときは、何年も付き合っている友人と、
何もせずにだらだら話せると、ものすごおおおく、リラックス出来て良いよね。
忙しかったり、遠くに住んでいたりでなかなか会えないときもあるけどね。
なるべくそういう友だちは大切にしたい。

そんなこと考えたことなくて、ずっと一緒のトーンで居てくれる友だちのこと、
あんまり大切にできていなかったかも、大切にできていなかったなあ、と反省しています。
でも最近は反省することが多くて落ち込みがち。
お酒の失敗も多かったしね。なんだか恥ずかしい思いもしたしね。

とりあえずリハビリ(何のだ)に、十月からまた毎日ブログを更新していきます。
九月で学んだけど、ちゃんと目標的なものを決めないとやらない性質のようです。
(ちなみに九月、更新回数増やすと言いながら二回しか書いてないからね。八月より少ない)

ボリュームの目盛が0か100しかない女、升あけみ、こと、なす子、こと…
いまは誰なんだろうね。いまは私、私でしかない。

それなのに、いまが一番、自分がわからない。
何者でもない私。私がそれを望んでいた筈なのにね。
あっれ〜??おかしいな〜、蘭ねえちゃ〜ん??みたいなね。

ちーん。


超絶個人的かつ駄文、相変わらず何処となく暗めのムードですが、
(もともとそういう人間なので仕方がない)、
明日からどうぞ一ヶ月、宜しくお願い致します。


2015年9月9日水曜日

さみしさには名前がない



すっかりご無沙汰してしまいましたが、みなさまお元気でしょうか?
誰だい、8月は更新するなんて言っていた奴は。
約束を守らないと、狼女になっちまうぞ(残念ながら少女という年齢ではない)。

言い訳をするならば、私生活で色々なことが有りすぎて、
未だに追いつけていない部分もあるのですが、
ほんとうにこの一ヶ月、大変だったんですよ。面白かったけど。

大変、っていうのは、大きく変わる時期なんだなあと、
改めて体感した一ヶ月でした。

詳しく書いていくと一日仕事になりそうなので、大きなトピックスだけ残すと、
・祖父の初盆がとても印象に残ったこと
・影野わかばさんと会ったこと
・病気マサノリさん主催のキャンプに行ったこと
・もう会えないと思っていた、久しぶりの人と再会したこと
・セッションイベントに遊びに行って酔っ払ってえらいことになってしまったこと

などなど。
その間に失恋したりいろいろあったんだけれど(笑)、全体的に楽しく過ごさせてもらっています。


この一ヶ月で、たくさんの人との交流がありました。
完全に初めましてなのにも関わらず、ひょんなきっかけで深みのあるお話をさせてもらったり、
第一印象でピンときた、素敵なお姉さんに出会って楽しく過ごさせてもらったり、
今までお知り合いだった筈なのに、不思議な巡り合わせでいろんなお話ができて、
それまでまったく知らなかった新たな一面を発見したりして、
すごく面白いし、刺激をもらっているなあ、と。

二十年親交のある友人とも久しぶりに長電話をしたり、
わかばさんと4月ぶりに再会して、また大切な言葉をたくさんもらったり、
3年ぶりくらいに会う人と、昔みたいにくだらない話をして過ごしたり。

ご無沙汰していた人から連絡をもらって、また会いたいねと言ってもらえたり、
家族と他愛なく過ごす時間も、大切だと思えるようになったり、
そういった出来事も、しっかり心の栄養になっています。

変な話なんだけれど、最近は、『桜重奏の升あけみ』や『ワニのいる生活のなす子』としてではなくて、
割と生身の自分に近いスタンスで人脈が拡っていく感覚が新鮮で、楽しいです。

肩書きや役割にとらわれないで、そのときに自分が興味を持った人と過ごすこと。
案外不得手なことだったのかもしれないですが、その拙さも楽しんでいる自分がいます。
人と交わることで、今まで知らなかった自分に出会っていくことも、
ただの人間としてありのままの存在としてぶつかっていくことも、
臆病だからまだすこし怖いけれど、だんだんと慣れていけたらいいなと思います。


話は変わりますが、最近は、孤独について考えています。
いままで、自分のなかにあるさみしさは、誰かとさよならをしてしまったことで出来た空白のなかにしか存在しないものだと思っていて、
ずっとそれに囚われているということは、ほんとうの意味で、
その誰かから離れられていないということなのかな、と思っていたんだけれど。

どうやらさみしさにはもうひとつ、生きている限りひっそりとそばに寄り添う孤独感というものがあって、
(もしかすると死んでからも存在するのかもしれないけれど、死んだことがないのでわからない)、
そのさみしさは、多分、どんなに愛する人に抱きしめてもらっているときでも、一緒に暮らしてずっと側に居たとしても、
一生消えないものなんじゃないのかしら、という気がしています。

そしてそのさみしさは、決して消えることのない痣のようなもので、
お化粧で隠したって、上からタトゥーを入れたって、そこに存在し続けているという事実は変わらなくて、
消したり埋めたりするんじゃなくて、うまく付き合っていくしかないのかな、と。
そしていつの日か、さみしさと真正面から向き合って、
どこへでも一緒に遊びに行ってくれる親友にまでなれるといいなと思います。

けっこう時間はかかりそうだし、気付くのが遅い気もするけど、
気付けただけまだまし、ということにしておこう。笑


もし孤独と仲良くなれたなら、意味もなくいろんな人に甘えたり縋ったり、
必要以上に誰かを好きになることもなくて、
それによって不本意に誰かを傷付けるようなことも、なくなるのかな。

それともこの性分は生まれ持ったもので、
死ぬまでずっと続くものなのだろうか?
オーマイガー。


長く降る雨の所為で、変なこと考えてしまうねー。
はやくお日さまの顔が見たいな、洗濯物が乾かない。

九月も不定期更新でよろしくお願いします。


2015年8月12日水曜日

Summertime


思ったより更新が開いてしまいましたが、私は元気です。
ラップにはまったり漢方を飲み始めたりしているうちに立秋を迎えて、
暦の上ではもう秋、みたいです。ちょっとさみしいね。

先週はラップを聴きすぎてちょっと頭が可笑しくなってしまいましたが(笑)、
今週に入って一転、なぜかジャズばかり聴いています。

ラップを聴いていたのは何となく、“言葉”が足りなかったのかなあ、と思ってみたり。
インプットする情報の多さにとりあえず満足したので、
すこし落ち着いたところかも知れません。

ジャズは、先週末に読んだ『サラバ!』に出てきた、
Nina Simoneをいろいろと聴き漁っています。
本に登場したのは『Feeling Good』という曲。




この曲ももちろん素晴らしいんだけれど、Nina Simoneは個人的にはピアノ演奏に魅力を感じていて、
私のすごく好きなジャズナンバー『Summertime』も演奏されているのがありました。
この曲の冒頭で、ピアノを弾きながら何となくハミングしている声が聞こえるのが、ほんわかしていて好きです。




『Summertime』は調べれば調べるほどいろんな人が演奏していて、
私の大好きなジャズシンガー、Sarah Vaughanも歌っている(しかも映像つき!!)みたいで、
久しぶりにYouTubeですが歌声を聴いて鳥肌が立ちました。




所々、ハウリングを起こしているんだけれど、その都度アドリブしたりして、
仕草や表情でも魅せるというか、ステージに立つ人だなあという感じがしてすごくいいです。
声をここまで自在に操れることや、音域が広いにも関わらず、全部を自分のものにしていることにも感動するし、
この人じゃないと出せない、憂いの世界観、というのが、本当に素晴らしいと思います。

ジャズの歌手だとBillie Hollidayも大好きで、彼女も『Summertime』を歌っているのですが、
可愛らしい感じで、これはこれでBillie Hollidayにしか歌えないなという感じ。

歌手にとって己を知ることは、とても大切なことなのだなあ、と、改めて思いました。

Sarah Vaughanは『Lovers Concerto』が多分一番有名だと思うのですが、
私は彼女の歌うスキャットがものすごく好きです。
『Crasy and Mixed Up』というアルバムの『Autumn Leaves』が最高にかっこよくて、
最初に聴いたときに、あの有名な『枯葉』という曲だと気がつかなかったくらいです。笑

これもYouTubeにライブ映像があって(Wynton Marsalisと競演している!)、
こちらのほうが若干多めに原曲の面影を残しています。笑




トランペットとの掛け合いがすごくお茶目で、途中、歌うと見せかけてひっかけて歌わなかったり、遊び心がたくさん見えて面白い。
Wynton Marsalisが苦笑いしてるのもかわいいです。

調べたらほかにも、スキャットに特化した曲はたくさんあって、
(『Scat Blues』とか『Scattin' The Blues』、曲名がもう!)
そういうのを延々と観ていたら一生お家に引きこもれそうでちょっと怖い。笑


あれ、Nina Simoneについていろいろ書きたかったのに、
Sarah Vaughanへの愛が勝ってしまった…。
Nina Simoneはまだ掘り下げ途中なので、これ、と思うものにであったらまた書きます。


そうそう、西加奈子さん『サラバ!』の感想もついで(ついでかよ!)に。
本好きの友だちに貸してもらって読んだのですが、かなり面白かったです。
最初、分厚いし、上下巻あるし、文字がびっちりだから、読むのにいったいどのくらい時間がかかるかしらと危惧していましたが、
二日間、たったの8時間で一気に読み終えてしまって、それゆえに衝撃度合いも結構大きかったように思います。

ちょうど家族への接し方だったり、自分と自分を取り巻く環境との距離感というか、
そういうものにちょっと疑問や違和感を感じていて、
この本を読んだからすっきりした、という訳ではないんだけれど、
いろんな人がいていろんな人生があるんだなあ、と思ったことはとても励みになりました。

まあ、もうちょっと、思ったことはいろいろあるんだけど。笑


最近ちょっとね、ぼやっとしていて、
なんだか、なにをするにもすっきりしない感じ。

遠くに住んでいる友だちも、ちょっとした家族のごたごたがあって忙しそうにしているし(そのおかげでぜんぜん構ってくれない…笑)、
20代後半って、家族のこと、じぶんのこと、なんだかいろいろあるんだなあ、と。

とりあえず、家を出る準備は着々と進めています。
ほんと、今年に入って、春、怪我をしつつもいろいろなものにけじめをつけて、
家にあるたくさんの物やお洋服とさよならをして。
つまりは思い出と、けじめをつけられるようになった気がします。


その時を、静かに待とう、と思う。
怪我をしたのも、大変だったけれど、たいせつな回り道だったと思うし、
普段では気づけないこと、たくさん気づくことができた、
なかなか体験できない貴重な時間だったと思っています。
(もちろん、できれば怪我なんかしないほうがいい。笑)

おかげさまで、今月からは立ち仕事のパン屋さんにも無事復帰ができたしね!
まだまだ週に1回、5時間程度だけれど、やっぱり以前できていたことが少しずつできるようになると、
そしてそれが目に見えていることだととてもうれしいです。


とりあえずは、あんまりYouTubeばっかり観ないように!笑
週末は祖父の初盆で九州に帰省です。

お盆に新幹線乗りたくない…(帰りが自由席しかなかったの…)
こわいよ〜!!

みなさまも暑気中りにはどうぞお気をつけ下さい。
ではまた。






2015年8月3日月曜日

染み


先週末はカワイコちゃんとデートしてきました。
いかにも女の子が好きそうな美味しくてかわいいパンケーキを食べに行って、
そのあと近くのイベントスペースで開催されていたダンスバトルのコンテストを観覧して、
カフェでまったりしたのち本屋に行きスーパーに行って日用品を買う、という、
非常に自由気ままな休日を過ごさせてもらいました。


はじめてああいうストリートダンスを見たんだけど、なかなか面白かったです。
ステージの上で、二組のダンスグループが技を見せ合うんですが、
身体能力の高さにまずびっくり。笑
同じ人間とは思えなくて、とてもエキサイティングでした。
ダンスの種類は、たぶんブレイクダンスになるのかな?
ちょっと感じは違うけど、こういうのを延々と(一応制限時間は決まっている)繰り広げ合っていました。




この映像は1人vs1人だけど、見ていたコンテストは5人〜8人くらいのグループ同士が戦って、
グループ内で同じ振り付けをしたり、組体操みたいに踊っている上に乗っかったり飛んでいったりしていて、
それも見応えがあって興奮しました。
だいたい20代くらいの男の子が多かったんだけど、
決勝戦まで残ったチームに一人だけ10歳くらいの男の子がいて、
体が軽くて柔らかいぶん、大人にも負けない絶技を披露していました。
女性のダンサーもいてすごくセクシーだった。すっかりファンになった。

バトルだから、お互いに技を見せ合って、相手を煽るのも見てて楽しかったです。
相手が出してきた技を、「オレもできるぜ、」って実際にやってみたり。
ミュージシャンでいうと、ソロ合戦みたいな感じなんだろうか?
なかなか音楽の世界で、ステージの上で直接競い合う、っていうのは見かけない気がします。

また機会があればぜひ見てみたいです。
てゆうかぜひお友だちになって腹筋触らせてほしい。


ダンスバトルから派生して、なぜかラップバトルのことを思い出して、
久しぶりにいろいろ見てみたらなかなか面白かったです。
ラップバトルというのは、即興で(おもに相手をディスる=悪口を言う)ラップを作って、
それの応酬の繰り返し、なんだけど(ぜんぜんうまく説明できない。笑)、
ちゃんと韻を踏んでラップになっているか、とか、
相手の発言をつかんで、ちゃんと会話になっているか、とか、
リズムに乗れているかとか、噛まないかとか(笑)、声がかっこいいかとか、
いろんなところから言葉をどれだけ持って来れるかとかが勝敗の基準のはず。
(と勝手に思っています。笑)

映像見たほうがわかりやすいのかな??
こちらは教えてもらったお気に入りラッパー、MC☆ニガリくんです。
高校生同士のラップバトル。字幕があって、初心者にやさしい。笑




この試合の、延長戦のほうで、ニガリくんがゲジ眉〜って言われたことに、ちゃんと即興で歌詞を作って返答してるのに対して、
2ターンめで右の子はしっかり返せてない感じがするから、勝負はニガリくんの勝ち!
ということだったんじゃないかと思っています。たぶん(笑)

あともう一人、これも教えてもらったんだけどR-指定っていうフリースタイルのラッパーさんも好きです。
このひとはおすすめの映像がいっぱいありすぎて貼るのが大変なので、
もしご興味あるひとは調べてみてください。

個人的には、MCバトル集1〜3がかっこいいと思います。
だいたい髭ロン毛のほうがR-指定さんです。笑


ダンスとかこういうのって、謎にテンションあがるんだよね〜。
即興とか“生”っていう感じがあって、とても好きです。
とくにラップは短時間に詰め込む情報量が半端じゃないので、頭の回転が速い人じゃないとできないことだし、
「白装束」を「しろしょうじょく」と言ってしまう私からすると、
滑舌がいい、というのもかなりの尊敬ポイントです。笑


実のところ、ピアノでも即興演奏とか、その場限りのセッションが好きだし、
思い返せばギターも歌も、即興でやるの、好きだったなあ、と、今ふと思い出しました。
桜重奏のときは、同じメンバーで『もぬけのカラーズ』っていうインプロバンドを組んでライブしてたなあ。笑

案外、即興で言葉を出したりギターを弾くとき、
じぶんのなかから何もかもがすっぽり出ていく感じがして、
空っぽになって気持ち良かったり、します。
どちらかというと絵を描いているときに似ているかも知れない。

絵を描くのは“静”で、終わりがないし、ひたすら自分自身と対峙するのでオーディエンスもいないけれど、
ライブは“動”で、終わりもあるし、周囲の反応や環境、雰囲気からもダイレクトに刺激を受けて、
それをそのまま取り入れて瞬時に表現していく、という“生”の要素が強い気がします。

一度だけ、わにバンドの練習で、即興でギター弾きながら歌ったの、
あれもすごく気持ちがよかった。

またギターも弾きたいし、歌も歌いたいです。
ギターだけでも、歌だけでも、誘ってください。
ラップは無理だけど。笑


しばらくこのビーボーイブーム(?)は続きそうかも。
毎晩いろんなラッパーさんの映像を観ていて若干夜更かし気味なんだけど、
いつもなぜかここに帰ってくるんだよなあ、なんでなんだろ?




R-指定さんとR藤本の、Rつながりなんだろか???(そんなはずない)



おまけ
この記事、途中まで書いて眠ったら、見事にもぬけのカラーズの夢みました。笑
桜重奏サーティーン企画のイベントの前座で出演した(笑)んだけど、
このとき、西岡君が昔やっていた『金輪際』も出演してくれてた気がするな。どうだっけな。




思ったよりも声がブリッコ。笑